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2010年1月 5日 (火)

曲解音楽史65)西欧(ドイツ)後期ロマン派

過去の音楽史関連記事はこちらの「曲解音楽史:総合リスト」からご覧頂けましたら幸いです。



前期ロマン派は「西欧」と範囲を限りましたが、後期ロマン派については東欧・ロシア・北欧へも波及するので、本来は地域限定とはいかなくなります。ただ、西欧以外(ただしスペインを含む)の「後期ロマン派」は(世界的にどうなのかは知りませんが日本においては)「国民楽派」という別の名前を持った潮流へと繋がっていきますので、やはり西欧のそれとは区分して観察されなければならないのだろうな、と思います。(イギリス・フランス・ドイツには「国民楽派」なるものは存在しません。)

いちおう、西欧以外でもこの時期・・・およそ1850年以後・・・に共通するのは、鉄道の敷設という大きな交通手段の変化によって、産業構造が「地付き」のものから「流動的」なものへと変わったこと、それは主に工場労働者の大量発生に繋がっていったこと、やがてはそれを管理する層も「地付き」とは限らなくなっていくこと、がベースではなかろうかと思います。
思潮的にこの時代を把握しようとなると、時代が近いだけに膨大な書物や資料から実体を掴む必要があり、それをやっていると先に進みませんので、はしょりますが、産業構造の変化が人の発想にも大きくは二つのベクトルを産み出しているように感じます。
ひとつには「個」の発見とその肥大化でして、代表例としてはドイツにおけるショーペンハウエルからニーチェに繋がる系譜が上げられるでしょう。
ショーペンハウエルはヘーゲルの直後の世代ですが、前回見たヘーゲルの歴史観をあっさりと否定しているところに特徴があります。

「歴史は我々に諸民族の生活を示してくれる。その歴史は戦争と叛乱以外には物語るべき何物も持っていないのだ。平和な年月というものは、ときたま訪れてくる小休止、幕間、でしかないように思われる。」(「世界の苦悩に関する教説によせる補遺」、斎藤信治訳『自殺について』所収、p.49、岩波文庫)

・・・こうした類いのショーペンハウエルの言説をとらえて彼の考えを「虚無主義」と呼びますが、そのじつ彼が視野に置こうとしたのは「個」とはいかなる重みを持つ存在なのか、ということだったのではなかろうか、と感じております。その兆候としては、上記の文のすぐあとに続く記述を上げておきます。

「ちょうどそのように個人の生活もまた不断の戦闘である。といってもそれはいわば単に比喩的に困窮や退屈相手の戦闘だというだけではなしに、さらにそれは現実的に他人との戦闘なのである。彼は到る処に敵を見いだす。彼は絶え間のない戦闘の生活を送り、そして武器を手にしたまま死んでゆくのである。」

こうした記述は、ニーチェによって架空古代ギリシャ的に肥大化され(『悲劇の誕生』、ニーチェにおいてはその見かけの誇大さにもかかわらず(『ツァラトゥストラ』)、「個」への沈潜を深めていくように、私には感じられます。
もういっぽうで、直接な関連性は見いだしにくいものの、ショーペンハウエル的な見方はフランスのベルグソンへと、長いスパンで流れが引き継がれていき、その直後のフランス的な「実存主義」に結実していくかのようです。

もう一方は、マルクスに代表される、より現実を見据えた世界把握の試みで、こちらではエンゲルスの後押しもあって「闘争」という言葉が表面化しているために、それが必要な層からは圧倒的に支持され、邪魔な層からは圧倒的に嫌悪される、という事態を招きます。ですが、とくにマルクスの記すところを、資本論のような長大なものではなくとも、たとえば『賃労働と資本』のような掌編であっても、実社会で発生している、そのままでは解決不能だった問題点について、いかに客観的に把握しているかが窺われます。
こちらの流れでは、変革の必要性の急が感情でとらえられた側面が大きくあり、その合い言葉として「革命」がクローズアップされていくこととなって、思潮の純粋性よりは直接的な社会運動に繋がっていったところで、「個への沈潜組」とは袂を分かっていると見ていいでしょう。
当時の、工業化が急激に進んだときにおこった都市部の人口増加、居住と衛生の問題については、相馬保夫『ドイツの労働者住宅』(山川出版社、世界史リブレット75、2006)に、ナチによる「解決」から現状までを含めてまとめてありますので、(主義主張ということをいったん捨象して、がよかろうと思いますが、)マルクス著作と対比してお読みになるには適切な資料となるかと思われます。

内向的か外向的か、の差はあるものの、西欧に端を発したこの二つの思潮は、じつはけっして分離したものではなく、たとえばマルクスの娘婿ラファルグが著した『怠ける権利』(田淵晋也訳、平凡社ライブラリー 2008)の記述には、その交錯ぶりが読み取れるかと思います。

