N.DEL.MARによるブラームス第3のレクチャー(書籍紹介)
2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日、終了:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん、各々30名様限定です)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)が発売予定日より遅れましたが入手容易になりました。HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。
ブラームスの交響曲について書かれた日本語書籍(訳書)は
ウォルター・フォーリッシュ『ブラームス 4つの交響曲』(天崎浩二訳、音楽之友社 1999)で、これは現在Amazonでも中古で入手出来るようになりましたが、最低価格4,474円です。(安値のものから出て行って、いつなくなるか分かりませんので、ここにはリンクしません。)
英語の書籍ですと入手が比較的容易なのは
Norman del Mar "Conducting Brahms" Oxford Universe Press 1993
で、こちらは何と、私の入手時の半値くらいになっています。中古はもっと安いです。
リンクは新品の方に貼ってあります。
指揮者向けの本のようですが、演奏するオーケストラメンバーがどう考えるべきかを綴ってもいます。
この本の、交響曲第3番の部分を、能力に限界もございますので、序説に当たる部分のみ、ご参考までに訳しておきます。短いです。
交響曲第3番 ヘ長調 作品90
この交響曲はブラームスのものとしてはずばぬけて難しいのだが、それは技術的にも解釈上も指揮者とオーケストラに等しくいえることであり、開始楽章はとりわけニ短調ピアノ協奏曲の第1楽章における三和音第二転回形の統制の困難さを連想させる。第3交響曲はまた、その筋立てprogrammingについて独特な問題を孕んでいるが、これは姉妹作の数々(注:他の交響曲など)とは異なって、コンサートの最後を飾れるようなつくりではないことに由来しているのである。大多数の指揮者は当然のように、第3交響曲を、コンサートを締めくる演目から除外しているが、これは誤った発想なのではあるにも関わらず、理解出来ないことではない。なぜなら、本作の美しく瞑想的な集結部はドラマティックなフォルテシモで集結する多数の作品のようには熱狂的に受け入れられることは出来ないからである。
さらに言うならば、これとは対極的に、冒頭の格調高い和音による数小節はコンサートには大変強烈な開始部となり、先立つ序曲をまったく必要としないほどであるため、これでは遅刻してくるお客をどう扱うかという点でホール運営に支障をきたすのである。
意味を汲んで語彙に忠実でない訳し方をしておりますので、私の読みが間違っていれば訳も間違っていることになりますから、今後ともあしからずご留意下さいませ。
日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は満員御礼、しかも定員オーバーでの終了でした。
青木さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。
クラシックCD・書籍検索に便利!バナーをクリックして下さい!
sergejOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント