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2010年6月 1日 (火)

リスト考(6)シューベルト作品の編曲1

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。とりあえずバナーに大井さんのブログ記事をリンクしました。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)・(6)


音の例は最後にお聴き頂きます。
冗長な駄文ですから、以下は飛ばして頂いて、音だけお聴き頂けるようでもよろしいかと存じますので、予めお断りしてお詫びにかえさせて頂きます。

同時代のピアノ奏者としては、おそらくショパンをいちばん理解していたのではないか、と私の信じる人物ではありますが、リストは音楽家としての資質はショパンと正反対だったのではないかと思われます。

ショパンは(シューマンと似たことでもありますが・・・シューマンには例外がわずかにありますから、ショパンの方が徹底していたというべきでしょうけれど・・・)他人の作品を、主題までは利用しても、フルに編曲することはなかったかと思います。また、ショパンの場合には、自作が他人に編曲されることも好まなかったらしく、ものの本でその旨が語られています。即興をするのでも、なにかしら、言葉では表現し得ない型のようなものを、ショパンは確固たる指針として持っていたのかも知れません。

対するリストは、流れに任せた逸脱なら彼にとって心地よければ差し支えない、といった奔放があったかも知れず、それゆえに、ショパンの曲を自由に飾り過ぎてショパンの怒りを買い、一時、絶交状態になったこともあるとのことです。

リストのある種の「こだわりのなさ」は、リストのもうひとつの(実は対照的とも言える)側面とともに、彼が熱心に編曲したシューベルトの歌曲の数々に極めてよく反映されていると感じます。

創作面では(ピアノソロは程度問題についてはどう言うべきかわかりませんが)、ピアノと管弦楽、あるいは管弦楽のみ、また合唱曲・・・どんな種類のリストの作品にも留まるところを知らない<光と闇の拡張>があり、長大なオラトリオ「キリスト」はヴァーグナー夫妻を辟易させたと伝えられていますし(ただし、夫人でリストの娘コジマは、父自身の手による演奏を聴いて感じ方が好転したとのことです)、「ファウスト交響曲」や「ダンテ交響曲」にも、当時にすればあまりに型を逸脱していたと受け止められたのか、酷評が残されています。ピアノと管弦楽による作品でも「ベートーヴェンの(「アテネの廃墟」の)主題によるファンタジー」は、「ファウスト交響曲」や交響詩「タッソー」とともに無調に足を踏み入れており、
「無調なる発想は、もしかしたらピアノという楽器の整備とリストという演じ手の登場に淵源をもつのではないか」
と思いたくなるところです。
この奔放さが通俗的な味わいを持ったときにはリスト作品は喝采をもって迎えられており、交響詩「レ・プレリュード」、ピアノと管弦楽のための「ハンガリー民謡に基づく幻想曲」などは、おそらく<受けた>類いに入るのではなかろうかと思われます。いずれも、20世紀アメリカの映画音楽のようでさえあります。

ただし、リストの「奔放さ」とも見える手法は、決して「型を壊す」ところに意味を持っていたとは思われず、であるが故に彼は晩年になるにつれて、自分の手法が持ってしまうかもしれない通俗性に対しては警戒心を強めて行ったのではないか、と感じられることがあります。宗教曲への傾斜が、そうしたリストの心理を端的に現しているかもしれません。

それが他者の作品であっても、優れた音楽であるのなら、それを、少なくともリストの時代に合った様式で、よりいっそう際立たせてみたい・・・こうした音楽そのものに対する彼なりの「純粋な」希求が、ショパンやシューマンのように他者の主題による変奏なりパラフレーズなりを「作曲する」という、いわば即興の延長にある手法だけにリストを縛り付けておくのを許さなかった、であるが故に、リストはベートーヴェンなりロッシーニなりヴェーバーなりのオリジナル作品を、枠組みはオリジナル作品のままにとどめ、あくまでそのなかでの「奔放さ」、いえ、「音楽の飛翔への憧憬」を具象化した編作を多く手がけたい衝動へと誘われていったのではないかと、私には感じられてなりません。

で、シューベルト作品の編曲では大きな、非常に重要なものがあるのですけれども、それはもう一回先にとっておきます。

今回は、シューベルト歌曲のオリジナルと、それをリストが(1台2手すなわちふつうの独奏のために)ピアノ編曲したものをお聴き頂き、リストの「飾り具合、音響の変え加減」をお感じ頂ければと存じます。(音声はオリジナルのステレオをすべてモノラル化しております。)

「魔王」

フィッシャー=ディースカウ/ムーア Deutsche Grammophone 753 676 2

(リスト編曲)

ヴァレリー・トリオン Naxos 8.544729

「アヴェ・マリア」

アメリンク/デムス EMI CC30-9018

(リスト編曲)

ヴァレリー・トリオン Naxos 8.544729


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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