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2009年12月 8日 (火)

惚れ込む、という感覚

「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、惚れ込んでしまったら、それが傍目から見てどんなに奇妙奇天烈であって、なんぼ忠告をしたところで、「惚れちゃった」当人は耳を貸しません。(はい、私もその口です。)

これがしばしば、人の心の中に「固まりきった」思いをこびりつかせてしまい、新鮮なものを発見させる妨げになることがあるのも事実です。

ですから、良識的には、
「もう、これしかない!」
という思い入れで物事を見聞きすることはお勧めすべきではありません。

ただ、「思い込み」だけが「惚れ込み」の全てではない、ということさえわきまえられるならば、むしろ、「惚れ込む」のは、どんどん奨められても差し支えないことかと感じます。

音楽の上でいやなパターンは、たとえば
「クラシック以外のものは認めない!」
「フルトヴェングラーの第九だけが絶対だ!」
あるいは
「決まりきったことをやってるクラシックなんて糞食らえだ! ジャズに勝るものなし!」
みたいに、自分の全体で世界の全体を決め付けてしまう恐ろしさでして・・・これがもし(たとえ小規模なサークルの中であっても)社会的な行動を伴うものになってしまったら、音楽活動でさえも・・・それが演奏そのものであれ、受容する立場であれ・・・「独裁・強制」の一種を形作る恐怖を生む点では、他の事象となんら変わりはありません。

あらゆる「思い込み」を捨て去ることは、人間、いや、もっと広く、動物一般にしたって不可能事ではあります。
家猫は野良猫に比べると、むしろ警戒心が強く、同じ家に飼われている猫仲間がいれば、そのそばから離れることに恐怖を感じ、飼い主でもない人間が幾度も可愛いと撫でてやっても、ほとんどなついてくることはありません。野良のほうが、幼いうちは却って人懐こくて、あるとき仔猫がなつかされてむごい殺され方をしたうえネットに残酷写真を載せられる、というかわいそうな事件もありました。しかし、仔猫の時期を過ぎると、それまで経験が活きてきて、これは安全に餌をくれる人かそうでないか、餌はくれないけれど自分を可愛がってくれる人か、自分の仲間レベルか・・・ウチの息子です (^^; ・・・を、ほんとうにジロジロ観察しながら、判断します。・・・私自身はその辺を良く知るてだてには疎いのですが、ウチの息子は人間の友達作りが下手な分、コツとか猫の癖を良く掴んできて、あーだこーだ、あーでもないそーでもない、と私に教えてくれます。息子の話を聞いていると、
「野放しの世界、っていうのは、ほんとうにたいしたもんだなあ」
と、凄みさえおぼえます。

せめて、野良猫ほどの鋭さで、惚れ込む相手には「客観的に」惚れてみたいものです。
世の中に純粋な「客観」というのはありえないはずですから、これは矛盾しないはずです。



私の親しい人にも、いろんな音楽家のファンがいます。
さっきちらっと名前を出したフルトヴェングラーだったり、グレン・グールドだったり、森麻季さんだったり。
内心
「このひとはどうかなあ」
なんて思っていても、そういう人たちの前ではおくびにも出せません。・・・あ、ここに名前を挙げた人たちを私がどうこう思っている、ということではありません! 念のため!
ただし、
「絶対にその人だけがいい!」
とあまりに言い切るようでしたら、そのときは反論することもあります。

思い出に残っているのは、イツァーク・パールマンをめぐって、アマチュアとしては最高のオーボエ吹きでコルアングレ付記でもあった、今は亡きHさんです。
Hさんは足が不自由でいらしたので、とりわけ、似た境遇にあるパールマンが大好きでしたし、そこまでは突き詰めませんでしたが、面識もおありのようでした。
私自身、実はパールマンをとても尊敬していたのですが、Hさんのあまりの入れ込みように、まだ初めて彼に会って間もない頃、ちょっと意地悪を言いたくなりました。若気の至りです。
とある演奏会でご一緒したとき、運よく、酒の席で隣りあわせで座ることが出来、作戦開始。

「パールマンさん、下半身が利かない分、音に体重が乗り切っていないんじゃないですか?」
「何を言うか! そんなことはない! あんな芳醇な音をしているじゃあないか!」
案の定、Hさん、真っ赤になって怒りました。
で、実は、Hさんの主張の中には正解へのヒントがあったのでした。
たかだかヴァイオリンの演奏と思うなかれ、ヴァイオリンの、とくに左手は、力を入れて押さえると音を潰します。あるいは、手の自然な形とは何か、とか、指一本一本のはたらきがどうか、とか分かっていないと(右手は右手で、筋肉力で運弓すると、いわゆる「力弾き」になり、弓の毛が異様に早く多量に切れる・・・これが私の最も威張れないところですが、私なんかもそうです・・・という現象で悪さがはっきり分かったりします)、ネックを握り締めてしまって、弦の振動を止めてしまうのです。そこで、弦の振動を殺さないためには、少なくとも左手で弦をネックと一緒に「握り締めてしまう」ことは避け、指の乗せ方で上手に体重がかかって、しっかりした支点がとれるようにしなければならない。
下半身が不自由、ということは、全身の体重を乗せる上ではハンディキャップになります。
ところが、パールマンの演奏は、そうしたハンディキャップをまったく感じさせない。
彼は神童だったから、といってしまえばそれまでですが、天性だけではどうしようもないこともあったはずで、だから本当は、陰で非常な努力をしたに違いないのです。
Hさん自身も、そういう努力を「無自覚的に」なさっていたのでした。
私が意地悪なことを言ったことで、Hさんは最初、たいへんな屈辱を覚えたはずです。

