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2010年3月 3日 (水)

CD:小林道夫「イタリア協奏曲」

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!



F9120周年記念 ナーシャムジカマンドリンコンサート(川口雅行氏を迎えて)は、3月13日(土)静岡市「静岡音楽館AOI」にて。
幅広いレパートリーの音楽をいっときに楽しめるのはマンドリンアンサンブルならではです!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。大井さんは本3月1日、芦屋山村サロンでの「J.S.バッハ/フランス組曲(全6曲)」を終了、3日、同会場での「J.S.バッハ/イギリス組曲(全6曲)」です。2月27日の「松下眞一追悼個展」は大好評終了、「暗いとこでダイヤモンドが光ってるみたいにきれい」等の感想が寄せられています。音楽評論家、白石知雄さんが「はてな」でまとめていらっしゃる当日までの経緯、当日の充実ぶりが手に取るような文章で拝読できるのは嬉しいかぎりです。



若手から中堅の日本人演奏家の録音を少し積極的に聴いて行こう・・・と思い始めたところなのですが、いざとなると、クラシックファンには知名度も高くていらっしゃるとは思うのですが、私は存じ上げない方が多いので、どなたのから手をつけていいものか分かりません。・・・演奏を実際に拝聴したことのあるかたは対象から除く前提なので、なおさら困りました。

手始めに、バッハの「イタリア協奏曲」もしくは「フランス風序曲」(クラヴィア練習曲集第2部相当)のチェンバロ演奏から始めてみることにしました。で、第2弾・第3弾も延長でバッハの、これまで疎かったクラヴィア作品でいってみようと思っております。

第1弾は、若手(とはいってもそろそろ中堅の入口にたっても良さそうなかた)と中堅(私より少し年上で定評のあるかた)を選んだのですが、同時に目についた大御所、小林道夫さんの録音に、文字通り圧倒されてしまいました。

で、第1弾のお話をする前に、これだけ、単独で採り上げておきたいと存じます。

小林さんは今日採り上げるものの翌年、ゴルトベルク変奏曲のCDもリリースなさっていますが、そちらは未聴です。・・・でも、これを聴いてしまったら、お金もないのにゴルトベルク変奏曲のほうも聴いてみたくなりました。

51erfqgmx0l_sl500_aa240_「小林道夫の芸術1〜J.S.バッハ:イタリア協奏曲、フランス風序曲」
MEISTER MUSIC NM-1211

リーフレットに小林さんご自身がお記しになっている「チェンバロ・バッハ・私」という文章が、飾るところの全くないものであるにも関わらず、まず大変に素晴らしい。抜粋します。

「私が大学を出て演奏の現場に身を置くようになってから50年が過ぎた。その間の変化は、特にバッハの演奏に話を限ってみても、過激と言っても言い過ぎではないと思われる。・・・その当時の超大家達の演奏で未だに耳に残っているものの一つに、日比谷公会堂で聴いたバックハウスの弾く半音階的幻想曲とフーガがある。・・・その基本の所に、ピアノが現代の姿に近くなった後期ロマン派を中心とする音楽がすわっていて、それが、精神性の高さというか、人間の志の高さを感じさせたものだったからということではないかと思っている。(中略)チェンバロと室内楽を勉強するためにドイツに留学した1965年当時は、バロック時代の作り方を踏襲した所謂オリジナル楽器は、既にバロック音楽演奏の最先端を行く演奏家達に使われてはいたが、まだ一般的とはとても言えず、私が受けたレッスンも、ピアノ的な枠構造の考え方で作られ、5本から、場合によっては7本ものペダルで音色を切り替えるモダン・チェンバロと呼ばれる種類の楽器であった。・・・これは方向性が逆で、バロック時代に使われていた楽器の響きの特性や、鍵盤から受ける指先の感覚、音色切り替えのためのストップ操作の具合などから沢山のヒントを得て当時の演奏がどうであったかを探るのが筋道である。日本でも、特に若い世代の演奏家達は・・・見事に正統的に研鑽を積み重ね、立派な実績を挙げておられ、古い考え方で育った私は、取り残されたように感じる。(中略)演奏習慣の勉強はとても面白い。しかし、手がかりが増えれば増えるほど、逆に手がかりに縛られて、一種のマニエリスムに陥る危険性も大きくなる。・・・バッハの場合は、例え演奏習慣に対するアプローチの方向が逆であっても、音楽しようとする衝動が、心の深奥から出ていれば、とても大きな力を発揮することだと思う。演奏家には、自分の心の深みに降りて行き、そこから沢山のものを取り出せるように、想像力を育て、感覚を研ぎ澄ます責任がある。過渡期にバロックを勉強し始めた私としては、演奏様式の研究で若い世代を追いかけ乍ら、自分が若い頃に体験した超大家達の豊かな精神世界を忘れないようにすることしか無いと思っている。それは、バッハの音楽には有効であると信じている。」

