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2010年4月 4日 (日)

モーツァルト:完成した「最後の」ミサ曲 付:オルガンソナタ3曲

ギタリストの増井一友さんが、4月11日に世良美術館(阪急御影駅そば)で新作を含む演奏会をなさいます。詳しくはリンク先記事にて。



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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日、終了:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)は大好評終了です。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

1780年がモーツァルトにとってザルツブルク最後の日々であったことは、とりわけ、完成したものとしてのミサ曲の最後のものが作られたこと、併せて、ミサの中で演奏されるオルガンソナタの創作は幕を閉じること、に象徴されているのではないかと思います。何故ならば、ミサに音楽を提供することがザルツブルク大司教に奉仕していることの象徴なのですから。

完成された最後のミサ曲となったK.337は、大司教コロレドの節約方針に則った、演奏時間のコンパクト化路線を引き続き保っているため、アルフレート・アインシュタインは次のように断定してます。

「それは言い伝えによって荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)と呼ばれているが、本質的には全くの略式ミサであって、グローリアとクレドは最も手短かに片付けられなければならなかった・・・」(浅井真男訳、白水社 p.465)

アインシュタインが「略式」とみなしたのは、この作品の位置を低く見ているからではなく、むしろ作品の諸処に見られる緊迫した書法を高く評価したいが為であって、モーツァルトに同情してのことではあったかと思われます。ですが、「モーツァルト全作品事典」でミサの項を担当したウィリアム・カウデリーは、

「ミサ・ソレムニスという呼称は、作品の長さというよりは、豊かな楽器編成に起因する。」

と述べています。(事典訳書p.29)

オーケストラの編成は、ザルツブルクでのそれまでの通例に倣ってヴィオラを含まない弦楽器群を基礎にしていますが、木管楽器はオーボエとファゴット(ファゴットは単純にバスの補強ではない・・・たとえばCredoの"Crucificsus"の前後)だけではあるものの、他にはホルンだけでなく、祝典用音楽であることを示すトランペットとティンパニが加えられています。

NMA(新モーツァルト全集)第4分冊に収録されたファクシミリ写真には、この作品の冒頭部が記載されていませんので、私には印刷譜においてはNMAがたんに"Missa"とだけ題しているのと、Carus版がタイトルの下に小さく"KV.337・Missa solemnis"と付記しているのと、どちらが正統なのかを判断することは出来ません。NMAの緒言にはカウデリーと同趣旨のことが書かれており、なおかつ「ミサ・ブレヴィスと見なす方が妥当」という趣旨を述べていますが、何故かについては注釈にある論文を読まなければ分かりません。

編成からして祝典に用いられたと考えられていますが、その祝典とは「枝の祝日」だったろう、と、海老澤敏『モーツァルトの生涯』にあります。枝の主日、のことでしょうか。これはイースターの7日前のもので、1780年には3月19日だったそうです。枝の主日は受難週の最初の日に当たりますので、とくにグローリアのの明るい性格は目的とするとなるとそぐわないのではないか、という気がしないでもありませんが、ベネディクトゥスが厳格なイ短調であることも、キリエが穏やかに始まることも、「イースター向け」とは言いがたいものがあります。まして、Credoについては当初「シャコンヌのテンポで」と計画されていたことが残された自筆譜から判明しており(これはNMAに写真が掲載されています)、オーケストラ部も声楽も力強く重厚なユニゾンから始まるこのクレド初稿(136小節、cujus regni non erit finis すなわちあと少しで完成、というところまで書き終えてある)のを考えあわせますと、当時の感覚としては、「枝の主日」でも、現完成作の華やかなグローリアは特段違和感はなかったのだろうと思ってよいかもしれません。

すると、話は戻るのですが、もし目的が「枝の主日」で演奏されることだったとすれば、・・・もともとMissa brevisとMissa solemnisの境目は明確とは言いきれないにせよ、文を重複させるのが前者の創作技法だとすると・・・単に音楽が短い時間で演奏可能だからMissa brevisだ、としてしまう発想はMozart当時には必ずしも当てはまらないのではないか、異なる言葉を並列で扱うことのない本作は、「伝承通り」Missa solemnisとして人々には認識されていたのが実態なのではないか、と推測される気がします。

