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2009年12月 5日 (土)

モーツァルト:ポストホルンセレナーデと関連行進曲

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



今日はモーツァルトの命日なんですね。
日付を覚えるのが苦手な私は、ときどきご紹介するブロガーのJIROさんに教えて頂いて
「ああ、そうだったか、12月5日零時55分だったのか」
と、さっき確認したところです。

それとはまったくかかわりなく、モーツァルト作品のおっかけをしていました。
「ポストホルンセレナーデ K.320」
です。

前にハフナーセレナーデを調べた際には、ポストホルンセレナーデはより劣る作品だ、と思い込んでおりました。
それがまったくの浅見だ、ということを思い知らされました。

作曲日付は自筆譜に1779年8月3日とあります。
新モーツァルト全集(NMA)では、第13分冊に、関連すると思われる行進曲K.335(2曲、同年8月)を前に置いてスコアが掲載されています。

編成は基本的にオーボエ2本、ファゴット(というより、音響的にはバソンBassoonの方がふさわしいかと思われます)2本、ホルン2本、トランペット2本、ティンパニおよび弦五部で、これだけでもザルツブルクの宮廷オーケストラとしてはフル編成の壮麗さですが、3、4楽章にはさらにフルート2本が加わり(1本はそれより早く第2楽章のトリオに現れます)、6楽章では愛称の由来となったポストホルンが使われます。なお、この第6楽章は二つのトリオを持っていて、ポストホルンは第2トリオの方で使用されます。第1トリオはスコアに「フラウティーノ」という楽器の使用が指定されていますが、自筆譜では指定のみで音符が書かれていません。
NMAの注解で問題とされている指定で、音符が書かれていないこと自体はこの楽器がヴァイオリンの声部と同じメロディをオクターヴ上で演奏すれば良いとすることで解消する問題である、とし、楽器の正体についてはソプラノリコーダーだと述べながら、(私に語学力がないので私が混乱しているのですが)ヴァイオリンの2オクターヴ上を演奏するようなものだったとも読めるようにもなっていて、アーノンクール/ドレスデン・シュターツカペレの1984年の演奏録音(TELDEC WPCS-21107)では2オクターヴ上を吹いている、その根拠となっています。

本セレナーデは、使用しているオーケストラの規模の大きさも手伝って、全般が、フランス風な音響設計になっています。この点は交響曲第32番と同様です。
しかしながら、交響曲第32番の方と異なって、創りは凝りに凝りまくっています。それが、聴覚的には「ハフナーセレナーデ」のような華やかさを感じさせないため、流して聴いてしまうと地味に思えてしまいます。
ところがそうではないのだ、というのは、このセレナーデの第1、第5、第7楽章の三つを引き抜いた交響曲版が、同年の「ヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲」K.364と双子のように聴こえる事実から気がつかされることです。

構成は次のとおりです。興味深い特徴についても付記しておきます。

I. Adagio maestoso-Allegro con spirito、4/4、ニ長調、272小節
・・・壮麗な序奏を、それに続く部分と併せて、アルフレート・アインシュタインは<プラハ>交響曲の前触れ、と捉えています。ですが、私には納得がいきません。アインシュタイン自身が述べているように、この楽章は<プラハ>とは違って、目立った対位法的書法は採られていません。かつ、序奏の壮麗さ、という点では<リンツ>の先駆と捉えても何の支障もありません。<プラハ>と類似するのは、1小節目で堂々と和音を鳴らし、2小節目では動きのある動機を用いている、という点です。長さにおいては6小節でしかありません。2度目の反復の時には、<プラハ>の場合は標準的なカデンツ構造を崩さないドミナントを鳴らし、3度目に副和音を用いているのですが、ポストホルンセレナードの序奏では2度目が変化和音であり、減音程であって、9年後の<プラハ>のヒントとして活きたかも知れない可能性は残るものの(これは終楽章のプレストと抱き合わせてこの作品を見てしまうと<プラハ>との相似形を感じてしまい易くはあるのですが)、すべてが<プラハ>にだけ繋がるのではない、ということを見落とさせてしまう点で、妥当な把握のしかたであるとは考えられません。
なお、アレグロの主部には、音響上は<プラハ>との共通性はあまり感じられません。
で、この序奏はユニークなはたらきをします。耳で聴くだけですと、この序奏が161小節で再び現れるのですが、実はその際はテンポ指定はアダージョには戻されていません。楽譜の音価を倍に延ばすことで、アレグロのまま「アダージョに聴こえる」耳の錯覚を起こさせるのです。かつ、このときは序奏の時とは少し姿も変っているのですが、聴いているだけでは、そのことには多分気がつかないでしょう。
・・・この楽章には先駆的な試みがもうひとつなされています。「音色旋律」です。46小節から65小節第1拍目までの主題は、第1ヴァイオリンが一息ついたかに見せかける箇所でオーボエが旋律を引き継いでおり、これは一体として演奏されなければなりません。(このセレナーデの交響曲版をホグウッド/エンシェントの録音【全集盤の中の1枚】で聴くことができますが、この演奏は全体としては素晴らしいものの、この音色旋律が途切れてしまっています。)197-215小節もまた同様です。

