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2009年11月20日 (金)

曲解音楽史63)東南アジア近世

増井一友さんクラシックギターリサイタル、東京公演11/21(この記事掲載の翌日)、大阪公演11/28、おススメです。
下記の2記事を是非ご参照下さい。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/11211128-e6af.html
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-7de4.html



過去の音楽史関連記事はこちらの「曲解音楽史:総合リスト」からご覧頂けましたら幸いです。

この地域の、なんといっても最大の「求心的文化圏」だった朝中国については、17世紀から19世紀までに音楽でも充実した展開が見られたようです。しかしながら、上記にリンクしたところ(明、清の字の色が変っているところ)に載せた以上には、私が手元に資料を持っているものは、明以来隆盛を誇った昆曲の紹介映像程度で、ここへ引用も出来ませんので、19世紀末葉から20世紀初頭にかけての「京劇」の台頭と併せて観察したいと思っております。(「明」に昆曲を、「清」には実は既に京劇の音を載せてしまっています。)
東アジア、東南アジア、などという地域のくくり方は、じつは20世紀中葉以降のものですが、地域の共通性を欲捉えていると言われています。一方で、そうは言っても多様な文化的個性が、この地域には豊富に見られます。
これも今回は観察の対象とはしませんが、現在中華人民共和国にまとまっている少数民族からチベットまでの個性溢れる歌舞も、近世末期には萌芽もしくは原型の確立がなされていたと思われます。ただし、これらは、19世紀末に西欧の影響で彼らの生活が大きく変化していった過程で変容を迫られた可能性が大きく、近世そのものの音として彼らの音楽を現在聴くことができるかどうかには疑問があります。

東南アジアとして括って見られているヴェトナム・タイ・ビルマ(現ミャンマー)は互いに抗争を繰り返しながら融合した文化を築き上げていったと見ることが出来、ラオス・カンボジア・マレーシアはその狭間にあったと捉ええるでしょう。(とくにタイとビルマは相互に領土を争奪しあう関係であり、ラオス・カンボジアは争奪の対象とされやすく、インドシナ半島の歴史は一筋縄では捉えられません。ヴェトナムは南部の旧チャンパ【林邑】を併呑して、20世紀に南北に分断された時期を除き、国土という面では同半島の他地域より安定していたかと思います。)
が、少なくとも、最初の三国およびマレーシアには、それぞれに大きな政治的影響を及ぼした中国のものとは明らかに一線を画した音楽が出来上がっています。16世紀からはヨーロッパもこれらの国々の貿易に参与し、とくにタイでは為政者が優れた外国人を登用したり時期もありましたが、遠来の民は少数であったからでしょうか、ヨーロッパ音楽の影響は全く受けていない、とみなしてしまってよいようです。
ただ、中でヴェトナムの古都フエに伝承されている古楽は、中国の宮廷音楽(日本の雅楽とルーツを同じくするもの・・・ちなみに、これは俗楽のほうであって、式典的な音楽は韓国の宮廷音楽に引き継がれて残っているとのことです・・・)の影響を色濃く残しています。

インドネシアは島嶼部であったためか、これはまたかなり古代に中国南部からビルマ〜ヴェトナムを経て伝来したのであろう、音程を持つ大型の金属打楽器を中心にしたガムランを、先の諸国とはいっそう独立の色合いを濃く残して成熟を迎えています。しかも、実際にはインドネシアのどの島、かつジャワ島では西に位置するか中央に位置するか東に位置するか、で、それぞれ独自のガムランを伝承しています。バリ島のガムラン音楽は洗練された響きが魅力的ではありますが、観光化に伴い20世紀初頭以降いろいろと手が入った可能性を排除できず、ミャンマー同様にヨーロッパの影響で音程感に変化をきたしているものをも含め、他のこの島のすばらしい音楽と共に、また別途採り上げられればと存じます。

ミャンマー(ビルマ)やタイ、ヴェトナム、マレーシアの伝統音楽もお聴きいただきたいところですが、マレーシアは全く音源を入手しておらず、ヴェトナムは映像資料しか所有しておりません。ミャンマーのものは非常に興味深いのですが、音程がすでに西洋ピッチに調整されていることが窺われ、「近・現代」として取り扱ったほうがよさそうに思われましたので、後回しといたします。ただひとことだけ・・・ミャンマーのサイン・ワインというのは現在でこそ金属楽器主流ではありませんが、決まった音程に調整された打楽器(太鼓)を用いる点で、ジャワのガムランと発想に共通点が見られ、このあたりに古い時代の奏楽方法が長く受け継がれてきたことを推測させてくれるものがあります。響きとしてはヘテロフォニックです。タイの古典音楽も非常に魅力的ですし、ジャワには様々な音楽ジャンルが息づいて今日に至っています。

