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2010年6月 8日 (火)

リスト考(7)シューベルト作品の編曲2

アマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの定期演奏会は6月19日(土)浅草公会堂にて。モーツァルト:「魔笛」序曲、ブラームス:交響曲痔3番、サン=サーンス:「アルジェリア組曲」です。



上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。

oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。とりあえずバナーに大井さんのブログ記事をリンクしました。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)・(7)


シューマンの生誕200年記念日ですが、リストです。

音楽が22分と長いので、先に置きます。このまま駄文は飛ばして頂いても結構です。(^^;


Jeno Jando/A.Ligeti(Dirigent)/Budapest Symphony Orchestra CAPRICCIO 49 455

リスト固有のことではありませんが、彼の時代には、協奏曲や交響曲の「単一楽章化」が流行したように見受けます。
メンデルスゾーンのホ短調ヴァイオリン協奏曲、シューマンの第四交響曲他、そしてリスト自身の第1ピアノ協奏曲・・・ただし、いずれもその単一性は擬似的で、リストの第2協奏曲が(連続する)多楽章化を見せるのも、以上に例示した有名作が実質上3ないし4つの明らかに異なる部分から成っていることの延長線上にあると思って良いでしょう。従って、これらの「単一楽章化」は、交響詩とは別物だとみなすべきです。シンフォニック、と冠していても、この時点では、交響詩は従来の花形オーケストラ作品との接点は持たない。
こちらの面での大きな存在はベルリオーズなのでしょうが、ベルリオーズに至る流れ、なるものがあったのかどうかを向きを変えて観察する必要があるので、いまはそちらには行きません。

管弦楽を用いない器楽曲にも同様の作例があり、他ならぬリストのピアノソナタも、代表的な作品です。
単一楽章化された、「定型的な」大規模ソナタは、リスト世代直近ですと、シューベルトに有名作があります。
しかも、この作例、先に名前を挙げたどの作曲家のものより驚異的な特徴を持っています。
それは、冒頭楽章に当たる部分~緩徐楽章に当たる部分~スケルツォ相当部~フィナーレ相当部の4部が、単一の主題で出来ていながら、聴く人に全くそれを感じさせない、流麗な仕上がりになっていることです。
細かな分析は、池辺晋一郎氏「シューベルトの音符たち」にも載っていますし、ウィーン原典版譜のバトゥラ=スコダ序文にもあることですから、ここで理屈を云々はしません。(ただし、スケルツォ部分は別動機、と、動機の同一性にだけこだわる楽理的な分析に走った記述には同調出来ない、ということだけは申し上げておきます。)
「さすらい人幻想曲」(ニ長調、D760)と通称されるこの作品は、緩徐楽章相当部にシューベルト自身の歌曲「さすらい人」の中間部を切り出して用いてはいますが、シューベルト自身が通称でこの作品を呼んでいませんから、歌曲とは直接関係ないものでして、これは諸家のお述べになっている通りです。
響きが厚いうえに色彩も豊かなことから、管弦楽的な作品だと評されているようですが、パッセージを切り出してみると、ピアノならではの部分も多々あり、そのままオーケストレーション出来る代物でないことは一目瞭然だと思います。
そしてまさに、この作品は、ピアノ協奏曲的な仕上がりのアレンジをなされることになります。
アレンジャーは、リストでした。
編作にあたって、リストがシューベルトの楽譜をどれだけ読み込んだかは、オーケストラ部分の適切な楽器選択、ピアノ独奏部の華麗化のバランスがよくとれていることからうかがわれます。
リストの方法は、「オリジナル尊重」という最近の風潮からはいささか外れているようですが、シューベルト没後、リストの頃までに、人々が音楽にどのような「聴きばえ」を求めたか、を知るうえで貴重だというばかりでなく、これでもまだ原作の「オリジナリティ」を崩さぬままであることに驚異さえ感じさせる中身の濃さは再認識されて良いと言うべきかと思います。・・・これは、リストの後の世代に慣例化した「オリジナルへの《補筆》」にはなっていません。むしろ、ラヴェルの編曲した「展覧会の絵」を連想したくなります。オリジナルの枠を保ったままで、オリジナルを超えてリスト独自の色彩を加味した例は、他にはない気がします。

なお、古典派時代までに多楽章化したソナタが、変化する幾つかの部分から成る単一楽章作品だった例はバロック初期に見いだせますが(フォンターナのヴァイオリンソナタなど)、前期ロマン派に起こる単一楽章化への風潮は、それとは別の、おそらくは文学における「連続性の強い長編化」(ゲーテ「ファウスト」)や「相互関連をもつ循環的創作」(バルザックの人間喜劇)などと共通する精神背景があるのかとは漠然と思いますが、今回の例ではあきらかにはしえません。単一楽章化、には「楽曲構成の一枚岩化志向」までは見てとれても、その中にどのようなストーリーを持ち込みたいか、が判然としないからです。
シューベルト、というのは、この点、名前だけでも貴重なキーワードなのですけれど、「さすらい人幻想曲」は歌曲との関連がないため、精神背景を見通す材料になりません。
したがって、先人としてのベートーヴェンをも少し絡めながら、このあたりでベルリオーズにも目を向けてみたいと思っております。
それはさておいても、ちと自分なりのシューベルティアーデにふけりたくはあるのですが。

参考までにYouTubeから。

歌曲「さすらい人」(ハンス・ホッター)

「さすらい人幻想曲」〜ラン・ラン。シューベルトのオリジナル〜区切り方が・・・!!!
(いろいろ、個人的嗜好とは違っておりますので、念のため申し添えまする。)



oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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