II. MENUETTO(Allegretto) 44小節、ニ長調、 Trioはイ長調、16小節
・・・第3楽章がコンチェルティーノとなるのですが、この楽章のトリオがその先触れを勤めます。メヌエットは第1楽章と同じ標準編成ですが、トリオはフルート・ソロ、ファゴット・ソロに弦五部、という造りです。トリオは当時のフランス風な(もしくはグルック風とでもいうべき) 音響構造と鳴っています。

III. CONCERTANTE(Andante grazioso)3/4、ト長調、175小節
・・・NMAの注解も述べているように、名技性がまったくと言っていいほど要求されておらず、133-148小節のCADENZAも即興の余地がありません。ベートーヴェンの第3以降の交響曲では管楽器に息の長いメロディが現れることが常態となって行くのですが、モーツァルトやハイドンを始め、この時期の作曲家の「シンフォニー(シンフォニア)」ではそうしたことは珍しく、息の長いメロディが管楽器に与えられる時には「協奏交響曲」になる、という発想があったのではないかと想像しています。これを「ハフナーセレナーデ」のなかに挟み込まれた近代ヴァイオリン協奏曲的特徴と同じ価値観で見てしまうのは誤りなのでしょう。それにもかかわらず、モーツァルトや同時代の人たちの感覚では、「ハフナーセレナーデ」のケースも、「ポストホルンセレナーデ」でのこのケースも、同じアイディアの延長線上から生まれているのでしょう。交響曲というジャンルの発展史を考える上で、この楽章と次のロンド楽章は、よく観察しなおされるべきかも知れません。かつ、第6楽章のメヌエットの二つのトリオは、フラウティーノやポストホルンという特種楽器を使用していながら「協奏」とは考えられていないことも、注目しておくべきことです。こちらは「カッサシオン」の特徴と合ってしまい、「セレナーデ」・「ディヴェルティメント」・「カッサシオン」を彼らがどういう基準で呼び替えていたのかを、私たちにとって非常に分かりにくいものにしてくれちゃっています。
この楽章と次のロンド楽章は、トランペットとティンパニが抜けて、表側の「祝祭」イメージの影をひそめさせ、下属調を採って、穏やかなプライヴェート空間を創出しています。(この点はハフナーセレナーデなどと共通でしょう)。

IV. RONDEAU(Allegro ma non troppo) 2/4、ト長調 、244小節
・・・アインシュタインが<プラハ>を持ち出すことが公認されるのでしたら、この楽章にふさわしい後年の作品は『魔笛』となるでしょう。

V. Andantino 3/4、ニ短調(トランペットとティンパニは無し)、91小節
減音程の多用はK.365とまったく同じです。そのため、持っているムードも似通っていて、ただ調性の違いにより、後者がハ短調の内向的なものであるのに対し、こちらの楽章はニ短調であることで「外向き」になっている。似たムードでありながらも、この相違点は極めて重要であると思われます。まさに本楽章は「外向的」であることにより、「協奏交響曲」のではなく、「セレナーデ」の楽章であることを自己主張していると考え得るからです。

VI. MENUETTO ニ長調・24小節、第1トリオ=ニ長調・16小節、第2トリオ=イ長調・32小節
・・・主部の編成はザルツブルク標準フルモードに戻っています。トリオにおける楽器使用の特異性は前述の通りです。
それにしても、ド・ミ・ソだけの音を出すポストホルンで、よくもこれほどまで豊かなメロディが作れたものだ、と、つくづく感心します。バックの弦楽器(オーボエの助奏あり)の表情の変化の巧みさもメロディを補完はしているのですが、そのことを抜きにしても見事です。

VII. FINALE(Presto) 2/2、ニ長調、297小節
・・・高い頻度でポリフォニックな書法が採られているにもかかわらず、平明な音楽です。それぞれの箇所を列挙はしませんが、ポリフォニックな箇所の登場頻度が高いのにこれほどシンプルに聴こえる、ということに、実際の演奏を聴いていると不思議な印象を持たざるを得ません。そして、それが、浅くだけこの作品を聴いている時には、この作品の持っている意味深い特徴を隠蔽しているのだ、と気づかされ、私たちはスコアによって真相を知った時、驚嘆してしまうことになるのです。


さて、K.335の2つの行進曲は、マリナー/アカデミーの録音(PHILIPS 164 780-2、全集盤)では第1番(ザルツブルクのフル編成からティンパニだけを除いたもの)をセレナーデ本体の前に、第2番を本体のあとに演奏していますが、もしK.335がポストホルンセレナーデ用の行進曲であることに間違いがなければ、この順番は正しかろうと思われます。
第2番は、第1番のオーボエ2本がフルートに置き換えられています。これは、彼の交響曲でも例がある「オーボエからの持ち替え」ではなく、セレナーデ本体の中のCONCERTANTEを演奏したフルート奏者が演奏したのでしょうか?
第1番は63小節、第2番は61小節の作品です。
第1番では18-21小節および54-57小節で弦楽器がコル・レーニョでオーボエを伴奏するという、おそらく当時としては新奇な趣向を取り入れているのが面白いところです。ソナタ形式、との分析がありますが、A-B-A'-Bというかたちであると捉える方が良いように思います。
第2番では44-46小節で突然、3拍子に聴こえるメロディが現れます。これは聴き手の意表をついたことでしょう。素材は当時の流行歌ではないか、という見解があります。