にもかかわらず、そこで私に激しい言葉をぶつけてから、Hさんは、自分もパールマンも、本当はどれだけ「頑張って」きたのか、ということに、たぶん気づいてくださったのだと思います。
一方で、仕掛けた私は、偉そうに意地悪をしたくせに、パールマンはもちろん、亡くなったHさんの足元にも及ばない演奏(それも、もし演奏と呼べるなら、というレベルで)しか出来ないでおります。

惚れた相手には意地悪をして、こちらをも好きになってもらわなければなりません。

理屈が当たっているかいないか、それこそ
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
なのですが、おかげで私はそのあとHさんとは信頼関係をもてたのではないか、と、かたくなに信じております。私はHさんという人間性に、最初から惚れこんでいたのだと思います。

家内を失ったときも、いちばんなにくれとなく連絡をくれ、気を使って下さったHさんも、私の家内の数ヵ月後に急逝なさってしまいました。

有名演奏家ではもちろんなく、アマチュア仲間、ということではありましたけれど、私はいつも、これだけは何を言われても譲れません。

「本職さんだろうがなんだろうが、今なお、Hさんにかなうコルアングレの音を出せる人はいない。」

・・・これは、「客観」ではありませんが。

・・・これでは、上で述べてきたことには何の意味も見出せませんね。(^^;

はてさて、私は何を言いたかったのだろう???



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コメント

Kenさん、こんばんは。

良いお話ですね。私は自分では、「この人以外は絶対ダメ」は言ったことが無いと思いますが、

自分で思っているだけでひと様からどう見えるか、ふと考えて、自戒したところです。

森麻季さんは、素晴らしいけれども、森麻季さん(←いや、Kenさんの本文に書いてあったから、

という訳じゃないけど)でなければ何もかも絶対ダメとは思いませんですね。

「これは、シュワルツコップ(の方がいい)かな?」とか、

Trp.のモーリス・アンドレにしても、不世出の名手ではありますが、あの細かいビブラートが

気になることもある。

惚れこむことはあっても、ハンス・シュトゥケンシュミットのような孤高さにも憧れます。

「この人しかだめ」と思っている人たちの「恐ろしさ」は確かにすごいですね。私も身を以て体験したことがあります。

>内心「このひとはどうかなあ」なんて思っていても、そういう人たちの前ではおくびにも出せません。

まさに、それ。おくびに出しちゃったので、さあ大変。総攻撃を食らったことがあります。

いや、正確じゃないな。「おくびに出し」てすらいないのです。

「○○さんに対する世間の評価が低すぎる」、と○○さんのファン・サイトに書いてしまったのです。

言うまでもなくこれは「好意」ですよね。「『○○さん』はもっと評価されて然るべきだ」、と言っているのに、

いきなり怒られた(笑)。

「何?○○さんの世間の評価が低いだあ?どこが低いねん?誰が低く言うとるねん?」(別に関西弁じゃなかったけど、)

と来たのには、心底驚きました。本当のことを書いたら、世の中の99.99・・・・パーセントの人は、○○さんのことになど

関心がないのだ、というのが真実で、それは当然、大人なら心得ているものと思った私が甘かった(笑)。

それは、さておき。

ヴァイオリンの左手のお話興味深かったです。

質問ですけど、以前、古澤巌氏が「音楽の友」でヴァイオリン・エッセイみたいなことを書いていました。

その中には、技術的なヒントもしばしば書かれていましたが、彼は「左手で弦を『押さえ』ようとするな」と書いていました。

指板に弦をくっつけるまで押さえる必要すらない。指を自然に動かす、その力で十分なのだ、と書いていました。

低いポジションならば、実際、必要最小限の力は、ごく弱くても済むとおもいますが、ハイ・ポジションになったら、

「指板と弦が接触しなくても良い」は、やや極論というか、どうかと思いますが、如何でしょう?

投稿: JIRO | 2009年12月 9日 (水) 18時36分

まあ、人の評価は千差万別で・・・JIROさんのところへはフ○○・へ○○○さんのことでひっきりなしにあれやこれやいう人が訪ねて行かれてますよね。面白いですね。
(^-^;

古澤さんの表現は、たぶん、多少大袈裟に言っていらっしゃるんだろうと思います。
そのくらい言わないと
「握るんじゃねーんだぞぉ!」
ってことが、感覚的に伝わらないからじゃないかしら?

・・・と、良心的に「疑って」みました。

どんなもんでしょうか?

投稿: ken | 2009年12月 9日 (水) 20時16分

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