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2010年6月30日 (水)

リスト考(8)ベルリオーズの音響

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会〜終了
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)・(8)


Berlioz2
リスト個人のみならず、リストの時代のヨーロッパの「音響」をかえりみるときに、忘れてはならない大きな存在は二人います。
ひとりは、イタリアのパガニーニ。
もうひとりは、フランスのベルリオーズです。

早い晩年を迎えたシューベルトが、最初にして最後の自作だけの演奏会でおのれの蝋燭にささやかな成功の灯を燈し得た数日後、パガニーニがウィーンにやってきて、その灯をかき消してしまったのでしたけれど、それでもシューベルトは彼の演奏会に
「ああ、天使の声を聴いた」
とため息を漏らしたのでした。

パガニーニの印象については、この逸話からも察せられるとおり、後年かぶらされてしまった「悪魔」の風貌を拭い去って眺めなければならないことは、次回にでも見直します。

現世的にこの天使の恩恵を受け、大事な精神の財産としたのが、ベルリオーズでした。
作風に感激したパガニーニからヴィオラ用協奏曲の創作を依頼されたベルリオーズは、ヴィオラに対する自分の理解度の低さから固辞したものの結局引き受けざるを得ず、第1楽章が出来上がったところで覗きに来たパガニーニは作者の憂慮した通り失望してイタリアに帰りました。ですが、オブリガートヴィオラを伴う交響曲「イタリアのハロルド」として出来上がったこの作品を3年後に聴きに来たパガニーニは再びベルリオーズの音楽に大きな感銘を受け、妻の借財の返済に懸命だったベルリオーズに2万フランを寄付したのです。

ともあれ、こうした逸話を持つベルリオーズについて、先に少しばかり見ておかないと、リストや、リストに組しようとしまいとリストと同時代に生きた人々の受けた生々しい音響的な衝撃、その衝撃の消化過程について見失うことになるでしょう。

音楽院の学生時代にベートーヴェンの真価を誰よりも敏感に理解し、異端児扱いされながらもついに頑迷なパリからローマ大賞を勝ち得て、古風な理論専行のフランス音楽界には数多の敵ばかりを作りながら、メンデルスゾーンやリストと親交を結んだベルリオーズは、こんにちの視点からは「ドイツ的作風」とみなされがちですけれど、それは誤りではないかと思われます。
彼がまさにフランス革命後半の混乱期(ナポレオンの凋落後の王政復古期から七月革命、さらに二月革命)に生きていた、そしてその時代にふさわしい「響き」を、意図するとせざるとに関わらず提供しなければならなかった、という点の理解なくしては、一聴しただけでは仰々しくしか感じられない危険性もあるベルリオーズの音楽設計の要を見失う結果を招くのではないでしょうか?・・・いま日本でもっとも素敵なシンフォニストYさんが、啓蒙書の中で、ベルリオーズは音楽ではない何ものかによってベルリオーズたり得た、と、彼の音楽的才能はあまり評価しないご発言をなさっていますが、ベルリオーズ自身の言葉を信用してやって当時のパリの聴衆の「やかましさ」ぶりを考慮するならば、狂躁的なベルリオーズの創作のためには、彼が今のように静粛に作品を聴いてもらえる環境にはなかったのだ、と弁護してやりたい気もします。

フランス社会史からみれば、ベルリオーズはまったくもって時代の子でした。
ローマ大賞の審査のときは七月革命の真っ最中で、彼のたしかな自覚は無かったようではあるものの、数回の挑戦で最後に優勝し得た背景には、やはり革命による世間の価値観の変動が音楽の世界にも及んでいたことに関わっている気がします。ベルリオーズの回想録には、ベルリオーズがしばしば音楽院の教授陣から「和声の禁則を犯している」とみなされ、ベルリオーズがとくにベートーヴェンを盾にして抗弁している場面が散見されます。
また、同じ回想録で、ベルリオーズ自身がモーツァルトについては「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナのアリアにベルリオーズ的価値観から(すなわち当時のフランス文学的な価値観でもあるかと思いますが)すると欠点があるとみなしていたり、イタリア遊学中はパレストリーナの定型的なパターンを、宗教音楽と世俗音楽をかき分けられなかった能力不足の証としてこきおろしてさえいます。

果たして、そんなベルリオーズの標題的な「交響曲」(声楽を伴う作品、独奏を含む作品をも、彼は「交響曲」と名付けており、この点ですでに、ドイツの「交響曲」の概念と一線を画しているのを私たちは見て取ることが出来ます)の定義は、世代がかわって、マーラーによってようやく、それもベルリオーズより遠慮がちと言えなくもないやりかたでドイツ圏にも取り入れられ、しかもまたすぐにドイツ圏では採用されなくなっているのでして、これは注意しておかなければなりません。
過激なベルリオーズは、じつは現在では、ある種の受け入れざるを得ない「異端」として、暗黙のうちに私たちに認知されているにすぎないのではなかろうかと思います。

ヴァーグナーもまた革命の時代の子であり、マーラーもその延長にあることに思いを致すとき、ドイツ圏のこうしたある種大音響的な作風を持った例から類推すれば、ベルリオーズの特異性は時代に依存した、と考えるのが妥当なのではないかと感じます。
しかも、次世代のドイツ陣が「ドイツの伝統」に固執し、ナショナリズムにつながっていったのと比較したとき、ベルリオーズの自由さは、いっそうグローバルな印象さえ与えてくれます。ちなみに、彼は評論(「音楽のグロテスク」)のなかに好んで南米の逸話を取り込んでいます。その荒唐無稽さは当時の世界の理解度の程度をも示していて、他の人物の著作ではなかなかお目にかかれないだけに、貴重な読み物となっています。)

ソヴェト・ロシアにおけるショスタコーヴィチの、政府へのお義理風な式典音楽の提供ともまた違い、音楽的役割を同じくするベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」~大規模な吹奏楽作品~の激しさは、作曲者の強靭な主張・・・喧噪のなかでどうせかき消されてしまうであろう自分の音楽をいかに群衆の耳にねじり込むか、という強烈な意図・・・によって聴き手を圧倒します。急速に進む社会変動の不安な影が差しているかもしれないとはいえ、そこにはまだ、時代が希望を失っていない証がはっきりと存在します。回想録の中でも、自身の言葉で、この作品を彼が大規模な吹奏楽に仕立てるにあたって、音響を式典の中で可能な限り群衆の耳に聞き取らせる意図があったこと、なおかつ、それでも実際の式典では聴きとれなくなることを見越して、公衆の面前でプローベを行なって音楽作品としての価値をアピールしておいたこと、を明記しています。

とはいえ、ベルリオーズが単なる喧噪のみの作曲家だったら、さて、前述のパガニーニからの寄付事件のようなエピソードが生まれえたでしょうか?

管弦楽法の大家としての華やかなオーケストレーションに隠されたベルリオーズの書法は、最も有名な幻想交響曲にしても形式が伝統的ではないというだけであって語彙は意外に古風な面もあり、意表をついた転調や複雑な和声を用いてはいません。あるいは同時代のドイツ的な音楽よりも旋律依存度が高かったり、そのため、構成力の強い音楽作品を聴き慣れた耳には、ベルリオーズの彩り豊かな楽器法がときに「同じ音型の浅薄な衣装替え」のような印象を与えることがあるのかもしれません。しかしながら、「浅薄な衣装替え」は、それだけ色合いの変化の激しいものを素早く切り替える、いわば現代のファッションショーがドレスを観客に印象づける際の手法に通じており、したがって実は浅薄どころではなくて感覚にまっすぐ突き刺さる斬新さの方が同時代人にとっては際立っていたものと想像したほうが正しいのではないか、と私には思われます。

リストは他の同時代の若手音楽家同様、ベルリオーズに魅入られた、というより、いち早く幻想交響曲をピアノ独奏に編曲して流布させることを通じ、とくにドイツ圏でのベルリオーズ認知に最初に最大の貢献を成し遂げたのでしたが、そんなリストが
「ゲーテのファウストをまだ読んだことがない」
と告白したとき、是非読むように勧めてくれたのがベルリオーズだったことは有名です。

ベルリオーズによる「ファウストの劫罰」には、喧噪どころか、諸処にむしろ繊細な色づけがなされていること・・・それはグノーが同じ題材を使ったオペラ(これは私の好きなオペラのひとつなのですが)よりも際立っていると見なしても良いくらいであること、は強調しておくべきでしょう。
同様の、「幻想」第4・5楽章や「葬送と勝利の交響曲」のほとんどの部分(最後のほうには清らかな調子を聴き取ることが出来ます)とは異なるデリケートさには、「イタリアのハロルド」や「ロミオとジュリエット」では比較的高い割合で触れることが出来ます。

今回、音のサンプルは付しませんが、リストは、大賞受賞者が滞在を義務づけられたローマから帰って来たベルリオーズが催した「幻想交響曲」とその解決編(とベルリオーズが称した、かつたしかに幻想交響曲の断片が援用されてもいる)「レリオ」をメインとした演奏会にショパンとともに友情出演しています。この演奏会は、実質上、それまでのベルリオーズの片思いを結婚へと成就させるおおきなきっかけとなったものでもありました。

で、幻想交響曲についてはピアノ独奏への忠実な編曲を行なったリストでしたが、「レリオ」のほうはその主題に基づく「交響的大幻想曲」として、ピアノ独奏を管弦楽が伴奏する作品として自由な編作をしています。幻想交響曲の断片は取り除かれ、原曲「レリオ」冒頭でピアノ伴奏で歌われるテノールの歌にはベルリオーズよりも入り組んだ和声と音型を用いた潤色を施していながら、なおこれを「編作」と言わなければならないのは、原曲の枠組みは(気付きにくいことながら)きちんと残されているからです。
リスト作品のオーケストレーションがまた、管弦楽法の名人であったベルリオーズをもしのぐほど豊潤なのですが、この作品が成立した1834年当時はリストはアシスタントにオーケストレーションをしてもらっていたとのことですから、こちらの素晴らしさの名誉はアシスタント氏に与えられるべきかもしれません。いずれにせよ、「レリオの主題による交響的大幻想曲」は、ずっとのちのラフマニノフの協奏曲を想わせる名品です。

リストがベルリオーズから引き継いで発展させたものは、こうした編曲・編作活動による直接的なものよりは、むしろ
「ファウストを読むべきだ」
と示唆してくれたその浪漫的精神、他の諸作よりも「ロミオとジュリエット」にいっそう明瞭な外的・内的場面描写の効果への開眼だったかも知れず、一連の交響詩、なかんずく「ファウスト交響曲」は、ベルリオーズとの邂逅無しには誕生し得なかったのではなかろうか、と思っているところです。

うまくまとまりませんでしたが・・・パガニーニを観察した上で、ならば、もう少しきちんと整理がつくでしょうか。そう努めたいと存じます。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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