TMF5月23日練習メモ
上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。

練習内容そのものより、通して感じたことを大雑把に述べてみたいと存じます。
さて、最初に、某団員さんのお話を伺って「そりゃ道理だ」と感じたことがありますので、それをちょっと。
「とくに管楽器に、吹きながら合間にスコアを一生懸命見ている人がいるけれど、ちょっと違うんじゃないかなあ。演奏中は流れを<聴く>ことに注力すべきであって、スコアを参照するのは、練習中であれば注意の<確認>のときだと思う」
・・・瞬間瞬間の響きがどうなっているかも重要ですが、全体としての音楽がどうなっているかに耳を傾け続けていることは、「集中」の上での欠かせない条件であり、これなくしてはいざトラブルだ、というときの対処も出来ないでしょう。
至極尤もと思いましたので、綴り留めておきます。
<ブラームス第3 第2楽章>
作曲者にとっては作り上げた音楽そのものがメッセージですから、作曲者が
「この作品のこの部分はこういう内容だ」
と述べていることは稀だし、述べてしまったら邪道なのだとも思いますが(んじゃ武満徹は邪道か?・・・なる細かいことは吹っかけられても論じませんけど)、言葉で述べるとしたらどのような言葉だったのだろうか、ということは享受者としての私達は常に想像をめぐらしておく必要はあるでしょう。とくにアマチュア演奏がボロを出しやすいのは、意外にもゆったりした音楽でありまして、この楽章ですと「・」のついた四分音符とついていない四分音符をどう区分するかによって
「ああ、こいつら、わかってるか、わかってないにしても考えてるか」
と聴き手にしっかり受け止めてもらえる(失敗すればそこで席を立たれる)のでしょうね。
で、スラーのついていない四分音符も、練習記号Cの部分やGの部分はベタでは次の二分音符にくっつかない。骨と骨の間に軟骨が必要なように、粘着力のあるクッションとしての「間」が必要です。息のスピードないし弓のスピードを「微分的には」四分音符と二分音符の接続というタイムテーブル上でどのように変化させるか、を計るのは大変な作業ですが(個人的にはここにはルバートが介在するのではないかと考えております、非があるようでしたら是正しますけれど)、センテンスを成り立たせるための計量を怠らないのがよい仕上げへの第一歩となるかと存じます。
<同 第1楽章>
じつは、練習記号Lのところを私はまだ読み切っておらず、「どうせ弦楽器はユニゾンだからサボれるな!」とタカをくくって弾くふりだけしておりましたが、ふたを開けてみたら誰も弾けていないではありませんか!!! (^^;
・・・まずは、弾かなくていいから、読みましょうね。はい、私もです。(T_T)
ローカルな話はこれだけにしまして、とにかく楽章全体、ブラームスは小節線から音楽をずらすことをわざと意識して意地悪な組み立てを徹底して行なっています。のみならず、素直に流せば済みそうな部分でも、シンコペーションを噛ませて、固定的なリズムが際立たないように曲を構成しています。したがって、音楽が常に横に流れるようにとの要求が作曲家によってなされているわけですが、それを実現するためには演奏者は非常に厳格な「カウント」を要求されます。全体の指定からあえて「外した」移動拍に寄り添ってしまった方がラクだから、と、思ってしまいがちですが、極力厳格に、小節内の拍をカウントしてみて下さい。もう少しかっちりとした響きになるはずです。次回この楽章を練習するときにそれを心がけていれば、本番には「拍ズレを意識させない」演奏に出来ると思います。
<サン=サーンス第1曲>
ブラームスの第1楽章のような意地悪さが無い分、拍をカウントしていないのがよりはっきり分かってしまいます。足踏みしたり体を揺さぶったりのカウントはすべきではないと信じますが、胸の中で常に「123|123|123」あるいは「123|456|789」のカウントを、できればこういう整数単位ではなく、0.5ポイント単位でなさって下さいますように。
<「魔笛」序曲>
・・・南無三!
ズレたらズレっぱなしで演奏するのだけは、やめましょうね~。(T_T)
それから、えっと、魔笛には「象サン」が登場するんでしたっけ?
あっ、そうか、最初の場面に怪物が出てくるんだった!
すぐやられちゃうやつが。

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