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2010年4月 3日 (土)

「魔笛」序曲理解の上での注意喚起事項2(自筆譜)

ギタリストの増井一友さんが、4月11日に世良美術館(阪急御影駅そば)で新作を含む演奏会をなさいます。詳しくはリンク先記事にて。



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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日、終了:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん、各々30名様限定です)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。



『魔笛』序曲については
・序曲のみの音楽構成における、「形式分析」に関わらない留意事項
・自筆譜にはこうある、という、普段手に取る楽譜では見えない留意事項
の、おおきく二つのトピックがある

ということを前に申し上げ、1点目については掲載済みです。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-0adc.html

本日は2点目の方を簡単に述べます。

モーツァルトの歌劇自筆譜は、彼の創作過程を他ジャンルより明確に窺わせてくれる貴重な資料のようですが、残念ながら、置き場と価格の兼ね合いから、以前には『ドン・ジョヴァンニ』の抜粋ファクシミリ(上質なモノクロではあり、モーツァルトの手が最低で2段階入っていることは確認出来ます)しか見たことがありませんでした。
ただ、「イドメネオ」以降の全曲ファクシミリは、現在ではリーズナブルな・・・シンフォニー1曲とほぼ同じ・・・価格で入手出来ます。
『魔笛』については、全曲版自筆譜を参照しました。

歌劇全体としては『ドン・ジョヴァンニ』と作曲の進めかたは(あたりまえなのでしょうが)大変似ていて、声楽部分は当然ながら先に書いています。
器楽部は、大雑把に言いますと、第1幕の第8場までは、一部のナンバーを除き、最初は序奏部や歌のあいの手の主要な旋律とバスだけ、そして備忘のためでしょう、序奏に当たる部分等は伴奏を割り当てるパートに伴奏音型を最初だけ書いておいたようです。その他の音は後から書き加えられました。これは、何らかの事情で、この部分まではモーツァルトが作曲を急がなければならなかったことを表しているのかもしれません。第1幕については第9、10場は音楽はありませんので、次は第11場から作曲されているのですけれど、こちらは後で書き入れられたものの分量はそれ以前の部分に比べて格段に減っていて、これは第2幕でも同じです。第1幕フィナーレ以降はとりかかりのときよりゆとりが生まれてから書かれたのでしょうか。

序曲につきましては、作曲の進め方は第1幕前半と同じですが、初めに書いていなかったパートの書き足しは、少なくとも第1幕第8場までの書き足しよりは後の時期に行なわれていることが、書き足した際の筆跡もしくはインク色から窺われます。かつ、歌劇の本体部分には小節の加除が見られないのに対し、序曲では極めて重要な削除と加筆が2つの箇所で行なわれている点は、注目に値します。

まず、現在の印刷スコアの74小節と75小節の間には、最初、2小節のクラリネットソロが上行音型で書かれていました。これが削除されたのはスコアの補筆時だったようです。(写真1)

・写真1
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次に、現印刷スコア95小節は、現96小節の内容と同じものが一旦書かれ、それをいったん削除して付け加えられたものです。(写真2)

・写真2
Magifloeteovb

この2ヶ所の訂正は、音楽を着想するにあたって、モーツァルトは決してただ「浮かぶまま」を記していったのではなく、音楽の緊迫感が緩まないよう(最初の訂正)、あるいは響きが不足感を生まないよう(2番目の訂正)、考え抜いて書いていたことを証明しています。

序曲についてもうひとつ認識しておかなければならないのは、自筆譜にはトロンボーンパートの記入がないことです。
こうした場合、宗教曲ですと、第1トロンボーンはアルト、第2トロンボーンはテノール、第3トロンボーンはバスの補強なのですが(このことは「レクイエム」まで一貫しています)、『魔笛』序曲の印刷譜は、第1トロンボーンはソプラノ、第2トロンボーンは基本としてはアルト(和声のバランスで配置を換えている箇所がある)の声部を補強している(主要な旋律線と対比して見ること)のでして、扱いが宗教曲とは違っています。

経緯の詳細は分かりませんが、印刷譜の音符はおそらくモーツァルトの意志に忠実なのだろうと思われます。
従いまして、トロンボーンは宗教曲の場合との配置の違いを「どのように解釈して」吹くことになるのか、が、序曲の響きを決定づける大きな要因となります。ここでは演奏者は指揮者・プレイヤーがきちんと共通認識を形成しておく必要があります。

モーツァルトの音の縦横のバランス設計を明確に意識して演奏できるか否か、が、演奏者としてモーツァルトの努力をきちんと評価しているか、それともおろそかにしたままなのか、を際立たせるはずです。
加除によって産み出された緊迫感を損なうことなく、また、縦軸の和声バランスのなかで自パートがどんな位置づけにあるかをよく見据えて演奏しなければならない、ということを、演奏なさる方には肝に銘じて頂けましたら幸いです。



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日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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