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2009年12月19日 (土)

「そんな程度のもん」なのか?

綴らずにはいられませんので綴ります。

昨晩テレビで放映された、<財政的にもこの国では最も恵まれた某オーケストラが、本場の人らしい某有名指揮者のもとで、その本場の作曲家の交響曲(放映は終楽章)を演奏した映像>は・・・まったくもって最高のしろものでした。

本来、音と音とが苦しげに妨げあって、したがって音程の間隔を鋭く狭めて切実な叫び声を上げるべきところで、そうした芸が出来るはずの、この国では「超一流」の人たちが集まっているはずのオーケストラが、なぜ「平均率的音程」のまま、鍵盤楽器奏者でさえも良心があれば絶対に避けるはずの「明るい」響きづくりで、平気で「顔だけ悲愴」な演奏をなされるのか?
暗く垂下がるべき下降音形が、やはりなぜ同じく、まるでどこかの民俗のように開けっぴろげな、「死者のためには笑むべきである」のような音響を作り、そのくせやはり顔は「悲愴」、最後の一音がなり終わったら「長い沈黙」なのか? ・・・聴衆は「長い沈黙」だけで、あとは「線の整った艶やかな演奏だったから素晴らしかった」とでも納得しきっていたのか?

演奏者・聴き手の皆様、どちら様も、大変に素晴らしい技量と理解力の持ち主でいらっしゃいます。

・・・そうですか。こんな似非悲劇芝居が、この国の最高の「輸入音楽演奏」なのですか?

・・・信じられませんが、信じなければならないようです。
・・・「文化なんて、こんな程度のもの」だから、歳出を削られてもやむを得ないのでしょう。
・・・いや、本当に割りを食うのが、もっとまともな、真正面な人たちなのだろうと思うと、歯ぎしりしたくなるのですけれど、最一流の人たちがこの程度で、いちばんお金にも困らなくって、最後は生き残るのだから、めでたいのかもしれません。

ご名誉を傷つけるつもりはありませんので、具体的な団体様名称や指揮者様のお名前や曲目についてはあげません。お一人お一人の技術の高さも十分に認めます。

ですから、これは、私という木っ端の小さな失望です。
見る目、聞く耳が整っていない、粗野なやからが、なまじっかに音楽なんか云々してくるべきではなかったのです。

私をお知りの各位に、関係ないのに迷惑かけるといけないから、この記事ではどんなリンク貼りませんね!・・・もしお読みだったら。

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コメント

 あけましておめでとうございます。
 まだ二度目の書き込みですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 私はこちらの記事の演奏を聴いておりませんが、当日の番組表を確認してみたところ、何について憤慨していらっしゃるのかが少し分かりました(笑)
 ただ、プログラムから察するに、広く聴衆への布教的な性格を持つものなのでしょうから、その音楽は元より芸術に属すつもりがなかったのでしょう。そう考えれば、憤慨すれども失望はしません。
 私は公に行われる演奏というもののほとんど全てが、前提として純粋な芸術活動として成立しえないものだと思っています。どちらかと言えば、商業行為に属すると言えるかもしれません。
 演奏の歴史というものは、演奏家の歴史とも言えます。しかし、過去の著名な指揮者を取り上げてみても、何よりも芸術に身を捧げるといった姿勢を持った人間はほとんど皆無に思われます。
 20世紀の代表的な指揮者のどれほどが、作曲者の意志を踏みにじったことでしょう。速度やアーティキュレーションはもちろん、オーケストレーションや音符そのものをも書き変えてしまった"偉大な"指揮者たち。広く目に触れる演奏行為が切実に行われた時代が一度でもあったでしょうか。実のところ、そんな時代はこれまで一度も無かったのだと思います。

「拍子どおりに弾きなさい。多くの名演奏家たちの弾き方はまるで酔っ払いが歩いているようです。くれぐれもそのような人々を手本にしないで下さい」
「熟達しても、いわゆる華麗さを求めてはなりません。ある曲を弾くときは、作曲家が心に抱いていた印象を追求しなさい。それ以上のことはいけません。」
 -ロベルト・シューマン「座右銘」(Musikalische Haus-und Lebensregeln)より

 テレビの演奏などに失望していたら損ですよ!

投稿: ooioo | 2010年1月 5日 (火) 05時27分

ooiooさま

あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願い申し上げます。

なんとまあ、お調べまでなさって頂いて・・・汗顔の至りです。

そうですね、おっしゃって下さっている通りだと思いました。
テレビでの演奏というのを普段あまり見ないので、たまに見ると、それが「商業行為」だということに思い至っていない気がします。

>20世紀の代表的な指揮者のどれほどが、作曲者の意志を踏みにじったことでしょう

これは、私の世代が普段大好きだと思ってその録音を聴いてきたオーケストラ演奏のほとんどすべて、ということになってしまうなあ。ここを拝読したときには、なんだか切なくなってきました。(^^;

普段が商業に携わる身ですから、音楽を味わうときだけは商業から脱していたい、なる潜在意識が自分にはあったのかもしれませんが、そうやってふりかえってみるとむなしくもなってきます。・・・あんまり考えないほうがいいのかな。

ありがとうございます、教えて下さったシューマンの座右銘を真実だと感じますので、この言葉を大切にして参りたいと存じます。

損しないようにします!

投稿: ken | 2010年1月 5日 (火) 11時49分

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