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2009年12月14日 (月)

文化の大切さを見直す:19世紀初頭ウィーン、オーケストラ事情と対比して

昨日覗き見た「音楽都市ウィーン」からの、もうひとつ興味深い事実です。

なぜこれも採り上げておきたいか、には、いま日本のオーケストラがおかれている位置と対比してご覧頂きたいからです。

自分は政治的人間でも、そうしたことに識見のある輩でもありませんから、あまり多く言辞を弄するつもりはありません。
とにかく、「政党」に偏する政治も、日本の場合は誰が成り代わっても所詮は低レベルで、寡頭政治と何の変わりもない・・・どんな「主義」を標榜なさろうが、担い手の如何で本質が変化することはない・・・ということには、長いこと失望を味わっております。ならば、世の中のことには「イエスマン」で過ごしていくのが一番だろう、というのが私の処世術でもございます。
「仕分け」と称する作業は、今回野党に転落した某政党のかたも興味本位でご覧になっていらしたようですし、政権党への反対者たちも、政治屋さんである限り、おしなべて「それなりに高い評価」をなさっているようです。が、あんなのは古代ギリシアの歴史に照らし合わせたって、衆愚政治以外のなにものでもなく、ファシズムやソヴェト式独裁の時代と比べたって恐怖政治以外の萌芽のなにものでもない。あの非礼な質問態度は、慢性的な赤字を抱える国家運営のツケをどこへまわそうか、ということだけに獣のような目線を注いだ「軍事的裁判」に他なりません。国民にいいところを見せようとカッコをつけるのはやめていただきたいと思います。コストダウンの必要性は、どこで働いている誰も彼もが感じていることではあるのです。根底に優しさがない限り、そうした人々の切実な思いがどうして汲み取れるというのでしょうか?

ここ十年来制定されてきた様々な法令も、良心的に働く人々の首を暗にぎゅうぎゅうと絞めていく一方です。
「なんの権利があって、あなたがたはそういう立法をなさるのか?」
と問いたい気持ちは山々です。
(「個人情報保護法」なんていうものは、良心的に働く人たちに、果たしてどれだけ貢献したと言えるのでしょう? 亡妻は教員でしたが、いまだに、どこかから違法に名簿を入手したのであろう業者からの電話が絶えません。一方で、もともと私どもの個人情報を丁重に扱って下さった業者さんが、私の頼みたい用事を果たすにもほうが妨げとなって不自由するケースがあったりしますし、支障なく話を進めるために面倒な手続きが必要になって腹立たしくなったりすることも増えました。罰すべき対象に照準が合っていないと言えます。)

ですが、この記事に政治的なコメントを頂くことは本意ではありませんし、最初に申し上げましたように、私は世の中の運営というものに対して甚だ音痴です。音楽も音痴かもしれません。ですが、世間音痴で味合わされた最大の苦しみは、私の家内を公立病院の稚拙な(ずさん、とは申し上げません)医療で失い、そのあと何の救済も受けられなかったことでして、これは世間音痴ゆえに私自身が責任を負うしか他にないということは重々承知をしているつもりでございます。

(ちなみに、NHKの世論調査では、事業仕分けを「あまり評価しない」人は18%、「殆ど評価しない」は4%とのことです。評価している方のほうが多いのです。追記しておきます。)

まあ、少しは優しい立法、優しい中央行政をなさって頂けますよう祈るのみです。
出先機関のかたがたは、おおむね大変にご親切なのですから。これは心底思います。接したどなたも、最大限をなさろうと努めて下さいました。これにはいつまでも感謝の思いでいっぱいです。



・・・皮肉につづってしまって本記事を始めることには遺憾の思いもありますが、取り上げる時代のウィーンの状況が似ていますので、対比上よろしいかと思いますから、このまま参りましょう。

