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2009年11月28日 (土)

「松下真一」という作曲家

増井一友さんクラシックギターリサイタル、大阪公演明日11/28、本日終了です。いかがでしたでしょうか?



トロンボーン・アンサンブル四人組(埼玉県草加市で!)

先日、こちらの記事(「私には20世紀後半以降の音楽は分かってはいませんが・・・」)のリンク先で興味をひかれ、さてどんな作品を仕上げた人か、知りたくなりました。
そちらにも記しました通り、私は外国であれ日本であれ、二十世紀後半の音楽には・・・他の時期の音楽にも増して!・・・疎いので、詳しい人に名前を出して伺ってみたら、さすがにご存知でした。
「あんまり評価はしてないんだけど」
とのことでしたが、そこは元々物知らずの私です。とりあえず、面白いかどうか、触れてみることにしました。

小曲から大作(LPだと9枚!)まで、ジャンルも自在であるらしく、最初は安価な小曲の楽譜をネットで購入申込みしましたが、品切れの通知が来てしまいました。
録音は、素人の家探しではfontecから出ている一枚しか見つからず、それを手にしました。収録作品は「コンツェントラシオン」と「シンフォニア・サムガ」です。いずれも新録音ではなく、作品発表にあわせて採られたもので、初演者の演奏でした。かつ、いずれも再演されたとの記録は見つけておりません。

おお、やっぱり東西の壁か、と、かっくり膝を折られました。大阪のご出身で、三高〜九大で学んだ人でした。
あれ、音楽専門じゃないんだ、とウィキペディアを当たって、ビックリ仰天。ハンブルク大学で教鞭をとった世界的な数学者だったとのことではありませんか!

うーん、じゃー、作った音楽も理屈っぽいのかなぁ、引き上げようかなぁ、と躊躇していたところへ、古本が届きました。・・・そうでした、著作も当たってみていて、高い専門書に紛れて超特価のカッパブックスもあったので、これを取り寄せたのを忘れていたのでした。
新書本もいくつか出していらして、みんな在庫切れ通知だったので失念したのでしたが、届いたのは最もあてにしていなかった、タイトルも怪しげな「法華経と原子物理学」というものでした。orz ・・・(リンク先では高価に出品されていますが、私は偶然結構安価で入手してしまったのでした、すみません。。。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。)

何か背景があって書かれたものなのかどうか、という勘繰りはやめることにして、買ってしまったものは勿体ないですから、読んでみることにしました。

思わぬ収穫がありました。
CDで聴ける「シンフォニア・サムガ」についての、創作時の思いが、この本の中に数ヶ所、遠慮がちに綴られていたのでした。

「第一楽章は、ブッダ生前の『サムガ』の成立を音楽化したものである。」(111頁)

「第二楽章で、この(サムガ随一の美貌故に心ない男性修行者に襲われた)ウッパラ・バンナーをモティーフとして、『霊と肉』、『さとり』と『性』の問題を音楽的に追求した。」(210頁)
「私は前記『シンフォニア・サムガ』の「第三楽章」(フィナーレ)全体を、この般涅槃(ブッダが臨終前に徐々に精神的な深みに至る過程)に捧げたが、その内容の深さに、涙しながら作曲したことをここに告白しておこう。」(139頁)

サムガとはブッダ在世時にできた最初期の仏教修行者集団だ、と承知をし、般涅槃とは、とても簡単に言ってしまえば、臨終に際して世俗の欲が次第にたちきられていくプロセスだ、と大雑把に承知をすれば、以上の松下氏のことばから、「シンフォニア・サムガ」は描写音楽、音による動画であり、松下氏のことばからイメージをふくらませて自分の内にストーリーを作り上げながら聴けば、わりと「楽しんで!」聴けるものらしい、と見当がつきます。
実際、第一楽章は、ヤサという金持ちの息子の若者がたくさんの女性をはべらせて寝ていたものの、ふと夜中に目覚めたら、きれいなはずの女性までもがヨダレをたらして眠りこけているのが見えてうんざりしちゃって、ふと、評判のシャカのところへ向かってみようかと思い立った物語を軸にしています。曲中でバリトンの声が「ヤサ、ヤサ」とささやくのが導きであり、導かれたヤサが悟りを開いた瞬間にファンファーレが鳴り響くのだ、と分かれば、この楽章は明快です。

