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2010年4月11日 (日)

井上ひさし氏逝去

ご冥福をお祈り致します。享年75歳の由。

朝日新聞web http://www.asahi.com/obituaries/update/0411/TKY201004110009.html 4時6分

毎日新聞web、産経ニュース 現時点で見つけていません。後者はすでに上がっているはずなのですが。

戯曲は新作を覗き全集出版されていますね。いま、これだけ「ウケる」戯曲、客席の目のほうを大事にした戯曲を書く日本人は皆無ではないかと思います。

小説もずいぶん読ませて頂きました。愉快な傑作が多いですが、「四十一番の少年」のような暗い作品も忘れ難いものがあります。

思想、とくに晩年のものには(「ひょっこりひょうたん島」あの世説)私自身は共感出来ない・・・本当でも黙っておけばいいのに、と感じたりして・・・部分も少なくありませんでしたが、それでも作品は大好きでした。

宮沢賢治、樋口一葉、太宰治を巧みに紹介した本(戯曲執筆時の材料をいかしたものですね)や、フランス座の往時をまとめた本も、有り難いご著作です。

子供時代はお母様がご苦労なさって、仙台の施設に預けられての中学・高校時代でしたが、中学時代から同窓者の注目を集める秀才でいらしたとうかがっております。
高校時代の井上さんたちのマドンナが若尾文子さんだったという逸話も、「青葉繁れる」以前から仙台ではよく知られた話でした。仙台で育ちましたので、懐かしく思いだします。

肺がんとの闘病、お疲れさまでした。

以下は、Yahooニュースに引かれた産經新聞の記事の転載です。



小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。

井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。

44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。

小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。自他ともに認める遅筆で、台本が間に合わず公演が延期となることなどから、「遅筆堂」と自称していた。

一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。

戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。

●=マダレに「夏」

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