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2010年2月17日 (水)

カノン:音楽作品に数・数式を用いること----松下眞一追悼個展に関連して----(3)

Matsushitaphoto「松下眞一追悼個展」、2月27日に京都で。
世界的な数学者であるうえにヨーロッパでは作曲家として非常に高く評価された松下氏の、長く埋もれていた作品の初演も含まれ、足をのばせるかた必聴、貴重な会です。
写真クリック、またはリンクをクリックで、是非記事をご一読下さい。
ピアノ:大井浩明さん http://ooipiano.exblog.jp/
打楽器:宮本妥子さん http://www.yasukomiyamoto.com/
スペクトラについての解説を含む松井卓九大教授が寄せたエッセイもご一読下さい。

同時にクセナキスのピアノ作品全曲も演奏されます。



日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
上記2月27日の「松下眞一追悼個展」(於:京都)他、今年も瞠目の企画が豊富におありのようです。



前回は、松下眞一追悼個展を巡っての愚考は、愚かなだけに先に進むところまでまとめる力がありません。
「そうだ、京都へ松下眞一を聴きに行こう!」
と、私の愚考などはさておいて思い立っていて下さったら有り難く存じます。
なお、昨日の文には若干の修正を加えました。

でもって、分もわきまえず、とりあえずちょっとだけ、昨日の補足を記して、今日はお茶を濁しておきます。(そのあといったん間をあけます。)

さて、カノン、およびそこからバロック的に発展して行くフーガは、その約束事が「数式」でこそ表されてはいないものの、いずれも厳格な約束事が前提にありまして、20世紀を迎える前の音楽作品の中ではもっとも「数理的」な見かけを持つものです。そして、それは初歩のトポロジー的な性格も備えています。すなわち、同じ位置関係を保ちあっている音と音同士は、端的に言えば、時間が圧縮されても、同じ性質を保持し続けます。
ただし、(西洋)音楽の場合は、どうしても、とくに和声という音響空間を固定的に扱っているため、トポロジー的世界を完全に構築することまでは出来ずにいました。ですから、仮に旋律上の音の点の位置関係を圧縮伸張してみたり反転してみたり、あるいは逆転してみたり、とあれこれ試みても、最終的に音響空間による規制を受け続けることになります。

余談ながら、バッハはご存知の通り、これらのどの技法にも通暁していました・・・「フーガの技法」がその結晶体なのですが、弦楽合奏などさまざまなかたちで演奏されていますが、バッハのアイディアをじっくり聴き取ろうとなさるのでしたら、今回の個展を演奏なさる大井浩明さんがクラヴィコードによって録音したCDをお勧めします。楽譜につきましては、こちらから無償入手できます。

ティンクトリスの定義している「フーガ」は完全に書き通されたカノンだったのですが、書き上げられた作品としての「カノン」の中でも、私たちにいちばんなじみ深いパッヘルベルのカノンなどは、まさに音楽が伝統的な和声によって現出する伝統的音楽空間の「自由度」と「制約」をはっきり知らせてくれる好例なのではないかと思います。
パッヘルベルのカノンは、最初にバス(低音)が「ド-ソ-ラ-ミ-ファ-ド-ファ-ソ」という線を描いてみせるところから始まるのはご承知の通りです。肝心のカノン本体は、その線が示されたあと、同じバスの上に「ミ-レ-ド-シ-ラ-ソ-ラ-シ」というソプラノ(=ヴァイオリン)の線が乗ることから幕を開けます。ヴァイオリンは全部で3声部ありますが、これは第1声を発したヴァイオリンの示す線をそのまま忠実にたどって行きます。最初はたった4音で構成されていたヴァイオリンの線分は、音程を持つ音楽という性質上、点の数を増やしたり減らしたりして直線の描く山の数を変えて行くかのように聴いてしまいがちですが、作曲者の意図としてはそうではなく、ヴァイオリンが4つの音程で最初に示した「曲線」(すなわち直線ではなく)が、おなじ「位相」をもっていかようにでも変形できる、というのを(全体に同じ絶対的な音程関係を保ったままで)示してみせたかったのではなかろうかと思います。・・・カノンにはある主題を五度などの一定の音高の関係で高く、あるいは低くから始めて追いかける例なども様々ありますから、パッヘルベルが同度で追いかけている手法そのものはシンプルな方に入るのでしょうが、線の変形を多様に施したものとしては間違いなく類を見ないものではあるのでしょう。

どんどんと見かけを変える線の性質が、じつは2小節単位で見比べたときにはまったく同じである、というのはトポロジックです。ただし、2小節という単位が保持されていなければその同質性を保証されない、ということでは、トポロジーの発想の自由さをまだ獲得していません。カノンを奏でる4つのヴァイオリンの「同質性の積み重ねが産む多様さ」は、曲の最後まで2小節単位で「かたちを変えることなく」通奏される「ド-ソ-ラ-ミ-ファ-ド-ファ-ソ」のバスによって保証されているのであり、かつは、変形された線同士が重なりあうときに、バスの各音が決定づける和声空間(主和音〜属和音〜主和音〜主和音〜下属和音〜主和音〜下属和音〜属和音といった、定式的なカデンツ)に安住することで「世界から逸脱しないですむ」ように仕組まれているのです。

ソプラノとアルト、テノールとバスに、それぞれ1本ずつの線を用意し・・・それだけですと2声の曲しか出来上がらないのですが・・・、同じ線を用いるパート同士、たとえばソプラノとアルトで、その線の曲がり角にあたる音と音の間隔を自在に伸縮して見事な4声の作品に仕立て上げられたものも存在します。
オケゲム「ミサ・プロラツィオーヌム」の第1曲、キリエです。

Kyrie
三ヶ尻正『ミサ曲ラテン語・教会音楽ハンドブック』ショパン 2001、p.41記載の翻訳譜

説明の仕方がヘタなので恐縮ですが、写真(デジタルカメラ撮影で、暗めでピンボケで歪んでいるのはご容赦下さい)でご確認頂きたいと存じます。ソプラノとアルトが同じ旋律線、テノールとバスがまた別の同じ線を描いています。
こちらの作例の方が時代が先なのですけれど(15世紀、パッヘルベルは17世紀)、明確な線としてのバスが旋律線同士の築く和声音響空間を支配することはありません。

このように響きます。
MissaProlationum-Kyrie1

20世紀最初の「音響空間破壊」の試みであった十二音技法による作曲を行なったウェーベルン(シェーンベルクの弟子)が、オケゲムと同時代の作曲家であるイザークの研究者であったことは、知る人ぞ知る事実です。
パッヘルバルからJ.バッハの頃までに完成された「バスの空間支配による音響空間」をいったんくだいてみよう、と思い立つにあたって、それを試みた人物の一人がルネサンス期音楽に造詣が深かったことは、示唆的でさえあるのではないかと思います。


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sergejOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

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