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2010年5月24日 (月)

曲解音楽史69)近代東南アジア

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。とりあえずバナーに大井さんのブログ記事をリンクしました。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

過去の音楽史関連記事はこちらの「曲解音楽史:総合リスト」からご覧頂けましたら幸いです。

51rvpxsm57l_sl500_aa300_近代は、イギリス・オランダを主としたヨーロッパ海洋国家がイスラム陣勢力の商流を抑止することにほぼ成功すると同時に、折から貨幣経済も爆発的に進行したため、これらの海洋国家は、稀少だった外国産品を大量に持ち帰って富を得ることに貪欲さを見せはじめて、既にスペイン経済圏に含まれていた中南米以外に、アフリカや(強固なイスラム圏は迂回して)インド、東南アジアをも自らの経済圏に取り込むことに躍起になり、結果として、歴史上の括りとしては「植民地経済」と呼ばれて総括される不幸な時代の幕を上げてしまいました。
同時期にヨーロッパ自体が「革命」と称される政体の一種強制的な変換により大きな揺れを見せていたにもかかわらず・・・というよりは、むしろそれゆえになおさら、植民地経済への流れは加速する一方でした。

アフリカの変貌は、過去の記録が充分把握されておらず、インドや東南アジアは歴史を綴らない国柄だったせいか不明瞭で(但し、東南アジアはまだ史書として体系化されていないだけで、見つかっている史料からは村落共同体の自治がわりあい高度に進んでいたことは分かっています)、影響の大きさが読み取りにくい面もあります。けれども、極端に言ってしまえば、「歴史」不要だった各地に「歴史」観念を植え付けたことそのものが、悠久なものとしてあった時間観念を小刻みな数字に置き換えてしまう、なる、不可逆的な感覚変貌をもたらしたのが最大の影響だったのかも知れません。

斎藤照子「東南アジアの農村社会」(山川出版社 世界史リブレット84 2008年)は、ビルマの調査を中心に、植民地化前と植民地化後の価値観変貌を知らせてくれる、ささやかながら内容の濃い冊子です。
以前は不明瞭でも差し支えなかった村境がハッキリ定められなければならなくなったいきさつ、村長が「威厳」のある存在から「権力者の出先」となって人々に軽んじられていくさま、貨幣に替え得る作物への転作の進行・・・あれもこれも、なにやら慌ただしくなってきたかのようです。

ビルマはその後の政体の関係もあってよくわからないのですけれど、インドネシア周辺やタイ方面の芸能のありかたが変貌をみせるのは、この頃のことだったのではないでしょうか?
バリ島のケチャが、じつはドイツ人の指導のもとに体系化されたのだ、というのは有名な話になりましたが、これは二十世紀初頭のことであるとはいえ、環境条件は十九世紀末までのプロセスで準備されていたと思っておくべきでしょう。
地域的には離れて恐縮ですけれど、インド東部のものだったかと記憶しておりますが、数日かけて演じられていた芸能にも、せいぜい一夜だけ、なる制約が課されていきます。観衆となるべき人々の生活リズムが、細かく分断されるようになったかららしく思われます。

ケチャは比較的耳にされる機会も多いかと思いますので、ここではワヤン・クリ(水牛の革で作った人形を用いた影絵劇)の音楽からご紹介しておきましょう。
同様の芸能はバリ島やマレーシア方面にもあるそうですが、ここに音を掲載しますのはインドネシアのソロ市(中部ジャワ)のもので、夕方から翌朝に九時間かけて演じられる伝統は十八世紀には確立していたとのことです。伝統的なガムランによるのは今日では貴重で、近年はポップミュージックによることも増えた由。田村史子さんというかたが名人キ・クスデ・カスドラモノ(2008年に76歳で逝去)に乞うて3時間に縮約してもらった苦労の録音です。内容はヒンドゥの物語です。クライマックスの戦いの部分の語りと音楽です。

ワヤン・クリ
KING RECORDS KICW 85054/6

柘植元一・植村幸生編『アジア音楽史』(音楽之友社 1996)では、東南アジアの植民地化された時期(17世紀から第二次世界大戦終結まで)を、この地域の音楽の成熟期と位置づけていますが、その理由として挙げている中に、数字譜や五線譜による記譜がなされるようになったこと、西洋音楽の導入(シンフォニーオーケストラの育成)がなされたことが含まれているのには、ちょっと考えさせられます。一方では西洋音楽の導入は限定されていたと読み取れる記述もあり、もう少し明瞭に、当時の事情を窺ってみなければ、このあたりはよくわかりません。

現在私たちが東南アジア諸国の伝統音楽として耳に出来るものの殆どが、おそらくこの時期・・・十八~十九世紀に成立したことは、ほぼ間違いないのではあろうと思います。ただし、それがヨーロッパ音楽におけるようなナショナリズムへの動きには必ずしも結び付かなかったのは、ベトナムを除く東南アジア諸国が既に成熟した打楽器文化をある程度共有していたこと(ビルマ~タイ~インドネシアのゴング、マレーシアでは少し変わりまして太鼓の類い)と関わりがあるのかもしれず、もし西洋音楽導入云々を詳しくしていきたいとなると、音楽面にみられるような、個々の独立国家(王朝)の存在ににもかかわらず、海洋の民であるだけに、何らかの大きな経済圏なり文化圏のまとまりを想定した上で、植民地化に伴うその分断のプロセスをよくよく見直してみる必要もあるのではないかと感じております。

なお、この時期の末期(1939年)に日本人、黒沢隆朝が東南アジア音楽調査を3ヶ月に渡って行なっており、その日記が梅田英春編『東南アジア音楽紀行』(大空社 1997年)として刊行されていますが、日記上での黒沢の関心は楽曲よりは楽器に向けられており、芸能としての東南アジア音楽の様子を知り得る資料としては物足りないのですけれども、付録にある3つのエッセイは(大東亜共栄圏的価値観が含まれていることは時代を反映しているものですから割り引いて読まなければならないものの)タイの音階や歌唱様式、ジャワ音楽の分類、当時のバリの音楽状況をまとめたり、インド系か中国系かの分類の簡単な試みをしたり、それらと西欧音楽を対比して「西洋音楽も所詮は民族音楽のひとつであって」なる、時代的には結構思いきった言葉を述べていたりして、目にしておくべき書ではないかと思います。この本のちょっとした文から、マレーではすでにヴァイオリンやギターやウクレレが普及していたらしいことも見えて来て、興味深いものがあります。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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