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コメント

Kenさん、こんばんは。ポストホルン・セレナーデ、第6楽章第1トリオ、自筆譜は音符がかかれていないのですね。それを尊重してのことか、ヴァント=バイエルン放送響の録音
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1467952
では、弦楽器だけとなっております。しかし、実に流麗な名演ですね。因みに第2トリオのポストホルンを吹いているのが誰かは特にCDに書かれていません。

リンクにはならないかも知れませんが、このURLでお聴きいただけます。
ヴァント=バイエルン
http://jirodokudan.sakura.ne.jp/Mozart/PostHorn/GunterWandSerenadeNo9K320Posthorn6thMovMenuetto.mp3


以前弊ブログで取りあげた、マッケラス=プラハ室内管では、なんでしょうね。ピッコロらしき楽器が弦の上を吹いています。ただかなり抑えてます。第2トリオのポストホルンは故・ティルシャル氏で実に見事です。テンポが速く快活でリピートも全部実行しており、ヴァント氏とは異なる解釈ですが、これもまた、名演です。宜しければお聴き下さい。
マッケラス=プラハ室内管
http://jirodokudan.sakura.ne.jp/Mozart/PostHorn/PostHornMenuetto.mp3

Kenさんがお書きのように、私も以前からこの第2トリオ、「ドミソ」だけのポスト・ホルンでよくもこれほど見事な旋律が書けるものだ、と思っていました。Kenさんが同じ事を思っておられたことを知り、ますますその意を強めました。

投稿: JIRO | 2009年12月 7日 (月) 23時19分

JIROさん、お返事が遅くなってすみません。
ヴァントはどう考えたのか分かりませんが、第2メヌエットのトリオは、あくまで
「フラウティーノ」
がヴァイオリンと同じ旋律を、おそらく「フラウティーノ」という楽器の通常の音程で演奏するのが正解なのだと思います。
すると、その「フラウティーノ」が何であるか、が問題になるのでして、これは楽器名が縮小形であること、かつ「ピッコロではない」、だとしたら何なのか、ということに尽きると思います。
このあたりは専門のかたでないと分からないかも知れません。
NMAの回答は「ソプラノ・リコーダー」なのですが、だとするとアーノンクール盤もマッケラス盤もオクターヴ高いことになる。ところが、同時にNMAではフラウティーノの音高が2オクターヴ上かもしれないと読める示唆もあるから・・・うーむ、素人の私は、困っちゃうのであります。

お詳しいかたのご指摘があると助かるのですが・・・

ちなみに、マリナー盤だとトリオは初回を通常のフルートで吹かせ、繰り返し部分はフルートを沈黙させる、という方法を採っています。
ベームはどうしていたんでしょうね?
・・・聴いていません。。。

ポストホルンの使い方の見事さは、仰る通りですね。
ザスロウが事典に書いているところでは、このメヌエットは「遊び」(「音楽の冗談」につながるもの)ということになっています。「おもちゃのシンフォニー」的発想、ということでしょうか。

投稿: ken | 2009年12月 9日 (水) 20時12分

>私たちはスコアによって真相を知った時、驚嘆してしまうことになるのです。

正にその通りであります。
このセレナーデ全体の構築の素晴らしさは、
このジャンルにありがちな「気軽な機会音楽」という偏見を
完全にぶち壊すに充分なものがあります。

第一楽章の序奏に関してですが、これはハフナーセレナーデの場合とは違い、
独立した序奏部ではなく、一種のファンファーレだと解する方が自然だと思います。
展開部の後に再現されることにより、そのことが明瞭になります。
また、弦楽器による下降ジグザグ音形が展開部の上昇ジグザグ音形と
関連を持っていることも指摘できると思います。
これは曲の最後でトランペットで高らかに演奏される音形でもあります。
このジグザグ音形は全曲をまとめる音形の一つで、
ポストホルンの独奏部分もこれに含まれるかもしれません。
また、展開部の上昇ジグザグ音形に対置される旋回音形も全曲をまとめる素材です。
フィナーレの主題にもその要素が見られますね。

動機連関的な手法はハフナーセレナーデにも豊かに見られたものですが、
この作品では更に一歩進めて、このセレナーデ全体で一つの大きな交響体であるかのように
綿密に構築しており、驚くほか無いように思われます。

ここまで、モーツァルトの機会音楽と呼ばれる作品を多く見聴きしてきましたが、
彼のこのジャンル(?)は全く侮れません。

投稿: Bunchou | 2009年12月17日 (木) 20時36分

Bunchouさん、遅くなってすみません。

序奏の件、なるほど、であります。

>ここまで、モーツァルトの機会音楽と呼ばれる作品を多く見聴きしてきましたが、
>彼のこのジャンル(?)は全く侮れません。

仰せの通りでございます!!! m(_ _)m

投稿: ken | 2009年12月23日 (水) 09時00分

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