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2010年3月11日 (木)

カンツォーネ・・・たどりにくい「歌」の歴史(3)

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!



F9120周年記念 ナーシャムジカマンドリンコンサート(川口雅行氏を迎えて)は、3月13日(土)静岡市「静岡音楽館AOI」にて。
幅広いレパートリーの音楽をいっときに楽しめるのはマンドリンアンサンブルならではです!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。2月27日の「松下眞一追悼個展」は大好評終了。音楽評論家、白石知雄さんが「はてな」でまとめていらっしゃる当日までの経緯、当日の充実ぶりが手に取るような文章で拝読できます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)が発売予定日より遅れましたが入手容易になりました。HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。



おさらい~バッハの創作対象となった舞曲(1)(2)(3)
おさらい〜バロック舞曲


たどりにくい、たどりにくいばっかり言ってますけど、そもそも歴史だなんてものは何もかも正確に分からないのが当たり前なんでしょう。だから、文字になっているものは一見、文字になっていないものより「分かっている」ような気になりますけれど、そうでもないのかもしれません。

と、またうだうだ言っておいて、では、「カンツォーネ」というそのもので括られている歌はどんななのか、に、当たりがついたかぎりの簡単なことだけメモしておいて、拝聴する下準備にしておきます。
・・・現在「カンツォーネ」として愛好されているものの主流は、詳しくは「カンツォーネ・ナポレターナ」というものだそうで、私の記事の骨組みはそれによるWikiネタですから誰でも探せます。ただし、英語記事をご覧下さいね。なんといってもいちばん詳しいのはイタリア語の記事なんですが・・・私には読解力がない上に、イタリア語記事の大部分が20世紀に入ってからのカンツォーネについて述べた部分になっていますので、英語記事を主に参考にして事足れりとしています。

「カンツォーネ・ナポレターナ」その名の示す通りイタリア南部の有名な都市ナポリが発祥の地です。この発祥についてははっきり分かっているようでして、もとはと言えばナポリのPiedigrottaという地区で、いってみれば「ミス・Piedigrotta」に選ばれた乙女をたたえるための歌の「作詞・作曲」を募集するコンテストが毎年なされるようになったのが起こり・・・だったら話は面白いのですが、このミス・Piedigrottaの正体は教会のマリア様の像です・・・だとのことです。このコンテスト、1830年代から1950年まで行なわれたそうで、第1回の優勝者は、あの有名で素晴らしいオペラ作曲家、ドニゼッティだったのでした。"(Io) Te voglio bene assaie"という曲名だった由。・・・ただし、お歌を聴かせて下さる青木さんによれば、これはあくまで「一説」のようです。

そもそものカンツォーネ発祥は、13世紀のシチリア王にして神聖ローマ帝国王だったフェデリコ1世(フリードリヒ2世)に結びつけられているのですね。この王様、当時としても、現代の目から見ても凄い人物で、数カ国語を話せた上にキリスト教文化・イスラーム文化ともに深い理解をもっており、在世時の先端知識であったアラビア自然科学にも造詣が深かったようです。幼時から即位まで辛酸を嘗め尽くしたが故に身に付いた実践的な知識だったのでしょう。1225年に第6回十字軍を率いることになるのですが、そのときの衣装が傑作で、アラビア語の刺繍がされていたのでした。イスラーム側からの使節が目撃して驚き、これが幸いして、このときの十字軍は戦闘なくして和平交渉が成り立っています。
キリスト教世界側から見ると風変わりだったこの王様は、いまでもローマカトリックでは破門扱いなのだそうです。
で、このフェデリコ1世が大学を設立した1224年がカンツォーネ・ナポリターナの淵源だとされているのだそうです。

ですが、その後、ずばりカンツォーネと括られている歌を、私たちは先に述べた19世紀より以前のものを聴くことができません。これは、16世紀に至るまでは、音楽の中心地がフランドル地方(ベルギー・オランダ方面)で、カンツォーネの故地である南部に限らず、イタリア全土の歌が表面に出ることがない(録音は見つけられませんでしたし、だからといって、ない、では言い過ぎなのであれば稀であった)ためのようです。

16世紀に入ると、ルネサンスの潮流とともに、イタリアの歌は活況を呈し始めます。15世紀末フランドル起源のフロットラという種類の分かりやすい歌が、まず発祥の地よりもイタリアで大流行し、17世紀初頭には、それまでイタリアにも入り込んでいたシャンソン(複数の歌手が歌うものだった)やマドリガルをさしおいて「伴奏付きモノディア」という独唱ジャンルが確立します。メロディが単体でよいフロットラ・「伴奏付きモノディア」は歌詞の選択も自在で気軽に歌えたのが強みだったのでしょう。

カンツォーナ、という音楽の方は、前にも述べた通り、器楽曲にもなっています。これはヨーロッパで本格的にご存知の方は、そもそも、カンツォーナというのは作曲家が楽器の選択を自由に行なってよい、それが声であっても楽器であっても是非を問わない曲種をあらわす言葉だったのだそうで、そんな自由度がだんだんに奪われ、作曲者が楽器指定を始めたり音楽そのものに名技性(むずかしいワザを披露すること)を求めるようになったが故に、結果として器楽の方に向かったのでしょうか。

歌に戻ると、こちらはカンツォーン、カンツォネッタ、カンタータと呼ばれている作例が16世紀後半から17世紀にかけて見られるようになって行きます。
カンタータ、というと日本人はどうしてもバッハのそれを連想してしまいますが、オペラほど大掛かりではなく、気軽に「音楽物語」を展開できるジャンルとして、イタリアのカンタータは、のちのカンツォーネ王国であるナポリでも非常な発展を遂げており、有名なアレッサンドロ・スカルラッティ(1660〜1725)のほか、ジュセッペ・ポルジーレ(1680〜1750)、アルフォンソ・マーリア=デ・リグオーリ(1696〜1787)という人たちの手になる、ナポリ語(ナポリ方言)を歌詞に持つカンタータ作品が残されており、さらには20世紀に入ってもグイード・モリーニ(1959〜)がこのジャンルでの作品を書いています(特殊例なのかどうかは、私には把握できておりませんが、モリーニってこういうことが好きな人のようです)。これらのカンタータは" il settecento napoletano" Cypres MCYP1649 というCDで耳にすることが出来ます。カンタータが19世紀に入ってからのカンツォーネに及ぼした影響というのは量ることが出来ませんが、もしドニゼッティの話がほんとうなら、オペラほどに大掛かりではなくても手軽に展開できる歌物語を書く伝統が、ひとつには単体でも豊かな恋の歌としてのカンツォーネを産み出し、ひとつには18世紀に定型化されていたオペラの形式を打破した新風を歌劇世界にもたらした(ドニゼッティの「マリア・スチュアルダ」は本当に驚くべき緊迫感に満ちあふれた作品です)と言えるかもしれません。

音源を上げてみたいところですが、選曲に悩みますので、能書き垂れただけで終わりにしておきます。ごめんなさい。


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