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2009年12月 1日 (火)

数(すう)としての音楽

忘れていただいていい前置きですが、数学との対比において、「音程」は「角度」と同じとみなしておいて良かろうと思いますので、今回はまだその話題を述べるときには表面的な扱いをしていることはご容赦下さい。また、リズムは関数(時間・空間)との対比で語るべきものでしょうから、同様のお願いを申し上げます。・・・以上、いちどお忘れになってお読み頂き、何かヒントがあれば頂戴したいと存じます。



41dn1g6zqel_sl500_aa240_中世ヨーロッパにおいて「音楽」が「数学」と並列的な位置を持っていたことについては、私たちは西洋史を習うときに「歴史的事実」として頭に叩き込むだけで、なぜ「音楽」と「数学」が並列だったかの理由についてまでは考えることがなかったのではなかろうかと思います。

いや、考えている、というのであれば、それはあくまで「ピュタゴラス(ピタゴラス)」の発見した、音と音の間の(有理数的な)比の関係・・・オクターヴ上の「ド」はもとの「ド」の弦の長さを半分(2分の1)に分割したことで得られるし、「ソ」の音は同様に3分の2の長さにしたときに得られる、等・・・と関連するから、と、このことのみに関連付けて全ての理由だと思ってきたのではなかろうか、とも感じます。(ここから話をスタートして、平均律が生み出されていく過程でピュタゴラスコンマの問題が何故生じたか、まで話が進めるべきですが、これは後日、ということにします。)

さて、ご承知のとおり、西洋風の長調音階は

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ(・ド)

と呼ばれています。こうして呼ばれる音の名前を「階名」といいます。

これに

ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ(・ラ)

にまで下げて考えて、下から順番に

A・B・C・D・E・F・G(・A)

とアルファベットを割り当てたものを「音名」といいます。

実は、歴史的事実としては、「音名」のほうが発生が早く、942年に没したクリュニー修道士のオドという人物の著作には既に現れているそうです。「階名」のほうは1050年ごろ没したグイド(995頃生)が「ヨハネ賛歌」の各節の歌い出しの言葉から付けたのだ、という話は有名ですね。グイドが使用したのはド・レ・ミ・ファ・ソ・ラまでで、シは同じくヨハネ讃歌から取られた階名ながら17世紀になって導入されたものだそうです(金澤正剛「古楽のすすめ」音楽之友社 1998)。このあたりはヨーロッパ人が歌う歌の音域の広がりとも関係があったりするのですが、そうした経緯は省略します。

前に「移動ド」と「固定ド」についてちょっと観察したことがありますが、実は、「固定ド」は「音名」=「階名」、すなわち、歴史的には発祥の違うものを同一のものとみなしたところに成り立っています。「固定ド」唱法は、したがって、「音の高さ」をすべて一定のものとして捉え得るときに初めて有効になるのであり、無調と言われるようになった近・現代音楽では読譜をする際にそれなりの力を発揮することになります。

しかしながら、話は戻りますけれど、本来、「音名」と「階名」は違うものです。絶対的な音高を表すのが「音名」であり、相対的な音高を表すのが「階名」、というところに、歴史的には話は立ち戻っていかなければなりません。

そもそも、既に「音名」があったのに、なぜ「階名」が必要とされたのか、というところがミソです。

これはおそらく、ヨーロッパ中世期の「数(すう)」に対する感覚が、大きく影響しているのではなかろうか、というのが、これから私がする、ド素人の嘘っぱち推論です。

ソルミゼーション、という言葉がありますが、これはグイドの考案した「階名」を用いて歌を歌うことに関連して生まれた用語です。歌唱に際して「音名」(絶対的な音高)を用いません。
たとえば音名(絶対的な音の高さ)がC・D・E・F・G・Aと並んでいる音階の五音お互いの関係は、と並んでいる音階の五音お互いの関係は、それぞれ同じ比で表すことができることに着目しているもので、

