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2010年5月 7日 (金)

モーツァルト:1780年の歌曲たち

深谷明弘さん、野崎浩孝さん「マンドリンDuoコンサート ~青山忠マンドリンDuo曲集4に寄せて~」は、5月9日(日)静岡市みずほ公民館で。14時開演です。



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

歌曲については1780年の作品として

「偉人達の栄光に感謝せよ」K.392
「孤独に寄す」K391
「希望に寄す」K.390
「満足」K.349
「おいで、愛しのツィターよ」K.351

をあげておいたのでしたが、K.349とK.351が、あとで採り上げることになる「イドメネオ」の上演のためにモーツァルトがミュンヘンに滞在中作曲されたこと以外には明確ではなく、K.390〜K.392の3曲は以前は1781〜82年の作曲と思われていたもので、最近1780年作と考えられるようになったとのことです(「モーツァルト全作品事典」p.128 訳者注参照)。

まだザルツブルク滞在中に作られたハ長調交響曲(K.338、8月29日の日付をもつ)を採り上げるのが先でなければならないのですが、この交響曲にはもう少し検討すべき面白い特徴があるので、ちょっと時間をおき、まずは歌曲の方を見終えておきましょう。

まず、K.390〜392の三作については、まとまった作品群であること以外には、アルフレート・アインシュタインが『モーツァルト その人間と作品』の中で
「モーツァルトがどれほどよくベルリーンとハムブルクのカンタータ的なリート様式に適応していたか」
(訳書512頁)を示す例として・・・アインシュタインのこの言葉自体は偽作で父レオポルトの作であるK.149、150、151が「レーオポルトの作でないとするならば」と冠したものですが、そのすぐあとに明らかにアマデウス・モーツァルトが立証した例としてK.390以下を挙げています・・・、
「彼はそれらを明らかに或る年鑑編集者の依頼によって、しかも当時流行のJ.T.ヘルメスの長編小説『メーメルからザクセンへの旅』への挿入曲として、作曲したのであった。」(同)
と述べているのが目につきます。ヘルメスの小説について私は他に何も情報がありませんので、アインシュタインの言葉の裏付けをとる術を知りません。が、アインシュタインの発言が真かどうかを措いても、これに続く彼の記述はこれら3曲についての、いまのところ最も妥当なものであるように感じております。

「そのテクストはこの長編小説全体と同様に味もそっけもないものであり・・・(中略)・・・これらのリートのうちの二曲に見られる本来の表現手段----和声法は、それにふさわしいものである。つまり半音階法、減和音なのである。最も密度の高いものは『希望によせて』(An die Hoffnung)・・・(K.390)の歌であるが、モーツァルトはテクストの第一節に作曲せず、最後の節に作曲した。なぜなら、テクストの意味と表現とが完全に一致しているのはこの節だけだからである。またもやモーツァルトの演劇的な敏感さが証明されている。」(同、512-513頁)

K.392には「冷静に、満足して」、K.391には「悲痛に、だが落ち着いて」(『全作品事典』ではなく、アインシュタイン著訳書の訳のほうによった)、K.391には「節度をもった動きで」とのドイツ語標語が付せられており、これが上記の小説(当時流行の感傷主義的作品だとのことですが)から採られた詞に基づくが故に、そうした散文的な歌われ方を要求したものであるかに見えます。ただし、それにふさわしい「味もそっけもない」ものというには、特に後者(13小節、4番までのト短調3/4拍子)に頻出する減和音は彩り豊かで、案外それほど複雑ではないK.392(17小節【実質16小節の繰り返し】4番までのヘ長調2/2拍子)の方はイキイキした律動をもっていて、モーツァルトの付した標語は、それらが大げさに歌われすぎることを抑制する目的を持つと考えた方が良いのではないかと思われるくらいです。
K.390はタイトルとしては「僕は小径を行くだろう」のほうが歌詞に沿っています。13小節4番まで、に2小節の後奏を付したヘ長調2/2拍子の、これは標語にふさわしい、落ち着きを感じさせるメロディラインに、先の二曲にもまして豊かな和声が付せられた歌曲です。

K.349とK.351はマンドリン伴奏による歌曲で、ミュンヘンのホルン奏者マルティーン・ラングの為に作られたとのことですが、この人物について、モーツァルトがどう言ういきさつで交流を持ったのかの資料を私は今のところ見つけておりません。書簡あたりを丁寧に読まなければならないのかもしれませんが、今回は断念しました。
どちらも6/8拍子で、雰囲気もよく似ています。
K.349はト長調で前奏6小節、歌曲本体と後奏が16小節の、6番まであるもの。
K.351はハ長調で前奏3小節、歌曲本体と後奏が20小節(間奏3小節)の、2番までのものです。
メロディラインはK.390〜392に比べると地味で、いずれも歌の音域が1オクターヴにとどまっていることから、気軽に歌える歌として作られたと想像しても間違いではなかろうと思います。


oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回が楽しみです。なお、門仲天井ホールで年9月に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われる模様です。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。 大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。
oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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