オーケストラを維持する、というのは、その規模の大きさ(小さくても十数名から、19世紀前半のウィーンでの管弦楽作品に要した人数は30名を超える程度)から見ても、財政的に非常に難しそうなのは、想像がつくところです。いや、それだけではなく、文化活動に対する出資者を失うことは、元となる音楽を創造する人たちの経済をもかなり圧迫することになりました。
ウィーンの19世紀初頭は、フランス革命と、続いて一貫して起こったナポレオン戦役により、勝った側のフランス以外の国にも大きな財政的ダメージを与えました。
ウィーンは、損害を被った貴族が最も多い都市だったかもしれません。というのも、こんにちなおそうであるように、この都市は、この当時で言えばナポレオンの侵略戦争の地となったボヘミア地方やロシアとの接点を多く持ちましたので、貴族たちの財源ともなっていたこれらの地域が受けた痛手がそのまま彼らの生活の足場を揺るがせたからです。
ヨーゼフ・ハイドンを抱えていたエステルハージ家のオーケストラも解散に追いやられた団体のひとつです。
個人としてはベートーヴェンの庇護者であったリヒノフスキーやラズモフスキーも凋落して事実上貴族の抱えるオーケストラは消滅、そのサロンも(メッテルニヒのものを除けば)崩壊して、ベートーヴェンという個人も晩年の生活保証が得られないとの心配をかかえたことは、彼の伝記がおしなべて語っているところです。

代わってオーケストラ活動の表舞台に登場してきたのが、楽友協会です。
この団体は、しかし、現在のウィーン・フィルにまで大成するには、なお多大の時間を要しました。
メッテルニヒ体制化での活動では、楽友協会のオーケストラはプロとアマチュアの混成部隊であり、演奏会前の練習回数もせいぜい1回から3回で、難曲をこなすなんてとんでもない話でした。

ウィーンで中産階級と呼ばれる人たちの年間生活費が1786年に464フローリン(内食費180フローリン、以下括弧内同じ)、1793年に775フローリン(365)、1804年に967フローリン(500)と、フランス革命の年を挟んで倍増(工場労働者は19世紀中葉でも300フローリン以下、日雇いで稼ぎのいい者で700フローリン弱、ベートーヴェンの女中が120フローリン、貴族家庭の料理人が400フローリン、海軍大尉で860フローリン、陸軍は少佐で950フローリン)して行ったのに対し、オーケストラメンバーに渡される給与は30名程度の規模でも総額15,000フローリン(1815-37年頃のプロの中堅ヴァイオリン奏者の年収が800フローリン、その他の楽器の奏者の場合は240-480フローリンであったとのデータが掲載されていますので、仮にヴァイオリン以外の奏者の給金がヴァイオリン奏者の半額だったとすれば、これくらいの額であり、しかもオーケストラの殆どの団員はそれだけでは生活出来なかっただろうこともうかがわれます)。
演目がオペラである場合・・・当時は器楽の演奏会よりはこちらのほうが一般的だったでしょう・・・、主演級の歌手には4,000フローリンを超える額が年俸として支給され、楽長が2,000フローリン、副楽長が1,000フローリン程度支給されたのですから、4名の主演級歌手がいると想定すると、人件費だけで32,000フローリンのイニシャルコストがかかったことになります(計算の簡単のため1回につき8,000フローリンとしてしまいましょう、かつその他の歌手や合唱の存在を考えればこれでもだいぶ安すぎる見積額だということは承知をしておきましょう・・・舞台装置は考えていません)。

一方で、オーケストラが活動する会場や楽譜・照明などの費用は、楽友協会の定例会の例では年間1,000フローリン(演奏会4回なので、1回につき250フローリン、ベートーヴェンの事例では、1824年の第九初演の際、ケルントナートーア劇場とそのオーケストラを使用するのに1回だけで1,000フローリンの出費をしています)でした。収益0でも稼がなければならないのは33,000フローリンということになります。収容人員については読み落としをしているのか情報を見つけておりませんが、パッと見たところの入場料の平均は1.5フローリン程度ですから、5,300人以上の聴衆(観客)を得なければならなかったことになります。平土間に席も設けていなければ可能な人数ではありましょうが、劇場の強度を想像すると、じつに恐ろしい人数です(おそらく、大きな劇場でもこの半分も収容出来なかったでしょう)。楽友協会の定期的なものに限定しなければ年間100を超える演奏会があったようですから、ここまで極端でなくても食い扶持は何とか稼げたのかも知れませんが、音楽家の絶対人数、それぞれの人が100回のうち何回に参加出来たかが分からないと何とも言えません。ただし、会場の収容人員を1,000人と見れば、ひとりのオーケストラ奏者が団の維持に貢献するためには最低年間20回の演奏会でペイ出来なければならなかったのだとは言えます。ほぼ半月に2回の頻度です。年俸が前述の通りの低さでは、インフレの激しい中でオーケストラ活動にこれだけの時間を費やすことは、まだ地域的な縛りが強かった時代であることを勘案すると、かなりキツいはなしだったのではないかと思われます。彼らはオーケストラ活動の他になお400-600フローリンは稼がないと、「フツウの生活」を送れなかったのですから。事例では、もっと低い給与水準(200フローリン台)にあった40代の団員が解雇後の復職を求めているものがあげられています。

