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2010年2月15日 (月)

なぜ数式が?:音楽作品に数・数式を用いること----松下眞一追悼個展に関連して----(1)

Matsushitaphoto「松下眞一追悼個展」、2月27日に京都で。
世界的な数学者であるうえにヨーロッパでは作曲家として非常に高く評価された松下氏の、長く埋もれていた作品の初演も含まれ、足をのばせるかた必聴、貴重な会です。
写真クリック、またはリンクをクリックで、是非記事をご一読下さい。
ピアノ:大井浩明さん http://ooipiano.exblog.jp/
打楽器:宮本妥子さん http://www.yasukomiyamoto.com/
スペクトラについての解説を含む松井卓九大教授が寄せたエッセイもご一読下さい。

同時にクセナキスのピアノ作品全曲も演奏されます。



日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの「おすし de イタリア」は、3月12日です。
oguraooi.jpgご予約はお早めに!

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2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」(東京3月18日:小倉貴久子さんと大井浩明さん、京都4月3日・4日:河野美砂子さんと大井浩明さん)詳しくは記事中のリンク先をご覧下さい。バナーをクリックすると大井浩明氏のブログ記事を閲覧出来ます。
上記2月27日の「松下眞一追悼個展」(於:京都)他、今年も瞠目の企画が豊富におありのようです。



2月27日「松下眞一追悼個展(没後20年)」で集中的に採り上げられるこの世界的数学者にして作曲家(じつはクセナキス・シュトックハウゼン・ノーノといった20世紀音楽の旗手たちと唯一「対等に」つきあうことの出来た人物でもあります)につき、リンクの通り、演奏者である大井浩明さんのブログに、松下氏と親交のあった松井卓・九州大学数理学研究院教授の寄稿がありました。

全般が、不幸にして没後その存在価値に対する認知度が母国でまだ低過ぎるこの「作曲家」の生涯の輪郭について、余人では語れない総括をなさった文章です(是非ご一読下さい)。

拝読して興味深かったのは、この中で、今回演奏される一連のピアノ作品「スペクトラ」(1〜6番)について、とくに第2番・第6番・第4番につき簡略ながらよくまとまった解説をして下さっていることで、第2番は「群論による手法」、第6番は全9曲のうちの第7曲が「フーリエ変換」、第4番は10曲中6曲に数式が書かれているとの事実が明らかにされていることです。

以下、物理や数学の用語は意味不明のまま読み流して下さって結構です。私にも意味不明ですから。(^^;

本題。
松下自身は第4番以外はそれぞれの数学的手法を使った、と語ったようです。
第2番で使ったとされる群論(理屈は私には分からないながら)の援用は、松井教授が仰る通り「特定の群を設定して要素と要素の掛算の規則を決めるとセリー的な部分が順次定まる」類いの方法であるとするならば創作にそのまま用いることが出来るはずです。
第6番第7曲の「フーリエ変換」は、「加える波長の幅が広いほどパルス(=粒子の性質をも示す波動であり、従ってその数を数えることが出来る)が短くなる(時間の幅も短くなる)」(『高校数学でわかるシュレディンガー方程式』p.73、竹内 淳著、講談社ブルーバックス 2005)というスペクトル解析の手法で、主に電子音楽で応用されるものかと思いますが、それをピアノ作品に応用したものではないか、との、その音響世界への想像をかき立ててくれます。
これらについては、そんなわけでなんとなく音楽そのものの具体像を想像させてくれるのですが、第4番については「数式が付されている」というばかりで、あらかじめ作品を覗いたことがないので、その数式が果たして作品に対しどのような意味を持っているのか、たとえ虚像であっても、拝読した私の中では像が結びにくくなっています。
・・・といいながら、もっとも興味がそそられるのが、この第4番です。

第1曲にはシュレディンガー方程式が、第6曲にはアインシュタインの一般相対性理論の方程式が書かれている・・・ところが、他の曲も含め、それぞれに付された数式と音楽の進行の間に関連はすぐには見いだせない、と、松井教授は述べていらっしゃいます。(不正確かもしれませんので、このあたりは是非、松井教授の文をお読みになって下さい。)この、正体不明なところが、なによりも、作曲家松下眞一の感覚世界を覗き見たい好奇心をそそります。

第2番や第6番にしたって決して具体的なイメージが抱けるわけではないのですが、具体的な作曲ないし音響構築技法と見なしうる点で具象的であり、用いたものがダイレクトに数理物理的技術の応用ではあっても、伝統を乗り越えようとした新形式概念と見なしてしまうことが可能であるかと思います。

ところが、第4番の数式群は、そうした「見なし」を許しません。
ここに上げたシュレディンガー方程式はミクロな量子力学を支えるものであり、アインシュタインの方程式はマクロな一般相対性理論を支えるものです。そんなたいそうなものを、いったい、音楽にどう反映しているというのでしょう?

