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2010年3月31日 (水)

落語「死神」の伝承

ギタリストの増井一友さんが、4月11日に世良美術館(阪急御影駅そば)で新作を含む演奏会をなさいます。詳しくは昨日記事にて。



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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日、終了:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん、各々30名様限定です)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。



「音楽を『読む』」というのとは、ちょっと関係のなさそうな話ですが。

61psmh32ewl_sl500_aa300_落語に『死神』というのがあるのはご存知かと思います。正確ではありませんが、こんな話ですね。

貧乏な男が死のうとするところを、死神に一旦助けられ、にわか医者に仕立てられ、「オレの仲間が見えたら布団をまわして仲間から遠ざければ患者の命は助かるから・・・ただし、オレにはそれをやるな」と伝授され、男はそれで大儲けをします。味をしめた男、お金持ちの家に呼ばれ、報酬のあまりの大きさに目がくらんでいつものように死神の居場所から患者を遠ざけるように布団をまわすのですが、なんだかその死神には見覚えがありました。それもそのはず、このときの死神は男を一旦救った死神だったんですね。
「おい、約束を破ったな」
ってんで、男は死神に操られるまま、命の灯のともった暗い穴に連れて行かれ、その中で自分の寿命のロウソクが短くなっているのを見せられる。
・・・このあと結局男の命の灯が消えるのが「失敗型」で、消えずになんとか生き残るのが「成功型」、と、二通りのパターンがあるのもご存知の通りです。

で、実は、三遊亭円朝作と言われるこの落語がイタリア・オペレッタ由来だ、という説がある、というのが話の入口です・・・これも、ご存知の方がいらっしゃるでしょう。

西本晃二「落語『死神』の世界」(青蛙房、平成14年)というのが、そのあたりを詳しくたどった書物で、なかなかに面白いのですが、このなかで、西本氏は落語「死神」が、イタリアのリッチ兄弟(ルイージとフェデリーコ)が作曲した「クリスピーノと代母」という、別の書によるオペラ史の分類ではメロドランマ・ファンタスティコ・ジョコーソ(幻想的喜歌劇)を題材にしたものではないか、との推測を、折しもこの作品が好評上演されていたパリを訪ねた幕末の使節が観劇した可能性、その一行の中に後年円朝と懇意になり、新作歌舞伎創作等も手がけた福地桜痴がいたことを論拠にすすめて行く、大変に面白い本です。

ただし、西本氏のこの労作とは別に、北村正裕氏が「『死神』の原話はグリム童話である」という、西本氏が論証の過程で可能性を最終的に排除したほうの可能性を「正」とした論文が存在し、そちらにも興味を魅かれております。入手はそう困難ではなさそうですが、サラリーマンの私には入手の手続きに多少手数がかかるので、残念ながら未読です。入手方法は、リンクした北村氏の頁に記載されています。

古典落語に西欧の娯楽作品もしくは民話がとりこまれている、ということだけで、大変に面白い話です。

ですが・・・私の興味の主眼は、じつはそこにはありません。

西本氏の著作の方を読んでいて、次のような下りに接したときに思い出された、別の話があるのです。

西本著の、私をとらえた該当箇所。
「ヨーロッパ音楽も含めて、どの音楽を聴くにしても、これをきちんと理解・玩味するためには、それなりの予備知識と慣れを必要とするのは当然のことで、当時(注:幕末の日本人使節団がパリを訪れた19世紀末)準備が・・・あったとは思えない。中略・・・(これ)は明治・大正の観客(ひょっとしたら現在の我々についてさえも!)言えるかも知れないのである。」(251頁)

この箇所を読んで思い出したのが、渡邊順生(よしお)氏の労作「チェンバロ・フォルテピアノ」(東京書籍、2000年)の次のような記述です。

「演奏解釈という思考と実践の伝統もまた、無形の文化財として、有形のそれ(注:渡邊氏は著書の性格上、楽器のことを指しているのですが、私は楽譜をも含むととらえています)に勝るとも劣らぬ貴重なものである。それが、たかだかここ数十年の間に、ほとんど完膚なきまでに破壊されてしまった・・・後略・・・」(753頁)

略した前後のところに本来大切な情報があるので、この省略は誇張を生んでしまうのですが、これから「音楽を読む」試みをして行くにあたっては、こうして事態をデフォルメしておく方が話が分かりやすくなって行くだろうと思いますから、あえてこれだけを引いておきます。
渡邊著の言いたいところがどこにあるか、に今すぐ興味がある、というかたは、どうぞ、渡邊著を自ら紐解いて下さいますように。

落語のほうに話を戻しますと、西本氏は「死神」の伝承のされ方についても細かく資料を観察し、ご自身の見解を披露しています。
見解の是非はいまは問わないことにして・・・そんなことは目的ではありませんから。西本氏がヨーロッパ各地の伝承と5人の落語家の話の対比をした表は一見の価値があります(313頁)・・・この噺の名人であった六代目円生が対談の中で話している部分を3つ引いて、今回はそこまでと致します。

「・・・題名から陰気な噺ですから、それを陰気に演っていたんじゃいけないと思いまして、あたくしは、前半は特にとぼけて陽気にやっていますが、サゲは・・・(中略)・・・元は『消えた』と言うんですね。けど、消してしまえば、すでに命はない訳ですから『消える』と言う方がいいというので、こう直しています。・・・」(221頁)

「まあ、碓井の金馬さん(注:円朝から「死神」を直伝されたという二代目三遊亭金馬)さんのをよく聞いてますから、あとは本を読みまして、ところどころ変えて演っているんです。この噺は、あまり深刻に演っちゃあ陰気ですしね、といって、サゲのところは凄味がなくちゃあいけないと思いますね」(222頁)

「・・・だいたいこの噺の主は、小半治(注:円生より先に亡くなった落語家で、「ぼやァッとした」キャラクターだったらしい)みたいな、なんの野心もないふわふわとした人間だと考えて演っています。しかし、死ぬとなると、そういう人間でも深刻になって、ぶるぶる震えるでしょうからね」(224頁)

円生の言葉の中には、音楽における「伝授」と「楽譜」と「工夫」について非常に重要な示唆が含まれているのですが、それをどう考えて行ったら良いのか、が、これからの私の宿題ということになろうか、と思っております。

今回はこれまでと致します。



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日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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コメント

遅ればせながらトラックバックを公開させて頂きましたが、文中の北村正裕様の論文が拝読できる由、北村様からわざわざお知らせを頂きました。コメント欄にもリンクを掲載しましたので、是非お読み下さいますよう!!!

http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/grimm-rakugo.htm

投稿: ken | 2012年2月12日 (日) 20時20分

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» 2000年発表の論文「死神のメルヘン」PDFでWEB公開 [北村正裕BLOG]
2000年に「駿台フォーラム」第18号に発表した論文「死神のメルヘン」のコピーをPDF形式でホームページに掲載しました。 [続きを読む]

受信: 2012年2月 8日 (水) 20時40分

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