小林さんの演奏は、こうした<常に初心>精神に貫かれているが故に、小林道夫、という個人の名前を超越した見事さがあります。
まだお若いときの演奏でも、漠然とで恐縮ではありますが、私の印象に残っているものもあります。ニコレの伴奏で入れたモーツァルトの初期のソナタ集などは、いま聴いても(ニコレがいわゆるモダンフルートであるにも関わらず、とはあまり妥当な言い方ではないかと思いますが)しなやかです。

ところが、小林さんのこの録音は、単純にその延長としての円熟、にはなっていません。

バックハウスの演奏に印象づけられたと仰る「半音階的幻想曲とフーガ」(BWV903、ニ短調)も収録されていますが、バックハウスのそれよりも淡々としている分、上の言葉に込めた小林さんの心情がむしろはっきりとした客観的な輪郭をもって姿を現していますし、他に3曲収録されたコラール編曲(BWV691、728、679)はチェンバロでの演奏でありながら大型オルガンのきらびやかな音を室内楽用にコンパクト化したのではないかと感じるほど色彩豊かです。

最後におさめてあるフランス風序曲(BWV831)は、それらより豊かさを増しており、バッハの管弦楽組曲をそのまま彷彿とさせてくれます・・・フランス風序曲については記事をあらためますので、ここでは簡単に触れるにとどめます。

白眉は冒頭収録の「イタリア協奏曲」でして、これはたしかに最近の「古楽」演奏を単純に基準としたときには硬派な印象があるかもしれませんが、かといって小林さんが青春時代のご活躍を遂げられていた70〜80年代の演奏とは全く異なっており、これは漠然とした記憶との比較なので申し訳ないかぎりですが、より華やかでもあり、より明瞭でもあるかと受け止めております。
驚愕するのは・・・あとで、日本人のものではない、20世紀中葉のピアノ演奏や近年のチェンバロ演奏を聴き直してみたのですが・・・この「協奏曲」が単独の楽器の音としてではなく、しっかりと弦楽によるコンチェルティーノとリピエーノの掛け合いとして響いてくることでして、これは新旧どちらの世代のかたはどなたも必ず「努力」なさって求めている響きではあるのですが、小林さんほどには「イタリア風でありながらドイツ風の、弦楽による合奏協奏曲」の音色の実現を達成していない、と、強く感じさせられました。
この演奏を聴けば、腕に覚えのある編曲家さんなら間違いなく「イタリア協奏曲」をバッハが意識していた通りの弦楽版に書き換えることが可能だと思います。

国内市場だけで売り出され、国内市場だけで聴かれる、のではあまりに勿体ない!

そのような確信を持って拝聴しました。

この演奏は輸入音楽ではありませんね。

・・・幸いなことに、小林さんに続く人たちの中にもそのような演奏があるように思っております。遺憾ながらそれとは全く対照的なものもあるのが実態ですけれど、これは別に「日本人が演奏しているから」という問題ではない、とうあたりを、この次の機会にはちょっと実例を挙げてご紹介してみたいと考えております。

少し勉強します。


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