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2010年2月11日 (木)

現場はみんな頑張ってる:たとえば「辻井伸行・コンクール20日間の記録」を拝見して

Matsushitaphoto「松下眞一追悼個展」、2月27日に京都で。
足をのばせるかた必聴です。
同時にクセナキスのピアノ作品全曲も演奏されます。
リンク先の記事をご覧下さい。
ピアノ:大井浩明さん http://ooipiano.exblog.jp/
打楽器:宮本妥子さん http://www.yasukomiyamoto.com/

現代音楽が本能的に好きだ、という獣の感性(私にとってこれは悪い意味ではありませんし、「野生」を意味するつもりもありませんが)をお持ちでしたら、その本能を存分にくすぐる効果が満載の演奏を、いま最も旬なお二人が、これでもかこれでもか、と繰り広げて下さいます。



日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!

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大井浩明さんがだぶりますが、個人的な好みです。
2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
上記2月27日の「松下眞一追悼個展」(於:京都)他、今年も瞠目の企画が豊富におありのようです。



教えて頂いて・・・途中からでしたが、

NHK「ピアニストの贈り物~辻井伸行・コンクール20日間の記録~」

を拝見しました。家庭の事情で途中からでしたが、いろいろ感じるところがありました。それを、まとまらぬままに述べておきたいと思いました。

辻井さんのことは詳しくは存じ上げませんが、実家では私の母(音楽世界には別段の縁はありませんが)が、この番組なのか別の番組なのか忘れましたけれど、
「見て、泣いちゃった」
と電話をくれましたし、私が密かに(でもないか)ファンである大宮光陵高等学校でご指導にあたられていた先生が辻井さんの恩師だという話もありまして、関心のない人ではありませんでした。

でも、コンクール云々につられて記事にすることのほうが自分の性にあっておらず、過去に辻井さんを対象にした記事を綴ったことはありません。

私自身がプロの演奏家さんたちの現場を少しばかり(ほんとうに、少し、a little どころか、a もつきませんが)覗かせて頂くようになったのは、このブログ(の前身である古いほう)を始めたあと、家内を急死でなくしてからです。それ以前から演奏家さんそのものと接点がゼロだったわけではないにせよ、自分自身が若く、なんぼヘタクソでも自分自身がアマチュアとして弾くことのほうに熱中しており、かつはプロの世界には・・・どんな職業や領域でもありがちなことですが・・・派閥争いみたいなものがありまして、そういう中に首を突っ込むのもつまらないとの思いもあり、あまりよそ見をしませんでした。家内を亡くしてみてはじめて、ああ、自分自身はあんまり演奏そのものでいいものは出来ていないんだなあ、と、夢からさめた気持ちになっているところです。

昨日ご紹介したコンサートで採り上げられる松下眞一さんは、なんでいまあまり知られていないのかを詳しい方にご教示頂いたりしてみますと(ちなみにコンサートの演奏者さんではありません)、ご生前は過激なお人柄で、ご逝去が急だったことから、彼の舌鋒にやられた人たちの感情が静まっていないために作品や功績も早めに葬られようとした経緯もあるようです。

・・・そういうことは、もういいではないか、と、この類いの話を耳にするたび思います。

私は偶然に松下さんの作品を知り、難しいことは分からなくとも魅かれるものがありました。生身を超えて、松下さんの「作品そのもの」に魅力を感じました。「作品そのもの」が誰かに訴えかけてくるものを持つ以上、それを後々まで大事にしようというかたたちが登場することは必要です。そこに「政治」を持ち込む・持ち込まれることは、なるべくフラットでいたい愛好家の一人としては、あまり気持ちのいいものではありません。

作曲家さんであれ演奏家さんであれ、その人がどういう主義主張で、こういう性格で、こういう障害があって、等々のことは何の意味も持ちません。物故者にして上述のような壁が存在するのは奇妙なことではありますが、生身の人ならなおさら、生身での「人間関係」が災いしたり、生身であるが故に陰口も叩かれ(私も叩いてますよねえε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…)、貶められるのは、政治家さんたちと一緒です。政治家さんたちとの違いは、とくに録音技術の劇的な向上で、演奏家さんたちも作曲家さん同様に死後も賞揚されたり蔑まれたりする(!)チャンスが増えたこと、でもって生きているあいだはあいかわらず、音楽家さんにはお金がないこと、でしょうか?

