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2010年2月13日 (土)

曲解音楽史66)ジャポニズムと近代日本

Matsushitaphoto「松下眞一追悼個展」、2月27日に京都で。
世界的な数学者であるうえにヨーロッパでは作曲家として非常に高く評価された松下氏の、長く埋もれていた作品の初演も含まれ、足をのばせるかた必聴、貴重な会です。
写真クリック、またはリンクをクリックで、是非記事をご一読下さい。
ピアノ:大井浩明さん http://ooipiano.exblog.jp/
打楽器:宮本妥子さん http://www.yasukomiyamoto.com/

同時にクセナキスのピアノ作品全曲も演奏されます。



日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
上記2月27日の「松下眞一追悼個展」(於:京都)他、今年も瞠目の企画が豊富におありのようです。



過去の音楽史関連記事はこちらの「曲解音楽史:総合リスト」からご覧頂けましたら幸いです。

19世紀末、アメリカのペリーが鎖国に力で風穴を明けたのをきっかけとして、それまでヴェールに包まれていた日本の風土・文化が次々とあらわになってくることに、欧米人、ことにフランスとアメリカの人々は熱狂したようです。「ジャポニズム」と呼ばれているこの現象は、急速な欧化政策で自分たちと同じような服装になり同じような嗜好へと切り替えを急ぐ日本の実態が分かって行くにつれ急速に縮小し消滅しますが、その後、現在に至るまで、ドナルド・キーン博士のように「日本人よりも日本文化を深く理解している」外国人を産むバックボーンを形成したのかもしれません。
中国・東南アジア・インドについては、帝国主義政策による、いわゆる「植民地化」を通じてある程度の実情は欧米人の知見の範疇に入っていたのですが、日本についてはオランダという小さな窓が一つあるだけ、最新の正確な情報はシーボルトが持ち帰った文物だけ、ということで、よほど強い関心を示さない限りは何も知らない状況が続いていました。そこへ、ペリー以後飽いた風穴へ乗り出した人々が持ち帰った着物や小物、風刺画、写真の類いが、それまで欧米人が知ったアジアとはまた異世界であったことが、ジャポニズムの炎を燃え上がらせたのでしょうか。
とくに日本女性への奇妙な価値観・・・従順、が先行していわゆる「現地妻」にしやすい、という見方がピエール・ロチ『お菊さん』の文章の又聞きで拡大し、次にオペラ『蝶々夫人』でその忠義心の強さが誇大解釈される(ロング原作の小説では蝶々夫人は自殺未遂に終わって消息を隠すにとどまった上、ロングは後年続編の案も固めていたことが明らかになっています。羽田美也子『ジャポニズム小説の世界----アメリカ篇編----』彩流社 2005年)に至り、現在でもよく知られる絵画としてはモネの「ラ・ジャポネーズ」のようなグロテスクな作品(ただし、モネはわざとそうしたらしいことが明らかになっています。馬淵明子『ジャポニズム 幻想の日本』ブリュッケ 1997年)を残すこととなりました。
ものめずらしさで表面化したジャポニズムは、先述のように、また急速に沈んで行きます。
ただ、たとえばクリムトが作品の背景に描いている模様の数々は江戸期日本の伝統模様にヒントを得たものであったらしく、江戸の意匠を借りて消化する、というかたちでの主に美術面での吸収は地道に進み、たぶんよく調べれば現代の抽象画にまで繋がる系譜が見いだせるかもしれません。
いずれにせよ、「ジャポニズム」は異文化をデフォルメして把えた欧米にささやかな最盛期をもたらしたに過ぎず、日露戦争を境に欧米が築いた帝国テリトリーと利害を急速に犯し始めることとなった日本は、もはやそうした異郷の魅力をもつ存在では無くなってしまうのです。

かつ、ジャポニズムを形成した文物のいくつかは、価値を自覚していない日本からかなりの安値で買い叩いたものであり(代表例が浮世絵でしょうが、重要文化財級のものもかなりの数に上るのはご承知の通りです)、日本人に
「あんたらの文化は高い価値を持っているんだよ」
と明確に示唆してくれる人物は決して多くはなかったのでして、わざわざ定住してまでそれをしてくれた人物としては、わずかにラフカディオ・ハーンとアーネスト・F・フェノロサの名を上げ得るに過ぎないでしょう。しかも、日本国家は決して彼らを優遇したわけではなく、お抱え教師として雇った外国人の処遇も必ずしもよかったわけではありませんでした。
欧米側も日本側も、人の常、の「交歓」をしたに過ぎないのでしょう。ですから、欧米の態度と日本の態度と、いずれを是とするかを議論するのは意味がないことのように思います。

音響関係でも「ジャポニズム」が少しはあり、しかもそれは安値で買い叩かれ、初期の録音技術でとらえられていながら海賊版化しかけ、結局は埋もれてしまっていた例があります。
1900年のパリ万博を機に川上音二郎一座がヨーロッパ巡業している間に録音されたもので、川上自身の声、あるいは有名な貞奴の声は収録されていませんが、アメリカのJ.スコット.ミラー氏によって状態の良い原盤が再発見され、東芝EMIからCDとして発売されたのました(TOCG-5432)。この録音の事実は音二郎は知らなかったのではないか、との話がリーフレットの中で述べられています。

一部抜粋します。
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長く見ても半世紀程度のあいだ、ジャポニズムという呼び名の元に「願望する日本像」という虚構で欧米が日本をとらえていた・・・それはあくまでアジアの中の一文物に過ぎず、そのため今日でも欧米の日本紹介には中国や朝鮮との混同が消え去らないのですけれど、これは日本のほうもイギリスと大陸ヨーロッパの違い、ドイツとオーストリアの違いなどを判別できなかったりするのと大差ないことです・・・ころ、日本人は、隣国の清がイギリスとの戦争に敗れたことにとくに大きなショックを受け、欧米と同じ文化を持とうと焦り、「ジャポニズム」の対象とされた風土や文化を急激に排除しようとして行きます。そうした政略面と人々の中の音楽感覚が当初はいかに乖離していたか、なぜ次第に歩み寄って行ったか、について詳述した最良の書籍は、千葉優子『ドレミを選んだ日本人』(音楽之友社 2007)です。
その内容にまで立ち入っておきたいところですが、別節と致します。

申し上げておきたいのは、『蝶々夫人』は日本でもわりあいに早い時期からもてはやされておりますが、その中で描かれた日本世界は「想像されたもの・実在しなかったもの」であり、とくに歌劇作品のほうは演劇的効果を上げるために原作小説よりデフォルメ度が高く、たとえ作曲家が中に日本の旋律や楽器音を持ち込もうと試みたにしても、それは日本を「理解」することを目的としたのではなかった、ということでして、プッチーニの日本理解は高かったかどうかを云々するのは非常にナンセンスだ、ということです。同じプッチーニの『トゥーランドット』は、中国では20世紀末期まで、国辱作品だとして上演もされなかったときいております。このあたりが日本と中国の自国へのプライドの違いであり、センスの違いでもあることのみ、読んで下さる方のご注意を喚起しておきたいと存じます。
ちなみに、これもジャポニズム作品としては有名なサリヴァンのオペレッタ『ミカド』については、アメリカでの興行をタイムリーに観劇した日本人が非常に腹を立てたとの話が残されております。


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