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2010年5月15日 (土)

大雑把まとめ:ドイツ・クラシックがメインとなった事情

ひゆうことはさんの個展は5月16日最終日。12:30からリューティスト橋口淳一さんが生演奏します!



上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月20日(木)船橋市民文化創造館
・5月22日(土)旧安田楠雄邸(千駄木)
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。

アマチュアオーケストラ、東京ムジークフローの定期演奏会は、6月19日、浅草公会堂にて

別口がまだまとまっていませんが、頭のなかはぐるぐるしてます。
本日は、ちと、さぼりです。あるところにコメントさせて頂いたものを、ちょいとだけ手直しして載っけます。不備にはご寛容を!!!

ドイツ・クラシック音楽至上なる価値観の淵源と是非については、石井宏・渡辺裕・岡田暁生諸氏のご著作が様々お述べになっていますが、

大崎滋生氏「音楽史の形成とメディア」(東京書籍 2002)

にも示唆的な一節がありますので、まず引用してみます。

「・・・ショパン全集はフリードリッヒ・ショパンというドイツ名で刊行された。またベルリオーズにしても、生前に彼を受け入れたのはパリではなく、ドイツ各地の聴衆であって、彼は故郷ではむしろ孤立していた。つまり『全集』に名を連ねるすべてはドイツ音楽文化が生み育てた音楽であった。それに対して、パレストリーナを含めておよそ10名の”遠過去”作曲家のうち、パーセルはロンドンのノヴェッロ社からの、またラモーはパリのデュラン社からの委託による出版であった。イギリスでは古楽の復興はむしろドイツに先んじていたわけであるし、その他の国々でも19世紀終盤に及んで、ドイツと対抗して、自国の過去の音楽遺産を復興する運動が始まり、それぞれの文化英雄の業績の記念碑を立て始めたのである。ときは第1次世界大戦の前夜であった。」(244-245頁)

19世紀にはいってからのこういう動きに伴って、「高邁な精神性」が「娯楽性」を凌駕していったさまについても、大崎著から伺い知ることが出来ますが、この手の話の名人は渡辺さんでしょう。

日本ではなぜ、ドイツ受容が大きな中心をかたちづくってしまったのかについては、千葉優子さんの「ドレミを選んだ日本人」(音楽之友社)なども有益な資料になるかと思います。最近は、幸田姉妹についての本も出ましたが、私はまだ読んでおりません。 (中公新書「漱石が聴いたベートーヴェン」にも幸田姉妹の話が登場します。)

アメリカ合衆国については、オーケストラ成立などはフォローしたことがないので、初期については分かりませんが、とくに劇場音楽には第二次大戦が起こるまでは、イタリアとドイツのオペラを渾然一体受容した結果、ヴェルディとヴァーグナーの流れが混じり合います。ところが、前者の流れに器楽作品が希少なため、クラシック全般としては、かの地もドイツ音楽の支配下に置かれることになりました。ガーシュウィンがフランスで得た成果は、フランス音楽ではなくてロシアバレエのものでしたが、ロシア音楽もドイツ亜流と言えます。 合衆国に実質上移住したコルンゴルドも同様の延長線上で活躍したのでしたね。

ドイツ・クラシック至上主義はシューマンの評論活動によって権威づけられたとの見方が一般的なようですが、大きな流れとしてのシューマン路線は確かにナショナリズムの尖兵にはなれませんでした。それでも、ウェーバー(をかついで)の試みはシューマンも引き継いでいて、「ゲノフェーファ」なる歌劇を作っていますし、管弦楽伴奏の劇的声楽作もあります。これが実はベルリオーズやメンデルスゾーンからの流れの「ドイツローカル化」であることには留意すべきでしょう。そうして見てくると、シューマン路線は最終的にヴァーグナー系に吸収されたのだという観察も成り立ちます。
メンデルスゾーンのバッハ『マタイ受難曲』蘇演が大きなきっかけとなって初めて専門家以外からの敬意も勝ち得た大バッハ、リストやクララ・シューマンの演奏活動とヴァーグナーやロマン・ロランによる喧伝で音楽史上での地位を確固たるものとしたベートーヴェンと並び称されるようになった、3Bのうちのブラームスについては、ビューローを介してヴァーグナー系にとりこまれたブラームスを見てとる必要があるかと思います。・・・フルトヴェングラー流のブラームス演奏はヴァーグナー系なわけです。

ドイツ・クラシック至上の価値観は、だいたいこんな感じで醸成されて行ったものではなかったかと思っております。

オペラにつきましては、浅草オペラは日本の特殊事情で、初めはお雇い外国人さんを軸に華々しく始めた事業だったのが、雇用の切れたかの外国人が継続を試みるも日本人メンバーと対立したり経済破綻したりして、という事件を経て、有志が「人気のとれる」軽い演目で浅草の舞台に乗せるようになったのでして、この時点ではまだ「ドイツローカル化」されていません。パトロンや指導者にドイツに近かった連中が入りこむことからドイツ化が進んだのでして、このあたりの経緯は先の千葉さんの本の他、近衛秀麿伝記などから見えてきます。

したがって、オペラも第二次大戦敗戦までは他の「クラシック」と並行で見ることは可能でして、敗戦で日本経済が既存の形態を維持出来なくなった時点から、また別の動きになっていくのです。
このスタート地点はドイツも日本と似ています。ただ、敗戦前に長い時間をかけて定着していたジャンルだけに、復興のありかたが違った。ただし、演出はもはや昔に帰れませんでした。背広で演じられるロウコスト歌劇はドイツの産物ではなかったかしらん? バイロイトはとくに、伝統的な意匠をかなぐり捨てることで、染み付いてしまっていたナチズム色の払拭を図ったことも、あらためて認識しておきたい点です。

・・・お粗末様でした。m(__)m


oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました。また掲載します。とりあえずバナーに大井さんのブログ記事をリンクしました。なお、門仲天井ホールで年9月に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われる模様です。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。
oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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