つい前置きが長くなるのは癖のようでして、お許し下さい。

ともあれ、こんなとき、一貫性がないものを平気で並べ立てられるのがアマチュアの特権であろうか、と思います。

辻井さん関係で常々いいなあ、と思っていたのは、お母様を含めて、まわりの誰もが、彼のことを
「これからがスタートなんだから」
と冷静に見つめている点でして、しかも辻井さんご本人も(20歳の若さで、まだ情緒的には翻弄されてしまいそうになることも多々おありでしょうに)まわりの先生・先輩たちの示唆を素直に受け止めていらっしゃることが、モニタの向こうから語られてくる彼の言葉と声の表情から文字通りまっすぐに伝わってくるさわやかさを持っているのにも好感を持っております。

繰り返しになりますが、辻井さんがどんな障害を持っているか、ということも、「音楽そのもの」の前では何の意味も持っていないはずです。・・・それは実は、辻井さんご本人が誰よりも強くお感じになっていることではないかと思います。

会社員と違って、音楽家さんは自分の腕で稼がなければなりません。独奏ないしアンサンブルで活動して行くとなると、大きな組織に属しているのとはまたさらに違って、腕の他に「顔」という要素が加わります。そこがお辛いところだろうとは、かねがね感じさせられております。

今回「ピアニストの贈り物~辻井伸行・コンクール20日間の記録~」を拝見していて、思わず微笑んでしまったのは、ヴァン・クライバーンコンクールの最終審査前のコンチェルトを終え、最終日に残された独奏曲3曲の練習に入る前に、辻井さんが
「曲が減った、曲が減った!」
と無邪気に喜ぶ声が入ったときでした。その前に舞台で終えたばかりのショパン(1番)と、とりわけラフマニノフ(2番)の演奏が渾身の素晴らしいものであったにもかかわらず、辻井さんの切り替えスイッチは、他の参加者の誰よりも早かったようですし、切り替えのよさは音楽世界か否かにかかわらず、私のような「あとまでねちねちこだわる」性格の者にはこの歳でなお学ばなければならないものでもありました。

優勝して、マスコミに大きく採り上げられて以後、
「ヴァン・クライバーンコンクールなんて、そんなにメジャーじゃないんだよ」
との陰口も聞こえて来ておりますが、じゃあ、陰口を言うご本人があの20日間のオフロードレースをやってご覧になったらいい、と申し上げたい気がします。
そのコンクールが世界的に見てどんな位置にあるか、ということが、そんなにメインの問題なのでしょうか?
マスコミが採り上げようが採り上げまいが、参加するには(運の要素も多分にあるとはいえ)それ相応の自力をあらかじめそれまでの生涯をかけて獲得していなければならず、資格を得ても、過酷なレースを淡々とこなす精神力が備わっているかどうかでまた結果が大きく異なってくる。その苦しみを誰よりも知っているのは本人自身と、その苦しみを一緒に肌で感じることはあっても本人に成り代わってやれることが出来ない家族のかたがた、でしょう。

かつ、いま辻井さんの優勝がニュース性を持っていても、それは人間世界の常として、永続するものではありません。
コンクール期間中彼をサポートした老紳士が、いみじくも仰っていた通り、

「曲を最後まで弾けるようになるのは、始まりに過ぎない」

のでありまして、テレビはいつか近いうちに彼を放り出してかえりみることもなくなるでしょうが、そこからが始まり、ということになります。
彼にとって幸せなのは、なによりもお母様がそのあたりの機微についてはずっと慎重にこんにちまで歩まれて来たことがそのご著書から伺われること、周囲のかたも彼を特別扱いしていないこと(少なくともご本人に対してそんな「甘さ」を見せないように自然に接していらっしゃること)、でして、まだまだお若い彼がひょいひょいと変な引っぱりに釣られて方向を間違えないよう脇が固められていることでしょうか。・・・このあたりが、なんだかんだいっても相撲界より音楽界のほうがマシな部分ではあるかと感じております。
コンクールはまだ、オリンピックほどの派手さはないにしても、また甲子園ほどの親しみはないにしても(あ、タイガースじゃなくて高校野球のほうですので、いちおう謝っておきます・・・なんで謝んなきゃないのかよく分かんないけど!)入口に過ぎません。今日もどこか複数の場所で、優れた演奏家さんたちも優れていない音楽家さんたちも、官僚さんより、サラリーマンさんより、必死で今日の飯のために自分に出来る限りの真心を込めてシェフとしてのサービスに努め、ママやマスターのようにお客さんにやんわりと立ち向かい・・・それでもなお、音楽の「こころ」そのものに、神官さんのように厳粛に奉仕をしているのです。その葛藤や如何?

私たち愛好者も、辻井さんに限らず、若手・中堅にたくさんいらっしゃる魅力にあふれた音楽家さんたちを、もっともっと大切に「愛して」いかなければならないでしょう。
先人の偉業は偉業で粗末に扱ってはいけませんが、若手中堅に対するに「昔は良かった、いまのおまえさんたちゃねえ・・・」とやってしまったら、相撲界とおんなじ墜落を、あるいはこのネット社会と同じ凋落を(ネットに商業が大々的に参入する以前に比べ、ここは本当に発言が制約される世界になってしまいました)音楽の世界にもたどらせてしまうことになるでしょう。

とりとめもありませんでしたが、私の駄文より、こちらをお読み下さい。

http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201002100263.html

これまた、ひとさまからご紹介頂いた記事です。
表示されなくなったらご一報下さい。そんな日がきてしまったら、ここに転載をしておきたいと存じます。


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sergejOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

