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2009年12月13日 (日)

ウィーン古典派のシンフォニストたち

さらりと流しますが。

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古典派の音楽家がハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに限らないことは言うまでもありませんが、じゃあ、
「他にどんな音楽家がいたの?」
となると、この時代が大好きな人でなければまだまだご存じないのが現状かと思われます。

で、たまたまですが、名前を挙げた3人は、古典派の中でも「ウィーン古典派」に属します。
ということは、古典派の中でも、ある特定の圏内の音楽家に限られて「古典派が云々されている」というのが現状だということが分かります。

まあ、それはそれとしましょう。

さらに、ウィーン古典派がこの3人の音楽家だけで成り立っていた、というのは、ちょっと考えたって「あり得ない」話ではあります。

だから、この3人だけでウィーン古典派を語るのは間違いである、というのが、ウィーン古典派ファンの言い分になるでしょうし、そうやって浮かび上がってくる音楽家たちだって
「モーツァルトやハイドンと同じ、あるいは似たようなことをして来たんだ」
とアピールするケースを多く見かけるようになりました。(ベートーヴェンは例外ですが、これはウィーンの環境の変化に加えてベートーヴェンがウィーンよりはドイツ音楽そのものの文化の中で自己を確立して来たことから、モーツァルトやハイドンとは水平に捉えられない側面があることに由来すると思われます。これはまたあらためて検討します。)

ちょっと待って下さい。
「同じようなこと、似たようなこと」
をして来た、というのは、よくよく考えなおせば、そうした音楽家さんたちに対して、大変失礼なことではないでしょうか?
一見「そうなのかー」と思われるこの言い方の中は、すでに名声を確立しているハイドン・モーツァルトはいいとして、これから名前を挙げる別の音楽家さんたちに対してあまりにつれないのではないでしょうか!!!?

イタリア音楽だと未だに思い込まれているサリエーリも、イタリア人ではあったものの、音楽教育はガスマンのもとでウィーンで受けていますから、その作品はウィーン古典派のものだ、ということは忘れてはならないと思います。ただし、サリエーリについてはモーツァルトを検討している一連の流れの中で考慮して行きたいと思いますので、今日は含めません。

採り上げたい名前は4人で、いつもいろいろご示唆下さるBunchouさんのお教えを念頭に作品を聴いてみた人たちばかりです。

18世紀末葉に人気があったことが明らかだった人たちを採り上げるのですが、非常に面白いのは、知ってみると、ディッタースドルフ以外の3人はボヘミア出身者なのでした。ハイドンもボヘミアに限りなく近い地の出身であることが思い起こされます。

ロゼッティ Antonio Rosetti 1750-1792(ロセッティ、とも ウィキペディアドイツ語英語) は、北ボヘミアの出身。厳密にはウィーン古典派に入れてよいかどうか微妙なところで、作風もハイドン、モーツァルト、および以下の3人と著しく違います。ただ、彼の作ったレクイエムがモーツァルトの葬儀(?)に用いられたことから、この人がウィーンでも名声を確立していたことが伺われます。・・・他のウィーン古典派の作曲家が(サリエーリの器楽曲をも含め)動機労作的特徴を持ち、旋律が民謡的に素朴であるのに対し、シンフォニーで聴く限り、彼の手法は息の長い旋律に依存しています。現在、シンフォニ−以外のジャンルまでがもっとも多く復活演奏されている「古典派の人気作曲家」になりつつあります。

Symphony in g (1787) -1
Rosetti-g-1.mp3
G.Mais/Lithuanian Chambar Orchestra Vilnius ARTE NOVA 74321 72123 2

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/list?genre=700&keyword=Rosetti&target=CLASSIC&advanced=1&formattype=1&pagesize=3&pagenum=1

コジェルフ Leopold Kozeluch 1747-1818(ウィキペディアドイツ語英語)は、モーツァルトの後釜としてモーツァルトの死の翌年、モーツァルトの4倍の俸給でウィーン宮廷音楽家になった人物です。それ以前、モーツァルトがザルツブルクと訣別したおりには、モーツァルトが投げ打ったポストに就くようザルツブルクから要請があったのを断っています(1781年)。モーツァルトとは因縁深いように見える経歴ですが、作品を聴く限り、接点があったとは感じられません。音響的にはたしかにモーツァルトと類似したところがありますが、音の素材はハイドンのほうに近く、かつ、素材があまり重層的に組み合わされていません。シンフォニーでは、ハイドンならば弦楽合奏ですませたようなものに敢て管楽器を加えてみたりしていますが、ちょっと突飛に聴こえることは否めないと私は感じております。これは、そのように要請する誰かがいたのでしょうか? 「疾風怒濤」的作品でもここに他に名前を挙げた人々の作風に比べると激しさは劣ります。音楽の作り方は、Rosettiの旋律依存型とその他の作曲家の動機依存型の中間に属するようです。動機はしばしば変形されないまま繰り返され、こんにちの耳には単調であることを否めませんが、当時の聴き手にはむしろ分かり易かったのではなかろうかとも思われます。口の悪いベートーヴェンには「セコい奴」みたいな悪口を言われたこともあるようですが、実像は分かりません。ただ、彼の作風のような音楽が、宮廷では好まれたからこそ、高い俸給も得られたのでしょう。