ハ長調のこのミサ曲(K.337)の構成は、以下の通りです。

Kyrie (Andante 3/4, 56小節) ハ長調
Gloria (Allegro molto 4/4, 99小節) ハ長調
Credo (Allegro vivace, 3/4, 176小節, 57-79小節はAndante) ハ長調
Sanctus (Adagio 4/4 8小節目まで)-Hosanna (Allegro non troppo, 27小節まで) ハ長調
Benedictus (Allegro non troppo, 4/4, 34小節目まで) イ短調 〜 Hosanna(53小節まで) ハ長調
Agnus dei (前半Andante sostenuto, 4/4, 34小節まで, 変ホ長調〜後半Allegro assai, 3/4, 119小節まで, ハ長調)

アインシュタインが特筆しているのはBenedictusが「峻厳なイ短調の、厳格をきわめた対位法的書法による長大な楽曲であり、しかもいつものような《主の御名によりて来り給う者》への柔和な挨拶ではなく、むしろ哀悼と弾劾のようである----或る意味ではなはだ《教会的》でありながら、やはり瀆神的な曲である」性質を有しているということであり、Agnus Deiについても「領主=大司教への義務を決して忘却していないことをコロレドに立証するためのように、オブリガート・オルガンとオブリガート独奏管楽器を伴う長大なソプラノ独唱を書き、トゥッティによって手短に完結させた」のであって、「1780年の反抗的なモーツァルトの性格にぴったりとかなっている」のだということです。

果たしてそうだろうか・・・そうであってもかまわないのですが・・・という疑問は感じます。

もし反抗的なムードを持つのだとしたら、それはモーツァルトが「最も手短に片付けた」とアインシュタインが見なしているGloriaの大音響が、そのまえの静かなKyrieのたたずまいを突然切り裂くかのように高らかと響き渡った時点で大司教およびミサの列席者を仰天させたはずで、この音響設計が既に、モーツァルトが決してGloriaやCredoを「手短に」片付けたのではないことを立証しているのです。Credoは、ほぼ完成に近かった初稿の「シャコンヌのテンポで」と比べると音の動きが細やかになっていますから、アインシュタインがそのあたりの差異に着目していないのは不自然に感じられます。とくにCrucifixusの部分は初稿が11小節であるのに対し、改訂稿のほうが15小節に拡大されているという点だけを取り出しても、また、初稿ではファゴットはバスと一体であったに過ぎなかったのが、前述のように改訂稿では(まさにCrucifixusの前後で)独立した動きをすることを観察しても、アインシュタインの見解はスコアを冷静に見つめる以前にコロレドとの対立という伝記的(しかも1780年の時点ではまだ表面化しているとは思えない)事実をフィルターにして作品を見てしまっているきらいがあるように思われてなりません。

さらに、Benedictus以降は調性設計に非常に意を砕いたことが明確に分かるようになっているので他のことが見失われているようですが、Sanctusに至まるでの、各章の冒頭部の書き分けにもたいへんな工夫がなされています。
まずKyrieは単声部がシンプルなバス(tasto soloです)にのって現れ、カノン風に重畳したのちに柔らかな世界が展開し、forteが持続することは全くなく(アクセントとして用いられているに過ぎない)、穏やかな曲調で一貫しています。
ところが、次のGloriaは開離型の主和音で、17小節間を一気に駆け抜けるforteで幕を開け、Kyrieとの対立を際立たせます。
Credoは、それに対し、密集型の主和音で開始するため、音が分散することで光を放つように聞こえた前曲にたいし、「信条」の力強さをまた明確に印象づけることになります。
Credoは初稿ではユニゾンでの開始でしたが、これは完成時にはSanctusの方に移されることになったようです。もしくは、Sanctusがユニゾン開始で着想されたのであったのなら、Benedictusのイ短調とあいまって、Credo初稿が破棄される要因を形作った可能性もあるでしょう。

「戴冠式ミサ」とともに、成熟したモーツァルトの腕が冴え渡った名品だと思います。

このミサと併せて演奏されたのが分かっているのが、K.336のハ長調の教会ソナタです。118小節からなる4/4拍子Allegroのこのソナタは、GloriaとCredoのあいだに演奏されたそうですが、穏やかに始まる曲想が、その穏やかさ故にむしろ過去の教会ソナタに比べてオルガンの活躍を華やかに聴かせてくれるものとなっており、ミサ曲のAgnus Deiのソプラノ独唱を伴奏するオルガンの細やかさとも呼応しているものに感じられます。

1780年初頭に書かれたとされるヘ長調K.224(もとは1776年作か、と考えられていた。Allegro con spirito 4/4, 101小節の愛らしい作品)、イ長調K.225(これもK.224とおなじように考えられていた。Allegro, 3/4, 121小節の明るい作品)では、K.336のようなオルガンの独立性はありません。これらについては書かれた来歴が判明していないようです。



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