・「C・D・E・F・G・A」はC音を「ド」と読み、以下「レ・ミ・ファ・ソ・ラ」と読む
・「G・A・B・C・D・E」はG音を「ド」と読み、以下「レ・ミ・ファ・ソ・ラ」と読む

という具合に、相対的に階名を当てはめていく方法です。これは、歌い出しの絶対的な音高が違っても、歌われる音階ないしそれによって作られたメロディが「同じ」であることを示し得るという大きなメリットがあり、音階・メロディの理解を平易にしてくれるため、時代が下がっても20世紀初頭に所謂「調性音楽」が崩壊するまで、「移動ド唱法」へと発展し、音楽の習得に貢献してきたものです。厳密にはグイドの方法はそのまま後代の「移動ド」とは異なるのですが、煩雑になりますし、専門の本もありますので、正確に理解するには、そのようなきちんとした資料をお読みになることをお勧めします。安価ではありませんが、ルネサンス期のものとしてはティンクトリスの「音楽用語定義集」の訳書(中世ルネサンス音楽史研究会訳 シンフォニア 1979)があり、それに詳しい解説が載っています。さらに、グイドの方法がバロック後期になっても重要視されていた証拠としては、イタリアのトージの著書に詳しい注釈を施したドイツ人(バッハの弟子)アグリコラによる「歌唱芸術の手引き」(東川清一訳 春秋社 2005)にもグイドの方法について詳しい説明を付していることから判明します。

先に、当時の「世界を支配する」数に対する捉え方ですが、紀元前にはピュタゴラス(派)によって無理数の存在が発見されていたものの、古代ギリシャ及びローマ文明でそれを一般的には是認しなかった・・・たとえば稀世の天才アルキメデスによる円周率の計算も正多角形の内接と外接を限りなく押進めることによってなされたことからも見て取れる・・・ように、すべては(正の)有理数=分数で表せるはずだ、との信念があったかに見えます。すなわち、どんなものも「整数の比」で表し得ると信じていた。
実際、ドレミファソラシドは、整数の比で次のように表わせます(この話題の中では余計な話ですが、「平均律」ではなくて、「純正率」と呼ばれるものの間隔であり、しかもギリシャ元来のピュタゴラスの純正調を、天動説で有名な2世紀のギリシア人プトレマイオスがより単純に修正しメモを残していたものをもとに、15世紀後半にスペインのバルトロメ・ラモスという人物が初めて発表した比であり、オリジナルは分数です)。

 24:27:30:32:36:40:45:48
 
(それぞれの前後の音の間隔を参考までに記しますと、3、3、2、4、4、5、3でして、ドからファまでは8、ソから上のドまでは11と、3の差があります・・・これは整数比にすると過大に大きく見えることもありますし、今日の話題では避けておきたいのですが、音程関係でいくと、ド・レ・ミ・ファの間隔もソ・ラ・シ・ドの間隔も「全音・全音・半音」であり、グイドの方法そのものではありませんがグイドに習った流儀でいくと、連結の間隔が全音であるとの前提の上で「ドレミファ」・「ドレミファ」の2段重ねで1オクターヴの長音階が出来るはずなのですが、純正調ではこれが「ド【全音・間隔3】レ【全音・間隔3】ミ【半音・間隔2】ファ」、「ソ【全音・間隔4】ラ【全音・間隔5】シ【半音・間隔3】ド」と違った性質のものになってしまいます【間隔のより間違いのない計算は有理数で表現すべきであり、隣り合う音同士の比で計算しなければならないところ、ここでは分数を表示することなく話を簡便にする為に、主音からの各音の音程比を整数化したもの同士の減算をだけ行なっているので、歪みが不正確で大袈裟に出ていることはご了承下さい・・・きちんとした計算方法については「小方厚『音律と音階の科学』講談社ブルーバックス、西口・森『もっと知りたいピアノのしくみ』音楽之友社、などに掲載されています】。単旋律で歌われるならば支障は感じないですむのかもしれませんが、二つ以上の音を一緒に、すなわち和音として歌うことになると、自然なはずのこの整数比が等間隔ではないために、人々はだんだん不自然に感じるようになり、こんにち「中全音律」とか「平均律」と呼ばれている音程感覚の調整が行なわれるようになります。なお、グイドの時代も含め中世からルネサンスのヨーロッパでは、グイドが階名を与えた6つの音をひとまとめにして「ヘクサコルド」として扱っていますが、古代ギリシアの音楽理論・・・実際に読めるものは古代ローマ期に入ってから記されたものですが・・・では4つの音の間の三つの関係である「テトラコルド」で、既にかなり複雑な音程理論を展開しており、この音階構成音相互の間隔の問題の縁源は、直接的にではないにせよ、古代ギリシアの音程論を引き継いだ結果生じたものであると見なしてよいかと思います。)