Symphony in D -2
Kozeluch-Es-2.mp3
M.Barmert/London Mozart Players CHANDOS CHAN 9703

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=CLASSIC&genre=700&adv=1&keyword=+Kozeluch&site=

あとの二人はハイドン、モーツァルトと弦楽四重奏をやったことがある(1784年のこと)、と伝えられる人物です。

ヴァンハル Johoan Baptist Vanhal 1739-1813 (ヴァニュハル、とも ウィキペディアドイツ語英語)はシンフォニーで自活し得た作曲家として有名になり(DUKE UNIVERSITY Liblariesの情報)、生前このジャンルで51作品を出版出来たほどです(実数は70を超えるそうです)。日本でもハイドン・シンフォニエッタ・東京という団体さんが熱心に上演していたのですが、今日調べてみたら、最近の記録が出て来ません(お詳しいかた、情報をいただければありがたく存じます)。1760年以来、同じ歳のディッタースドルフに作曲を学んだためか、シンフォニ−の作風はディッタースドルフに似ています。ただ、その最盛期は1770年代から1780年代中葉にかけてでして、晩年は鬱に苦しんだようです。多作にもかかわらず構成観のしっかりした曲作りをしており、おそらく当時の人にとっては不協和音を多用したモーツァルトほど難解ではなく、捻りを利かせたハイドンほどにはサロンのムードを妨げず、かといっていつも鮮やかに響く、というあたりが同時代に受けたのだろうか・・・と想像したいところです。ただし、伝記的資料は少ないとのことで、このあたりはもう少し調べてみないと分かりません。日本でも美学の専攻生が論文で採り上げたりしているようですから、いずれ詳しい書籍でも出ればありがたいと思っております。

Shymphony in D(Brayan D2) -4(第1楽章と同じ動機を使用しています)
Vanhal-D-b2-4.mp3
K.Mallon/Tronto Camerata NAXOS 8.557 463

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=CLASSIC&genre=700&adv=1&keyword=Vanhal&site=

ディッタースドルフ Carl Ditters von Dittersdorf 1739-1799 (ウィキペディアドイツ語英語日本語)は、以上の中では最も堂々とした構成力を持った作品を残しており(ハイドンやモーツァルトの特徴といわれる不規則的なリズムと小節構成・・・偶数小節の組み合わせで均等に音楽を進めるのではなく、奇数小節の後に新鮮な主題を提示する方法に優れている)、その作品が現在埋もれていることが非常に惜しまれます。父の仕事の関係から、ハイドンを含めた上記の音楽家たちの中ではもっとも恵まれた青年時代をおくったと言え、24歳のときにはグルックとイタリア旅行をしたりしています。やはり、晩年はヴァンハルと似た不遇をかこっていて、作品が出版されなくなって行ったとのことです。

Sinfonia in D(Grave D6) -1
VDittersdorf-D-1.mp3
A.Cassuto/Lisbon Metropolitan Orchestra NAXOS 8.570198

HMVのディスコグラフィ
http://www.hmv.co.jp/search/list?genre=700&keyword=Dittersdorf&target=CLASSIC&advanced=1&formattype=1&pagesize=2&pagenum=1

さて、この4名の音楽家は、死後、もしくは生きていても晩年のうちに、聴衆から忘れられた存在になって行きました。
ハンスン著『音楽都市ウィーン』(音楽之友社 昭和63年)に掲げられた、ウィーンの楽友協会演奏会1815-30年の演奏記録の中には、モーツァルト以外は上記の音楽家名は全く登場しません。モーツァルトのいわゆる3大交響曲とハフナーシンフォニーだけが合計で14回演奏されています。

