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2010年3月10日 (水)

Air(Aria)のこと・・・たどりにくい「歌」の歴史(2)

日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!



F9120周年記念 ナーシャムジカマンドリンコンサート(川口雅行氏を迎えて)は、3月13日(土)静岡市「静岡音楽館AOI」にて。
幅広いレパートリーの音楽をいっときに楽しめるのはマンドリンアンサンブルならではです!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。2月27日の「松下眞一追悼個展」は大好評終了。音楽評論家、白石知雄さんが「はてな」でまとめていらっしゃる当日までの経緯、当日の充実ぶりが手に取るような文章で拝読できます。
なお、大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)が発売予定日より遅れましたが入手容易になりました。HMVにリンクを貼ってあります。Amazonではまだ入手できないようです。



おさらい~バッハの創作対象となった舞曲(1)(2)(3)
おさらい〜バロック舞曲


Air(Aria)が、端緒はフランスの「変奏」もしくは「即興」を交えた歌唱を意味するものだった、と辞典にあったことは前回記したとおりです。
ですが、残念ながら、そういう単独曲としての古形のAirの音声例も譜例も、私は今日までには見出すに至っておりません。
これはとりあえずお許しいただきたいと存じます。

不可解なのは、フランス発祥のはずのAirが、イタリアバロックのオペラのほうに先に登場しているように見えることです。

オペラの歴史を述べたものをさまざま覗いて見ますと、フランスではイタリアに比べて歌唱よりもバレ(舞踊)をいかにうまく組み込んで見せ場を作るか、に工夫を凝らした作品作りを目指していたとのことで、これはリュリやラモの作例を実際に見たり聴いたりしても「そのとおりかもしれないな」との印象を受けます。とくに、数少ない鑑賞を通じてリュリ作品に触れた限りでは、彼の同時代のイタリアオペラに比べると、まだモンテヴェルディの「オルフェオ」あたりまでの古形(ペーリやカッチーニとも似ているもので、歌はストーリーに沿って付けられ、あまり独立の見せ場的には作られていない)のほうに近い気がします。
これはスコアを確認していないので断言はしきれません。
が、あきらかに、モンテヴェルディの次世代に属しヴェネチアで活躍したカヴァッリ(1602-1676)のオペラのほうが、フランスに移り住んだリュリ(1632-1687)のものよりも、その後の「アリア」や「レシタティーヴォ」により声楽上でのメリハリをつけられたものの嚆矢になっています。

カヴァッリ「オルミンド」第2幕からネリッロのアリア「なんて街だ!」
なんて街だ!
Dominique Visse(contre tenor), J.Correas(dir.), Les Paladis PAN CLASSICS 10196

カヴァッリがオペラに「見せ場」としてのアリアを 導入した経緯は明らかではないようです。そんな話に言い及んでいる市販本は、とりあえず私の狭い視野には入ってきておりません。
ですので、カヴァッリが活躍した当時、フランスの音楽がどのようにしてイタリア~とりあえずヴェネチアに限ってよいとしても~に入り込んだのか、は、なんとかたどる方法を見出したいところです。
この話は、したがいまして、当面ここまでで保留です。

フランスで発生したAirが、おそらくその技巧的な特徴のゆえに、17世紀中葉に盛んになったヴェネツィアの大衆劇場で、たぶん人気歌手を売り込むかなにかの手だてのために、劇場主たちがオペラに取り込むよう作曲者に頼み込み、作曲者もそれを了承したことが、その後19世紀前半まで命脈を保つことになる「アリアとレシタティーヴォを軸としたオペラづくり」をもたらすことになったのではないか、と推測するにとどめます。

この間、劇場を離れた場での民衆歌については、ごくあたりまえのように史料が見当たりません。これは通常の民俗と変わらないことでしょう。
もちろん、当時の文学作品などを丁寧にたどれば何か出てくるのかもしれませんが、おそらく若干の例外を除いて「民間で歌われたのが一般的にはどんな歌だったのか」の記述は見つけるのは至難の技だろうと思います。そういうことに興味のある専門家さんの登場を待ちましょう。

興味深い話が一つだけありまして、それはCantabileがバロック期には今と違ったニュアンスを持っていた、ということです。

私たちがカンタービレと聞いて普通にイメージするのは「歌うように」、でありまして、これだけとれば言葉には表面上はそれ以上の意味を求めることは時代を問わず出来ません。
ただし、現在の「歌うように」は、まさに「朗々と」「メロディック(旋律的)に」「流れるように」楽器が奏でられることを期待しているのに対し、バロックのカンタービレはそうではないというのです。
レガートでも歌うようにでもなく、当時の歌唱法にのっとって、その楽句に埋め込まれているはずであろう「語彙」のアクセントや息つぎを適切に表現するのが、バロックのカンタービレだ、と、チェンバロ奏者のエリザベート・ステファンスカがバッハのインベンションに記した前書きを引きながら語っています。

参考:バッハの前書きの訳
「正しい手引き:クラヴィーアの愛好家、とりわけ学習希望者が2声をきれいに奏するだけでなく、さらに上達したならば、3つの主要声部を正確そしてたくみに処理することを学び、それと同時に優れた楽想を手にいれるだけでなく、それらをじょうずに展開すること、そしてとりわけカンタービレな奏法を会得し、それとともに作曲の予感をえるために。(1723年)」(村上 隆訳)

してみると、宮廷なり劇場なりで演奏されるために曲を書いた人たちが求めたCantabileは、普通に私たちが考える「シャンソン」や「カンツォーネ」に類する、ある種普遍的な(であるがゆえにしばしば一緒くたに「民謡」と翻訳される)歌=Cantusを求めたものではないわけですね。

はてさて、では、Air、Ariaではない、あるいは特別な場でのものではない「歌」とはどのようにして歌われ続けてきたのでしょうか?
それには時系列に並べ得るような「歴史」など、見いだすことが出来るのでしょうか?


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