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2010年3月 2日 (火)

モーツァルト:Regina coeli K.276

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!



F9120周年記念 ナーシャムジカマンドリンコンサート(川口雅行氏を迎えて)は、3月13日(土)静岡市「静岡音楽館AOI」にて。
幅広いレパートリーの音楽をいっときに楽しめるのはマンドリンアンサンブルならではです!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。大井さんは本3月1日、芦屋山村サロンでの「J.S.バッハ/フランス組曲(全6曲)」を終了、3日、同会場での「J.S.バッハ/イギリス組曲(全6曲)」です。2月27日の「松下眞一追悼個展」は大好評終了、「暗いとこでダイヤモンドが光ってるみたいにきれい」等の感想が寄せられています。音楽評論家、白石知雄さんが「はてな」でまとめていらっしゃる当日までの経緯、当日の充実ぶりが手に取るような文章で拝読できるのは嬉しいかぎりです。



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

ずっとサボっておりますモーツァルトですが、そろそろ次の年に移って行かなければなりません。
とはいえ、「ツァイーデ」はなかなかに手が付けにくいので、1779年の作であるかどうか不明ながら、先にK.276の"Regina coeli"に触れておくことにします。・・・いちど簡単に綴っているのですが、見直して気づいたことがありますので、ご容赦下さい。

推測では1779年のイースターの日曜日であった4月4日と続く金曜日、ペンテコステ(イースターから50日を経過したあとの日曜日)であった5月28日のいずれかに歌われたものであろうとされています。したがって、作曲時期は早くて3月、遅くて5月、とのことです。

管弦楽の編成は2つのオーボエに2本のトランペット・ティンパニ・ヴィオラのない弦(これがザルツブルク大司教の式典のための目印であることはご承知の通りです)・オルガン(バスパートに併せて書き込まれています)、四部合唱に各声部のソロ(アンサンブルになっている)が伴うもので、コンラートの作品表では(他でもそうでしょうが)教会小品に分類されているものの、156小節という長さは、編成の祝典的性格と併せ、また終始一貫した4分の4拍子、によって与えられる印象からして、この時期の単一作品としてはきらびやかで雄大に響きます。ハ長調であることも曲の風格を高めているといえます。

冒頭から間もなく、最初の独唱部四重唱の直前の"alleluja"はほぼ間違いなくヘンデルの有名な「ハレルヤコーラス」を意識しているのではないかと思われ、後年の「メサイア」編作を待つまでもなく、モーツァルトは遅くともパリ旅行までの間にはヘンデルの声楽による宗教作品に親しんでいたのではないかと推測したいところです。それが本作品の威風堂々振りに大なり小なり影響しているのではないか、と考えたくなるほど、実は、K276は単純にホモフォニックな作品ではなく、たいへんに緊密度の高い対位法的手法をふんだんに採り入れています。第1独唱部が終わったあとのallelujaの応酬(23小節アウフタクト以降)にもそうした片鱗が窺われます。これは曲中でライトモティーフのように用いられ、非常に印象的です。

独唱がアリエッタ的な扱いをされず、常にアンサンブルであることは、大司教から課された「式典時間の縮小」に対応したものではありますが、オーケストラによって始められる旋律を巧みに受け継ぐことで音楽の彩りを豊かにする上で見事な貢献をしているところは見逃せません・・・聴き逃せません、というべきでしょうか? しかし、これはスコアに明確に、大変美しい図として描かれているものでもあります。すなわち、最初の縦走にかかるときには、第1ヴァイオリンが高いところで奏でたメロディの伴奏は第2ヴァイオリンしか勤めておらず、それを声楽が引き継いで初めてその部分に音の厚みが加わる・・・そして声楽は器楽から独立を果たして行く・・・こうした様子は視覚的に見たときの方が狙いがより明確になります。かつ、この書法は、それまでの彼の作品にはあまり意図的なかたちで見られたとは思えず、最終的には「レクイエム」のDomine Jesuで見事に結晶する(声楽部はモーツァルト自身が完成した)ことにもなる、新技法でした。「レクイエム」により近いかたちでの応酬は38小節以降の"Quia quem meruisti"のほうであるかもしれませんが、トゥッティ(合唱)による短い間の手を必要としているところから見ると、こちらはまだ幾分散漫さが残るようです。かつ、この第2独唱部には(Domine Jesuには独唱の重なり合いとは非常に対照的なQuam olimが・・・切れ目こそないものの・・・音楽的な断層を設けているのに対し、K.276においては単純に重唱部を引き継いでいる点、音楽も「楽観的」になっています。

テンポが一貫しており、それまで八分音符主体で活発に動いている分、曲のほぼ中間点(71小節、曲全体の45パーセントを経過した位置です)に初めて"Ora"に始まる幅の広い、やや切ない音調の(長調でも短調でもない!)四重唱アンサンブルを置いているのも、モーツァルトの手法的成熟を存分に発揮したものと言っていいでしょう。後半はこれに「ハレルヤ」のライトモティーフを「目覚まし時計のアラーム」のように高らかに歌わせて音楽に急速のいとまを与えず、第1独唱部、第2独唱部の再現を続け、ふたたび祈りの独唱アンサンブルでつかの間の「跪き」をしたあと、最後の高らかなライトモティーフ合唱がそのまま第2独唱部のモティーフを今度は全員で高らかに歌い上げるのです。

一聴しただけでは「ザルツブルク時代の最後っぺ」の軽い作品に聴かれてしまう恐れもあり、そうした演奏もなきにしもあらずなのですが、なかなかどうして、表面的に壮麗なのではなく、内実がともなった作品です。
構造的には最初の"Ora"独唱部を折り返し点に持つ二部構成と、単純に見ておく方がよかろうと思います。


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