とくにディッタースドルフの作例の質の高さから考えるに、楽友協会の演奏会にウィーン古典派の(ベートーヴェンを除いた)他の作曲家名がまったく現れないのは、モーツァルトとの音楽の質の善し悪し比較に由来したものではないと推測されます。
ヴァンハルについては不明ですが、他の3人は宮廷と強い結びつきをもっていたのでした。
で、ヴァンハルやディッタースドルフのシンフォニーが劇場に登場しなくなって来たと思われる1790年代は、フランス革命と続く対ナポレオン戦争の影響でウィーンも貴族の破産が頻発し(ベートーヴェンの伝記にそうした世情がよく現れますね)、聴衆の層が富裕商人層に変化し、入れ代わった聴衆が求める音楽も、大衆に知名度の高い作曲家の手になるものになっていったことが考えられます。モーツァルトは『魔笛』人気急上昇中の突然の死以来、早くから伝説化が始まっていたようですから、そうした有名作曲家に名前を連ね得たものと推測されるかもしれません。ハイドンが登場しないのは、ハイドンはウィーンよりもパリ、次いでロンドンで知名度を上げただけでなく、ロンドンではシンフォニーで興行的な成功も収めていたことが、ウィーンでの楽友協会で管弦楽曲が採り上げられなかったにせよ(声楽曲、宗教的な合唱曲とおぼしきものは演奏された記録があります)、ハイドンを人々の忘却から掬い上げた要因になっているかと思われます。

とはいえ、楽友協会のこの当時の演奏記録に頻出するケルビーニもシュタードラー(合唱曲が多く演奏された)も後年忘れ去られたに等しい存在になったことを考え合わせると、やはりモーツァルトとハイドンの作風には、他の人の手になる作品から抜きん出た個性が人々に高く評価されたのではないか、とは、なお推測し得るのでして、ハイドンは(自身が意図したかどうかは分からないものの)作品へのネーミング戦術とそれにふさわしく聴こえる動機を明確に提示して人を楽しませることに成功し(もっとも見事な例はやはり「時計」でしょう)、モーツァルトは人生は恵まれたかどうかは措くとしても幼時から多感な青春期にかけてウィーン古典派よりはイタリア・マンハイム・パリの多様な語法が身に染み付いた振幅の大きい書法で新時代に受け入れ易い「複雑さ」を備え得たことが生き残りに繋がったのではなかろうか、と、私にはそのように思われてなりません。

ウィーン古典派そのものの話に戻ることはないかと思いますが、この話題、前期ロマン派を考える上では大切な話のひとつになって行くかと存じます。

さまざまご教示頂けましたら幸いに存じます。



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コメント

うーん、
ロゼッティのシンフォニーも充分、動機労作的特徴を備えていると思うのですが…。
参考のト短調曲の第一楽章も、その第一主題自体が動機労作の産物です。
(素材自体はよくある「運命動機」風のものですが。)
彼はハイドンと同様、理解ある領主の下で活動できた人で、
ハイドンほどの奇想は無いにせよ、魅力あるシンフォニストだと思います。

コジェルフはクレメンティと同様、クラヴィーア音楽に大きな存在感を示しており、
シンフォニーは二次的なジャンルの領域からは出ていないようです。
個人的にはト短調やイ長調の作品がお気に入りですが、
全体的にみて、彼はこのジャンルでは(現在では)そんなに高評価は
得られないのではないかと観ています。

ヴァンハルに関しては
>不協和音を多用したモーツァルトほど難解ではなく、
>捻りを利かせたハイドンほどにはサロンのムードを妨げず、
>かといっていつも鮮やかに響く
というKenさんの言葉が適切なものだと思います。
また、短調シンフォニーにおける存在感の高さも注目です。

ディッタースドルフの作品はあまり知らないので大きな事は言えません。
ただ、彼が1788年に出版した弦楽四重奏曲集の譜面を見た限りでは、
彼は動機労作や動機展開、あるいは転調に関して優れた手腕を持っているようです。

この4人の作曲家の作品は、鑑賞に堪えうる充分な質を備えていると思います。
ただ、割と若くに亡くなったロゼッティを除くと、
他の3人は時代が要求する音楽に着いて行ききれなくなったことが
忘却を招いてしまったのかもしれません。
(ロゼッティにしてもあえて「一歩踏み出す」ことはあまりしてはいないようですが。)

シンフォニーではマルティン・クラウスも重要ですね。


>他の人の手になる作品から抜きん出た個性が人々に高く評価されたのではないか

賛成です。
ハイドンやモーツァルトはやはり凄いと思います。
彼らの同時代の作曲家の作品を聴くようになり、
それらが素晴らしく魅力的な音楽であることを知りましたが、
同時にハイドン、モーツァルトの凄さをより深く実感するようになっています。
(エマヌエル・バッハやボッケリーニは特に油断ならない存在ではありますが。)

投稿: Bunchou | 2009年12月17日 (木) 20時03分

bunchouさん

ありがとうございます。
ロゼッティについては、言葉がいけなかったのかな・・・
彼の作品は、私は「ロマン派につながる」意味合いを持った「メロディアス」というつもりでおりました。他に名前を挙げた人に比べると、断片的な動機で音楽を構築する、というよりは、シューベルトの歌曲(器楽の方でなく)につながるような、息の長いラインを持っているような気がするのですが・・・いかがでしょうか?

取り急ぎ、これだけで恐縮ですが。。。

投稿: ken | 2009年12月23日 (水) 00時13分

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