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コメント

正におっしゃるとおりですね。クライバーンの20日間に耐えてご覧なさいと。
それもそうですし、クライバーンに限らず、コンクールで優勝したから、自動的に一流音楽家として扱われるほど欧米の音楽界は甘い訳もなく、1980年にエリザベートで日本人として初めて優勝した、ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんが、何年後かにインタビューに応じて話していましたが、呼ばれるオーケストラが初めての場合、コンクールから何年経っていようが、その地では「デビュー」なのであって、デビューで失敗したら、二度と呼んで貰えない。まだまだ、堀米ゆず子にとって「デビュー」の途中なのだ、というお話で、失敗が許されないというこれほど厳しい世界があろうか、と思います。辻井さんの音楽に対する態度は真摯そのものですから、メディアが邪魔しないようにして頂きたいものです。
また、コンクールというはっきりとした「形」にならないのでいまだに日本人の大多数が、その偉業の意味を理解していない、ベルリン・フィル初の日本人プレイヤー、ヴィオラの土屋邦雄さん、コンサート・マスターを25年続けた安永徹さん、他欧米でずっと活躍している(いた)日本人音楽家の偉大さに、改めて思いを馳せた次第です。

投稿: JIRO | 2010年2月11日 (木) 21時03分

JIROさん、いつもありがとうございます。

番組再放送のお知らせありがとうございました。
いいものを拝見でき、感謝であります!

お名前を挙げている人たちについて、異論ありませんです!

辻井さんは、こんどはまず、英語きけてしゃべれるようにならんとね〜〜〜。(o^-^o)

投稿: ken | 2010年2月11日 (木) 21時34分

遅ればせながらいまごろのコメントです。

「クライバーン国際ピアノコンクール」のあのドキュメンタリー、本放送とあわせて再々放映まで三回ともしっかり見てしまいました。

辻井さんの演奏を聴いた聴衆のひとりが、「涙が出た」と言っていたのと、審査員の先生が、「彼の音楽はいったいどこから出てくるのだろう? これは奇跡だ」と語っていたのがひじょうに印象的でした。

拙記事で書いたことの二番煎じなるりますが、目が見えても見えなくても、演奏家は自身の解釈した音楽を聴かせるのが仕事ですから、ことさらハンディに注目して云々するのは本質からはずれているし、かつてヴァルヒャが言ったように、辻井さんもまた「自身の演奏する音楽」でのみ判断してほしいのだと思うことは、承知しております。

でもやはりほかの出場者がこれ見よがしに派手な演奏をしているのを見たあとで、奇をてらわず、ひたむきに「作曲者の思い」を聞こうと深く深く作品世界に入っていくかのような辻井さんの演奏は、やはりちがって聴こえるのです。音楽がとても深いのです――軽薄短小の世間を嗤っているかのように。

以前、TVで川畠成道さんの弾くバッハの「シャコンヌ」を偶然、聴きまして、突如として涙があふれたことを強烈に思い出します。自分は五嶋龍さんも悪くはないと思いますが、「深さ」が決定的にちがうと感じました。技術云々という次元を超えたなにかがもの足りなく感じるのです。音楽はやはりむつかしいものなんですね。

ついいましたがたもTVにてロンドンで活躍されているという藤倉大さんという作曲家の方を拝見しました…寡聞にしてまったくお名前を存じ上げなかったのですが、あのブーレーズに認められているというからすごい方です。その藤倉氏が「音楽は、人の生活には欠かせないもの」とおっしゃっていました。そう、やっぱり人は「パンのみに生きるにあらず」ですよね! 

投稿: Curragh | 2010年2月22日 (月) 01時31分

Curraghさん、いつもありがとうございます。

日本のクラシック演奏家で、目がご不自由で素晴らしい方は、川島さんの他にも、ヴァイオリンの和波孝嬉さん、バロックの武久源三さんなどがご活躍ですね。
私はベートーヴェンの「春」は中学時代に和波さんの演奏で初めて聴いて・・・そのあまりのひろびろした表情に、その後どんな大家の演奏でも和波さんの印象を超えるものがなくて、とうとうCDも買わずじまいです。武久さんのコンサートにお誘いを受けたときは家内を亡くして間もなくでして断念しましたが、夫婦にとっていちばん思い出ぶかい曲であるメサイアの録音をしばらく愛聴させて頂きました。・・・どちらも、何にも代え難い記憶です。

この感覚って、いったいなんなんだろうな、とまだ不思議に思っております。

実は、辻井さんのお姿をテレビで拝見していて、畑違いですが和波さんをだぶらせておりました。感情があふれるといけないので、そのことは綴りませんでした。辻井さんのお母様は武久さんのところに「これからの我が子の生き方はどうあるべきか」を教えて頂きにいらしたようですね。それもたいへんなご英断だと頭が下がっております。

彼には、これから、ほんとうに価値ある音楽人生を送ってもらいたい、と、心から願っております。

・・・はてさて、我が子の育児はどうしたものか。。。
・・・辻井家に比べると、こんな生意気な記事は綴れないほどお粗末なものです。

投稿: ken | 2010年2月22日 (月) 23時02分

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