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2010年3月13日 (土)

ちから

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は昨日、満員御礼、しかも定員オーバーでの終了でした。
oguraooi.jpgレポートはあらためて。



F9120周年記念 ナーシャムジカマンドリンコンサート(川口雅行氏を迎えて)は、3月13日(土)静岡市「静岡音楽館AOI」にて。
幅広いレパートリーの音楽をいっときに楽しめるのはマンドリンアンサンブルならではです!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。2月27日の「松下眞一追悼個展」は大好評終了。音楽評論家、白石知雄さんが「はてな」でまとめていらっしゃる当日までの経緯、当日の充実ぶりが手に取るような文章で拝読できます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)が発売予定日より遅れましたが入手容易になりました。HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。



青木さんのコンサートの件は、まだひきずっている感情を整理してからでないと綴れそうにありませんので、とりあえず別に綴った日記をそのまま転載しておきます。

昨日は昼には絵の、夜には歌の「ちから」を、じっくり感じさせて頂いてきた。

昼間は「長谷川等伯展」。遠くから来た友人が、つれあいさんに是非見て来な、と勧められたとのことで、そのつれあいさんは素晴らしい目利きだから、だったらその言葉に従おう、ということで友人と二人で出向いた。東京:上野の国立博物館)で最新の建物である平成館で実施されている。

Shourinzu

平日なのでご年配の方が殆どんだったけれど、入場まで70分と告げられるほどの大行列。こんな行列に並ぶのは、幕張メッセに家族で「大恐竜展」を見に行ったとき以来だった。じゃあ、展示の中身にも大恐竜の骨がまたあるのかな、なんてバカなことを言いながら入ったら、展示品の荘厳なことは恐竜どころではなかった。
展示はほぼ制作年代にそって、かつテーマごとに分けられて、のものだったが、等伯が若い頃は絵仏師さんだったのだ、というのは知らなかった。この仏画がまた精緻で美しい。あとで図録を買ったが、常のことでそちらの方が発色がいい。でも、実物には写真では伝わって来ない「人肌の」あるいは「いのちの」香りがする・・・ガラスの向こうから実際に匂いがしてくるわけではないんだけど、そういう触覚や嗅覚のメッセージが間違いなくある。奇妙なことだけれど、これは誰の作品でもそうだ、とは限らない。それに、大徳寺の天井や柱の絵はさすがに外せないので実物大の写真展示、天井の竜の絵は実物に似たかたちに再現してあったのだけれど、これからは「伝わってくる感覚メッセージ」はまったく無いのだから不思議だ。いや、そんなのあたりまえさ、と見ている間には思っただけだったけれど、いまつくづく思い直すと、やっぱり、「なんでだろう」と首を傾げたくなる。
中国伝来の、あるいは日本独自の、遠近法的な立体感は一切持たない(立体的ではない、という意味ではない)画風であることは他の絵師と同様なのだが、驚いたのは、一瞥しただけでは記号的にしか見えない草の生え方や松の木肌が、近寄ってみると「現物」をきちんと描写してあること。ほんとうに土から草が生えている様子、木肌の手触りが目によって忠実に絵筆の上にとらえられていること。柳の枝の量感・質感には特に舌を巻いた。・・・等伯の絵のことを綴り続けたらきりがないのでここまでにする。

Kobokuenkozu

夜は、この世界の第一人者青木純さんのカンツォーネをお寿司を食べながら聴くという会。

出かける前から娘が「胃が痛い」。試験が終わってほっとしたのも手伝ってなのか、神経性胃炎なのだと思われる。それでもとにかく、お寿司は食べたい。好きな寿司から手をつけて、3カン残ったところでエビかホタテかの選択に迷い、ホタテを選んだのが娘の運の尽きだった。ホタテを先にいけば残りは食べられる、という計算だったらしいのだが、これがはずれた。最低もう一つ食べたかった特上のボタンエビは泣く泣く弟に譲り渡す結果となった。