さて、この正の整数が一定の比を成さずに、音が高くなるにつれて変化するのでしたら「自然数」である、という以上のことは何も言えなかったのですが、古代ギリシア人や中世ヨーロッパ人が目を付けたのは、この比が、上のド(48)をまた24と見直すと、実用上は3オクターヴではあったものの、観念的には音階はどこまでも同じ比で循環する、というところであったかと思われます。
この数比の循環に「神の摂理=中世当時の<形而上的理念>∈後代の<数理物理学的な公準に近似するもの>」を見出したが故に、グイドは「階名」の発想を構築したのではなかろうか
・・・すなわち、単純に「音の中にも数(すう)がある」ということのみならず、

「その数の並びはオクターヴごとに一定の比で循環する」

ところに、科学的な、あるいは論理的な法則を発見したと信じたが故に、音楽は単なる音の技芸ではなく、数理としてこの世に体現された最も美しいもののひとつとして神学を中心とした中世期の学問の大系の中に位置づけられたのではなかろうか、と推し量ることは、どうでしょう、妥当性に欠けるでしょうか?

音楽ではありませんが、ニュートンも万有引力の法則を証明した有名な著書「プリンキピア」の最後は、自然界の全ては神の意志から生じている、と締めくくっているそうです(背景にはニュートンなりの思惑はあったのですが、それにしても、自然科学の一大結晶である17世紀後半の著作がまだこのような表明をしていることには注目しておくべきでしょう)。

ちなみに、ソルミゼーションという用語自体がこうした循環を象徴しているのでして、グイドの手法が「ドレミファソ」まで歌ったら、ラにあたる次の音を「レ」と読み替える・・・すなわち「ソ(sol)」を「ド(ut)」と暗黙のうちに読み替えることにより、音列が「sol-la=re」と順に読み替えていけることから、その手法を象徴する言葉として誕生したのでした。ここでは循環をオクターヴでではなく、ヘクサコルドで捉えていることは申し添えておきます。

ソルミゼーションそのものについて最も入手し易い和訳書は現在のところ東川氏訳「歌唱芸術の手引き」でして、その18頁から31頁まで、とりわけ22頁掲載の表と24-28頁掲載の譜表を参照して下さい。本日の私の記事はこの点、音楽史上の正しい理論を例示したものではありません。

突っ込んで行くと、最初の方で言葉だけ出したピュタゴラスコンマのことだけでなく、クセモノである「B」音からシャープ・フラットの話にまで広がって行ってしまうため、あえて恣意的に話を「今ふう」にしてみました。
ヘクサコルドをもとにして分かり易い「音階の考え方」を説明なさっているかたを存じ上げておりますので、可能であればいずれそのご記述を転載させて頂きたいと思っております。

数(すう)としての音楽の話は、さらに古代ギリシア風幾何学的な発想を理解した上で拡大して行く必要があります。次の機会にはそちらへ視野を広げて行きたいと存じます。・・・すると、話が必然的に「自然数」<「整数」<「有理数」の範疇ではおさまらなくなって行きます。

またちょっと勉強します。



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