さて、肝心の音楽ですが、こうした世の中の潮流が見事に反映して、「巨大化」、悪く言えば肥大化しているのが大きな特徴なのは明白でしょう。
ひとつにはヴァーグナーに代表されるような「規模の巨大化」がありますね。初期作品(「リエンチ」・「さまよえるオランダ人」あたりまで)ではなんぼ巨大とは言っても従来のオペラを逸脱するものではなかったのですが、「タンホイザー」以後はオーケストレーションの規模においても作品の長さにおいても、嫌いな人にはたまらないほどだらだらと、でも惚れ込んだ人間にとってはその世界に沈潜するにふさわしい巨大化を遂げます。実際にはこれはベルリオーズが既に志向してきたことの間接的な後継のようにも見えますが、『タンホイザー』がパリ版無しにはフランスでは受け入れられなかった(とはいえパリの識者には絶大な支持を受けた)ことからも窺われますように、彼の方法は純粋にドイツ的だったと見なせるのでしょう。もはや、彼のまっすぐな後継は、こうした巨大な作品を前にしては現れ得ず、楽劇そのものではR.シュトラウスがヴァーグナーとはまた違う路線を模索しながら第二次大戦終了まで引き継ぎ続け、器楽(管弦楽)だけを取り出した結晶としてはマーラーが引き継いでいきますけれど、それはドイツの1945年の決定的な敗戦によって潰える運命にあるのでした。
一方で「個」の肥大化は、規模としてはずっとコンパクトにまとめあげられているものの、ブラームスの作品に代表例を見ることが出来るでしょう。4つの交響曲の構造的な複雑さは先例を見ないものですが、ピアノ作品にしても内声の音の数、流れの錯綜ぶりは、「それでもよくこれだけ美しく響くものだ!」と感嘆させるに十分な「肥大」ぶりをみせています。世間からはヴァーグナーとの対極におかれた・・・とはいえ実際にはその生前はヴァーグナー陣営ほど派手にアピールされなかったのですが・・・もむべなるかな、と感じます。
ブルックナーは、生前の活動や、作曲したシンフォニーの規模の大きさから、ヴァーグナー側の作曲家と見なされていますが、彼の音楽の本質は、ブラームスとはまた違ったパターンの「個」への沈潜であると見なし得るでしょう。
いずれにせよ、従来の西洋音楽史の記述にあるように、西欧とりわけドイツ音楽と他のヨーロッパ各国のこの当時の音楽を単純に並列に扱うことは世界観を狭める可能性があり、最近ひねくれてきた私には素直に受け入れられなくなってきました。ヴァーグナーとブラームスの対峙、というのは「音楽社会的運動」のひとつとしては確かにありましたが、音楽を愛すると言うレベルでは、少なくともブラームスの側について言えば真実ではなかったことは、こんにち資料的には明らかになっています(ブラームスはヴァーグナーの書法には感心していたという2次史料がいくつか存在します)。したがって、トピックとしては面白くても、ヴァーグナー対ブラームス、という図式からは、そろそろ私たちは卒業しなければならないだろうと思っております。

後期ロマン派の特徴を短い時間で窺わせてくれるものとして、ここではブラームスのピアノ作品を聴いておいて頂きましょう。

間奏曲作品118 第2番(イ長調)
Brahms-Intermezzo.mp3
オピッツ(Pf.) RCA RED SEAL 82876-67887-2 DDD CD2(1989)

ドイツ音楽に関して言えば、「十二音技法」による作曲は、あくまで技法に従来との差があるだけであって、これはたとえばドビュッシーやバルトークの非正格教会旋法の採用などと併行した発想にすぎず、シェーンベルク、ウェーベルン、とくにベルクの作風はそのまま後期ロマン派の延長線上にあるものなのだということは明白に把握されるべきであろうと考えます。・・・これは「国民楽派」とともに、まずは他世界、とくにこの時期ヨーロッパに植民地化された国々を出来るだけ瞥見してみてからあらためて触れるのがよいでしょう。

なお、「西欧後期ロマン派」を云々しながらフランスやイギリスについては全く触れませんでしたが、イギリスにおいてはエルガーの登場まで後期ロマン派に相当するものは現れない(ヴィクトリア王朝時代には自国での音楽生産は商業的成功からほど遠かったようで、有名作品が生まれていないようですが、なお調べます)ですし、フランスはビゼーという「天才的逸脱」はあるものの、基本的にベルリオーズが準備した試みよりも保守的なサン=サーンスが優秀な作品を産み出しているのと、ドイツ出身のオペレッタ作家オッフェンバックの活躍を特記すべきとはいえ(本当に傑作揃いですので少しでも目にし耳にして頂ければとは思っております)、ドイツのような観念的傾向がなく、彼らの創作は前期ロマン派をより素直に受け継いだものと受け止め得るのではないかと感じております。これはイタリアにおけるヴェルディからプッチーニへの流れについてもいえるのではなかろうかと思います。

目新しいところのない記事になりました。

では、少し間は開きますが、また別の地域に目を移したいと存じます。



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