第二楽章は、自分の美貌を嘆く尼僧の・・・美貌じゃない私たちにはうらやましい、だなんて思っちゃいけません!・・・激しい嘆きです。この楽章の締めくくりは、人の欲がふつふつと立てる音そのもののようです。

終楽章は、シャカが浄化されていく過程は語りに任せ、シャカが息をひきとった瞬間に起こったという大地震をティンパニなどでシンプルに表現するあたり、バッハの受難曲の手法に精神を倣っています。

欧米の前衛作曲家たちといち早く交流した人物、かつ世界的に優れた数学者・物理学者という表の顔にのみ光があたっているのが現状のようですが、こうしてイメージを具体化して聴いた「シンフォニア・サムガ」は大変面白く、予想外に平明でした。
また、客観的に先の本を読んだ限り、内容にはとりたてて偏った価値観もありません。むしろ、科学者としての態度をつらぬこうとして文中では極力抑制に努めている著者の感情が、その必死の努力にもかかわらず、かえって
「なぜこの本のタイトルが法華経と原子物理学じゃなくちゃいけないの?」
と首をかしげさせてしまう気がします。
松下氏は素粒子の理論と観測が新発見のたびにほころびることを通じて人間の宇宙観にいつもつきまとう不完全さをアピールし、観念を超えた存在に対する信仰告白をしたかったのではないかと思われます。が、そののべ方は、すこぶる不器用です。(実は物理の世界と対比する教典が法華経に限定される必然性は薄いのです。)
この不器用さが、むしろ松下氏の魅力なのではないでしょうか?
エッセイには不器用である分、「シンフォニア・サムガ」の音楽は、私には大変面白く、しかしながら真摯に捉え得る作品だ、と、強く感じられました。

作られた時期の趨勢から「無調音楽」でこそありますが、とくに終楽章で飛びかうグリッサンド音も宇宙空間への私たちのイメージにぴったりくる分かりやすさがありますし、管弦楽法や楽句の設計はマーラーにすこぶる似ています。笙、篳篥、尺八といった和楽器のとけこませかたが大変自然であるのは感嘆に値します。これは、日本の雅楽が持つ2度音程(半音、全音とも)を巧みに活かし、冒頭部、無限的と思われたE音・・・雅楽の平調の終止音にあたります・・・のリズムのバランスを微妙に崩しながらそこにFis(笙が一種類の手だけを除き常時最高音として鳴らす音です、ちなみに、第二楽章の締めくくりでは、笙はその例外の手、最高音がEとなる「十」を用いているのではないかと思われます・・・錯誤ご容赦)、F(目立つ箇所としてはトランペットに登場)を交えて行くことで和楽器も馴染み易い音響空間を構築しておく周到な準備があってはじめてなし得たものではないかと受け止めております。
この部分は、お聴き頂いておきましょう。

第1楽章冒頭部
第1楽章冒頭部
秋山和慶/読売日本交響楽団他 1974 fontec FOCD2560 

演奏に要する編成が大きいため、再演は難しいのでしょうが、この人の作った他の作品への興味は、俄然そそられます。

場所が離れていなかったら・・・&・・・許される身分だったら (T_T) いってみたいんだけどなー、松下眞一追悼個展

「コンツェントラシオン」も、CDでは初演者サットマリーのオルガンで演奏されていますが、作曲者の意図としては同系統の楽器の集まりならどんな楽器でも演奏して面白い効果が出ると考えていたそうで・・・音色感の非常に面白い作品ですので、これも実現するといいなあ、と思ってしまった次第です。

ということで、わたし的には、結果的に、もっと知られるべき作曲家だ、と思いました。


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