そうした環境下、この他に当然広告費などもかかったのですから、現実にあったことなのですが、演奏会を組織する立場としては、演奏者のコスト削減をどうしても考えざるを得ず、それがプロとアマチュアの混成部隊の編制に繋がったものと思われます。その結果、演奏会では難曲を採り上げることが非常に困難であったのだ、と、「音楽都市ウィーン」では述べられています。
文化を守る人々は、生活の苦しさと常に背中合わせだったわけです。



以上、オーケストラに関してばかりつづりましたが、同じ話でいけば、戦後の日本のオーケストラも財政的に紆余曲折を繰り返してきたことはご承知のとおりです。
これらオーケストラは、地域の要請で成立してきたものが多いにもかかわらず、作られた割には客寄せもままならないで苦しい財政を強いられ、助成金を大きな柱にしてなんとか踏ん張ってきたのでして、その割合は前に記事にしたことがありますし、大阪センチュリーの話題も取り上げたことがあります。

そうしたなかで、なんといっても記憶から消えないのは、小澤征爾さんが懸命になって新日本フィルを支えた姿です。
彼の音楽作りがどうのこうの、という表面的なことを云々する以前に、楽団を守り、文化を守ろうとしたその姿勢の真摯さは、まだろくに社会というものを知らなかった十代前半の私にも、非常に鮮烈に映りました。あれは、厳しい中でなんとかオーケストラが自立していかなければならないんだ、という使命感をも併せ持っていましたし、こういう情勢下では、各プロオーケストラもその原点を見つめなおす必要があることは確かです。

その小澤さんが政治家の小沢さんの元に苦情を述べに行ったニュースは、すでにご存知でしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00000141-mai-pol

記事によってはもう少し過激な文のものもありますが、毎日新聞社のものを転載します。

2月9日21時49分配信 毎日新聞
指揮者の小澤征爾氏が9日、国会内で民主党の小沢一郎幹事長と会い、来年度予算編成に向け、資金不足に苦しむ日本の民間オーケストラへの支援を要請した。小澤氏は財団法人の一部オーケストラについて、省庁OBの天下りで人件費がかさんでいる現状を説明。「財団法人の無駄を削らず、貧乏な民間オーケストラにしわ寄せがいくのは無理がある」と見直しを求めた。
「ダブルオザワ」会談では、小沢幹事長が「私は評判の悪いほうだけど」と切り出すと、小澤氏も「僕も音楽界では嫌われているから同じ」と笑顔で応じる一幕もあった。同じ名前で以前から小沢幹事長に興味があったという小澤氏は「官僚システムを変えるのは、政治が変わったいまがチャンス」とエールを送った。



文化に対する多くの無理解は、別段オーケストラに対するものに限られてはいません。
伝統文化でも、いまでこそなんとか成り立っている能・文楽・歌舞伎のいずれも、明治期の社会体制の変化の中で一方ならぬ苦労を強いられてきました。そうした歴史をもういちど、私たちは紐解くべきです。
小さな村のお囃子は努力をしてもしても過疎で滅び、伝統工芸には、利益中心に組み立てられてしまった産業構造の中で十分な収益を得られないために消え去ったものが多々あります。

それらへの目配せも、私たちが私たちの「文化」を考え直す上で非常に大事であることはいうまでもありません。

こんなバカな国が「先進国」だなんて名乗っているのは・・・アジアでも日本くらいのものではないでしょうか? 実態はアジア随一の非文化国家に成り下がろうとしているとしか思えません。

文部科学省の意見募集の頁はこちら。文科省さまの良識を信頼したいと存じます!
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

なお、広島交響楽団でも意見募集をしていますが、締め切りが明日12月15日です。
http://hirokyo.or.jp/

お名前は伏せますが、情報ののリンク先は、今回の事態に危惧の念を抱いていらっしゃるかたからの情報によるものです。心から感謝申し上げます。

なお、メジャーな伝統文化関係の本としては、その歴史的な時間軸での取扱われ方の変遷をみるには

ドナルド・キーン「能・文楽・歌舞伎 (講談社学術文庫) 」

郡司 正勝「かぶき入門 (岩波現代文庫)」

をお薦め致します。

民間伝承文化や工芸については、その引き継がれて来た背景まで覗かせてくれる好著は、いまのところ手にしたことがありません。お薦めをお待ち申し上げております。



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