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2010年3月 8日 (月)

たどりにくい「歌」の歴史(1)

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!



F9120周年記念 ナーシャムジカマンドリンコンサート(川口雅行氏を迎えて)は、3月13日(土)静岡市「静岡音楽館AOI」にて。
幅広いレパートリーの音楽をいっときに楽しめるのはマンドリンアンサンブルならではです!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。2月27日の「松下眞一追悼個展」は大好評終了。音楽評論家、白石知雄さんが「はてな」でまとめていらっしゃる当日までの経緯、当日の充実ぶりが手に取るような文章で拝読できます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)が発売予定日より遅れましたが入手容易になりました。HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。



おさらい~バッハの創作対象となった舞曲(1)(2)(3)
おさらい〜バロック舞曲


今週の私の楽しみは、青木純さんのカンツォーネが聴けることです。

で、バッハのチェンバロ作品をじっくり聴く前に、バロック舞曲については簡単ですが一通り終えましたので、一段落おく・・・という訳では、実はありません。

バッハ、および関連して見てきたバロックの作例に、器楽でありながら「エア Air」と称したものを多々見受けます。行進曲だとかアントレと題されたものならば
「入退場のための音楽かな?」
とざっと推測しておいただけでもあまり重大なことはなさそうに思っているのですが、問題は「声楽曲の一種」であるはずの「エア(もしくはアリア)」がなぜ器楽になっているか、というところにあります。

以下、瞥見しただけですので、誤りは後々検証が必要だと思ってはおります。
が、ともかく、いま認識しているかぎりで綴ってみたいと思います。

「Air」は、様子を探りますと、15〜18世紀にまずフランスで発生した、カデンツ(定型的なバスの動きと、そこに乗せられる和声)上で変奏的即興を加える技巧的な歌曲を指したもののようです(白水社「図解音楽事典」p.111)。これは、途中の経過はともかく、ヘンデルと仲の良かったマッテゾンの認識ではあくまでフランスのものでして、
「単なる旋律要素と多少のギャラント性を持つ」
とされ、イタリアの創造的な主題を持つ「Aria」とは性格を異にしているというのです。
フランスのAirはぶっきらぼうに歌うことが出来るが、イタリアのAriaはより注意深く演奏しなければならない、と、彼は述べているとのことで、さらにフランスものは大部分伴奏無しで歌えるのにたいし、イタリアものは伴奏付きでないと成り立たないとも言っているのだそうです(佐藤望『ドイツ・バロック器楽論』)。

これが、イタリアではオペラが発展したのに対し、フランスはどちらかというと舞踏(バレ)主体であったことに何か関係ああるのかどうか、は、明確ではありませんけれど、そうなのではないか、と思いたくなります。・・・器楽としてのアリアやエアにはマッテゾンは声楽のようには記述をしていないそうで、残念ながら裏は取れません。

アリア(エア・・・あえて一緒くたにしておきましょう)の器楽化を待つまでもなく、本来的に「歌」を表す言葉である「カンツォーネ」のほうは、有名な例を挙げますと、ジョヴァンニ・ガブリエーリの一連のカンツォーナがあり、・・・これもいまは単なる思いつきから綴っている以上は憶測に過ぎないのですが・・・楽器を使おうが声を使おうが、実践としての音楽は、少なくとも中世から近世でのヨーロッパでは「歌」であると認識されていたが故の混在ではないのか、という気がしております。

カンツォーネ(やシャンソン)という語の元となったラテン語はcantusで、これは「歌曲」の他に「呪文・魔法・予言」という意味をも含み、これはラテン世界にとどまらず、人間が原初、音楽というものをどのように捉えていたか、に非常に密に結びついているかと思われます。
西岡信雄『楽器からのメッセージ』を読んでから、それまで耳にした民族音楽等を思い浮かべながら「なるほど」と考えさせられているのは、西岡著の「不気味な音」の節に採り上げられているのがおしなべて自然の「おそろしい音」(とは私が置き換えた言葉ですけれど)・・・地鳴り、海鳴り、山鳴り、カミナリ、嵐の音、滝の音など・・・である点です。そんな「おそろしい音」づくめのなかに、自然には微風の奏でるえも言われぬ柔らかな音、鳥がさえずる晴朗な音、なども混じっていて、そのすべてが「歌」の元になった、との印象は、以来いっそう強まっているところです。

ただ、それが本当に音楽に転じたのかどうかは、決して歴史に記載される性質のものではありませんから、それを生んだはずの人間にも永久に正体は分からないのではないか、とも思っております。

さて、解読された古代ギリシアの「歌」は例外としまして、ヨーロッパ世俗歌曲で成立時代が明確になるのはトルバドゥール(南フランス)・トルヴェール(北フランス)・ミンネゼンガー(ドイツ)における13世紀に盛期を迎えたものです。
おそらくは起源自体は当然ずっと遡るのでしょうが、これらは十字軍運動以後、中世期のうちに、意外に複雑化して行きます。

いま、先の事典からその様相を見ておきますと、大きくは1)連祷型・2)セクエンツィア型・3)讃歌型、にわかれていまして、現在に引き継がれる有節歌曲あるいはその若干複雑化したかたちの歌曲は3)の讃歌型に属しています。
この讃歌型は、グレゴリオ聖歌よりも先に成熟したアンブロジアン聖歌の歌い方を踏襲したものだとのことですが、アンブロジアン聖歌そのものではないものの、すでにアウグスティヌスの『告白』でこの有名な聖人の母が旅の途中船中で亡くなった場面のあと、どのような調べだったかは分からないものの、その場に居合わせた人々が聖歌を唱和したという美しい場面が描かれており、そのようにたやすく親しく人の口にのぼったことを勘案すると、元は聖歌でも、人々の気持ちを詩にして替え歌に仕立てるのも容易だった曲種だったものと考えてよいでしょう。

シャンソン・カンツォーネ・リートと呼ばれるものは、そうした替え歌の中でも「愛の歌」と認識されていくことになったもので、満たされぬ憧れや見せかけの成就を歌い上げることによって、各地に浸透して行ったもののようです。
その愛の素材については中世の騎士物語や『アベラールとエロイーズ』が提供し、さらに十字軍当時までヨーロッパと交流浅からなかったアラビアの恋愛詩(イスラームそのものでは制約が大きかったかもしれませんが、実際にアラブ文化の華だったのはペルシャのそれであり、私たちの想像を超えて豊富な恋愛文学が盛んだったとのことでもあります)が提供したもので、これが今日の流行歌としてのシャンソンにも、そしてもちろんカンツォーネにも踏襲されているのではないか、と想像することは楽しいことではあります。

では、それがなぜ一方では庶民を離れて(かどうかは確言してよいものかどうか分かりませんが)器楽化されて行ったのか、というのが、次の疑問です。
さらには、カンツォーネ、シャンソン以外になぜ技巧的な歌の種類が生まれて「エア」や「アリア」と呼ばれるようにならなければならなかったのか、との問題もあります。
さらに、エアはバロックまでに器楽に吸収され、一方でアリアがオペラの中に、あるいは主として貴族向けのコンサートの中に定着して行くことになるのですが、そんな間に、果たして歌としてのカンツォーネやシャンソンはどのようにして命脈を保っており、近代に至って大きく飛躍することになったのか、との、少し社会史から探ってみなければならない課題もあります。
数日間で追いかけきれるものではないので、取り急ぎは断片としての事象をいくつか探してみたいと思っております。

見つからなかったらごめんなさい。とりあえずはオペラに取り入れられて間もないアリアの例を挙げてみる所存です。


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