で、音楽を歴史的に振り返ってみると、近年の見解では、それは「呪術的なものから始まったのではないか・・・それゆえに、古式な儀礼音楽には唸るような低音が頻出するのではないか」としているのが妥当であるように思えます(たとえば西岡信雄『楽器からのメッセージ』156頁以下の「不気味な音」、音楽之友社 2000)。

非常に身勝手な憶測であり、松井教授にはもちろん、演奏者の失笑をも買うのではないかと思いますが、恥を承知で先に進みます。

第4番の各曲の数式が意味するところは、同じ作曲家の管弦楽作品であえる「シンフォニア・サンガ」において数種の仏典(のエピソード、典拠については松下著「法華経と原子物理学」を参照、といいながらなかなか手に入りませんので、拙ブログ中の記事<「松下真一」という作曲家」>をご一読頂けましたら幸いです)が果たしたのと同じような、音楽精神のバックボーンを形成するための標識だったのではないか、と、私は下衆の勘ぐりでそのように把えております。

そもそも、「スペクトラ(=スペクトル)」というタイトル自体が、松井教授のご説明の通り、「音なら高低、光の波長、量子力学ではどのエネルギー順位など」を指す用語であり、ことに量子力学の出発点は19世紀末のドイツで溶鉱炉の温度を測る方法を、熱く融けた鉄が発する光を分光器にかけて光のスペクトルを得る研究から始まったことを考えあわせるとき、応用数学の研究を通じ量子の世界にも踏み込んでいた松下らしい発想からのネーミングであり、さらに「温度が違うとスペクトルはどのように変化するのか」の音楽上での生涯をかけた実験だったと推測するならば、音楽という素材に加える熱の性質が創作の都度変容するのは自明の帰結であるとも言え、以上の解説に出てきたうち2番・6番と4番は明らかに異質であることから、そこに加えられている「熱」は、どうやら「形式的手法」とは違ったなにものか、ではないのか、と推測すること自体は、あながちハズレではなかろう、と思うのです。

以上、まずは演奏会の迫っている松下作品の中でも解説を目にすることの出来たものへの推測だけで話を始めてしまいました。

松下作品を聴き、評価し直すことには、しかし、彼の作品に接する前にこのような推測だけで終わらせてしまうのではあまりに惜しい、非常に大事な問題提起があります。

もともと、音楽を構成する際に必須とされてきた「音階」は、ピュタゴラス云々だけが強調されがちです。
が、現在でも明確に、インドや中国、およびそれから派生した(?)アラブや東南アジアや東アジアでは、ある決まった感覚で分割でき、ある決まったルールで循環する数列だと言うことが人間によってかなり早くから認識されていたことが明らかになっています。
これをもって即「音楽=数学」だとは言い切れず、せめて音それぞれには数列の中での位置が与えられ、ナンバリングされたのだ、との線にとどまるとはいえ、とくに音楽に用いられる音の高低の幅(音域)が中世以降拡大するにつれ、完全に数学とリンクしていると見なすのは困難でありながら、曲の形式原理などには数学への接近(それは数という抽象概念よりは宇宙観と密接に関わっていたと想像されます)がより明確に見て取れるようになって行く事実には、大変興味深いものがあります。

ヨーロッパにおいては有名な例だけでも大バッハ、バルトーク、クセナキスといった明確な例が存在するにも関わらず、日本ではおそらく、徹底して音と数(すう)の世界までを突き詰めようとしたのは、松下眞一という人物ただひとりではなかったのか、という思いが、最近ますます強まってきております。

その確認のためにも、(残念ながら松下作品を聴くことの出来る音声資料は身近には非常に少ないのですが)私の勉強にとっても良いチャンスなので、、いったん松下作品から離れ、かつ、彼がその創作思想の形成の上では西欧音楽に多くを負うていることを鑑み、与えられた時間が僅かなうえに資質がないのでどこまでたどれるか不安ではありますけれど、数回にわたって、「音楽と数・数式」について、古い時代を顧みることから始めてみたいと思います。


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sergejOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

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