いや、お寿司もおいしかったのだが・・・お歌が始まって驚いた。
青木さんって、実は落語家だったの?
・・・と思わされるくらい、お話のなさり方が、大好きな志ん朝に似ていた。トークの中で分かったのだが、それもそのはず、義務教育時代の担任の先生がチャキチャキの江戸っ子だったよし。
オペラやミュージカルの経験が豊富でいらっしゃるから、お客の気持ちを掴むのもうまい。歌の合間のどのお話にも腹の底から笑わせてもらったが、いちばん胸に刻まれたエピソードが、ある漁港の街でのイタリアンショーでの出来事。そのときの客席をギターをつま弾きながら流してまわっていると、ドテラ姿のおっさんが椅子の上にあぐらをかいていて、
「かんつぉーね、っつうのかなんだかわかんねえけど、演歌が聴きてえんだ、おめえ、演歌はやれねえのか」
ときたので、演歌を一発歌ったら、感心してそのおっさんがチップをくれた。
くれたのが500円玉なのはいいが、それをギターの真ん中の穴に放り込んでいれちゃったので取り出すのが大変だった、っていう話。
で、歌った演歌、ってのが、実はカンツォーネの歌詞を日本語にしたものだったのであった。

衣装の話も面白くて、前半は光り物衣装(シルバーのスーツだが上品なので言われないと気づかない)太刀魚風。後半は濃紺スーツで真っ赤なネクタイの鉄火巻き風、と、お寿司屋さんにふさわしいようにコーディネートなさった由。それぞれにイタリアもののきちんとしたものなのだけれど、ご愛嬌が、前半はネクタイがイトーヨーカドー、後半は靴下がユニクロ。まあ、これはしかし、嘘だと思う。

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どうでもいいことばっかりだらだら綴っちゃったが・・・なによりも感激ものだったのは、歌そのものだった。娘がいつも歌の先生に「イタリアってねえ、言葉も歌もあっけらかんとしてるんだよ」と、その先生も実際には説明が巧みなのでホントはもっと分かりやすく説明して下さっているのだけれど、そのあっけらかんぶりがまさにホンモノとして実現されていたことには、お聴きしていて、じつは時に涙がじわっと湧くほどに胸を打たれた。
どう綴ろうと思っても、これだけは言葉にするほど嘘になる。かつ、僕には(言葉に限らず、なのだけれど)描写能力がない。

とにかく腹痛の娘もそれまでしかめっつらしていたのが、歌が始まるともう満面の笑顔で青木さんを見つめ、聴き入っていた。歌の解説の面白さに、お笑い好きの息子もぐいっとひきこまれ、目をキラキラさせていた。とうちゃんは、共演のフルートの美しいおねいさんに目をキラキラさせていた・・・のは否定しないが、それだけ、ではなかった。時々、あまりにあれこれ胸をゆさぶられる気がして、涙をこぼさないようにするのに一苦労していた。
休憩のとき、ギターの杏里さん(男性である)が煙草を吸いに表に出ていらした。ちょっと普通見たことのない顔つきのギターを使っていらしたので、お訪ねしてみたら
「オースト・ラリア製です、なんか、スペインものよりめんどくさくないんで」
「で、作った人は?」
「はい、オーストラリアの人です」
質問するとちょっと照れくさそうに答えて下さるのが面白かった。見た目もお話の仕方も青木さんと違って控えめでいらっしゃるけれど、杏里さん、イエペスの直弟子である。途中で打楽器的な・・・タンブラン的な効果を出す場面があって、小道具を取り出して使っていらしたので、
「あれ、どんな道具なんです?」
と、これも質問したら、
「あ、百円ライターっす。ライターは持ってきたんですがタバコ忘れまして」
って、吸っていたのはその隣で吸っていた人からのもらいタバコだった。

実は、青木さんは、イタリア政府から正式の「カヴァリエーレ」叙勲を受けている。日本人では、たしか、非常に稀なことだったと思う。


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