タイのアユタヤ朝の古雅な音楽、および19世紀末、パリ万博で西欧人に大きな衝撃を与えることになるジャワのガムラン音楽を例示するのがいちばんよろしかろうと思います。

タイの古典音楽から「悲しみの王」(ソードゥアン独奏)
悲しみの王
ベンチャロン・タナコーセート演奏 KING RECORDS KICW1030

ジャワ〜スラカルタの宮廷ガムラン音楽から「クタワン:プスポワルノ」
クタワン:プスポワルノ
スラカルタのイスタナ・マンクヌガラン宮廷での演奏 NONSUCH WPCS-10711

ジャワのものは歌入りのガムラン音楽です。

ガムラン音楽については少し記しておきます。
楽器そのものの説明については適宜書籍やネット等でお調べいただければと存じます。

打楽器の「ソ」に聴こえる音のピッチが、西欧音楽のだいたいAに当たる高さです。
で、あえて例えるならば「ソ(A)・ラ(H)・ド(D)・レ(E)・ミ(Fis)」もしくは「レ・ミ・ソ・ラ・シ」の五音が基調となる音階(実際にはオクターヴの間を6等分した音程であるスレンドゥロ音階と呼ばれるもの)を用いており、よく聞いていると「シb」もしくは「ファ」にあたる音(C)なども登場しますので、西欧の伝統的な旋法としてはドリアが最も近いことになります。
ガムランの音階には、7音音階(ペロッグ音階と呼ばれるもの)から随意の5音を取り出した3種類の五音音階も別に存在し、耳だけで分かる能力がないので私にはその区分が分できないのですが、上例での演奏に用いられているガムランのセットはスレンドゥロ音階とペロッグ音階の両方が揃ったもので、双方揃ったものが完璧と見なされているそうです。
これらの音律の自在な組み合わせで奏でられる音楽が、いわゆるモノフォニーでもヘテロフォニーでもなく、ヨーロッパとはまた違った音響でのホモフォニーもしくはポリフォニーであることが、非常に特徴的です。
例に挙げた曲では、器楽がA音を中心にして響くのに対し、声楽は4度上(女声独唱)もしくは5度下(とそのオクターヴ上、男声合唱)を見掛け上の終止音として歌われますので、複数の調(旋法)が錯綜しているように聞こえます。真の終止音はAで、曲の最後に器楽と声楽がそこにむかって収束していくのが分かります。(この曲はあくまでスレンドゥロ音階を基調としているようです。間違っていたらゴメンナサイ。)

中国も京劇になるとホモフォニックになっていく(ポリフォニックにはならない)のですけれど、京劇のそれは明らかにヨーロッパ音楽を摂取したものです。
ガムランの響きは、楽器そのものの耐久性にもよるのでしょうが、音程は固有のものを保ったままです。
その、ヨーロッパが19世紀までに編み出した平均律には全く嵌らない音程は、トルコ・小アジアを主としたアラブ系音楽と共に、ヨーロッパの人々に「微分音」の概念を生じさせるひとつのきっかけも形作っています。


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コメント

昔、大学で地域研究の授業を持っていた頃です。某会社から世界民族音楽大系が出たので大学に購入させました。(そうしたら、私の方にもときどき売り込みがあった(笑)。10万円とか100万円とか、そういうビデオを買うわけ無いだろう!)。

で、よく覚えているのがアチェの音楽でした。アチェはご存じの通り地震の大被害もうけたところですが、同様にインド洋とシナ海とを結ぶ拠点でもあり、中世以降は貿易で栄えた港市国家でした。イスラムがやってきたのは、ええと17世紀でしたっけ? (忘れた)。

ええと主題です。実にシステマティックな合唱のビデオ映像が印象的だったのですね。あ、これはイスラムの影響とかがあるなということだけは覚えている。自分でも感心しながら、学生に見せたのでした。終わり。(話にまとまりがないのは、お許しください)。

投稿: shakti | 2009年11月22日 (日) 04時31分

shaktiさん

ありがとうございます。
民族音楽のLPセットは高嶺の花でしたね。
1枚ものでもわりと値段が張るので殆ど聴けませんでした。
CDになって、埋もれていた録音とかも出るようになって・・・ありがたい世の中になりましたが、東南アジア系はバリの音楽を除くとすぐ品切れになったりして、まだまだ一般人の手には入りにくく、今回は載っけていませんが、スマトラのものなんか再プレスまで随分待ちました。

イスラムの渡来は正確な時期は不明ですが、結構早くて、15世紀までにはあたりまえになっていたようです。17世紀はキリスト教がようやくイスラム勢力に対して台頭もしくは優勢に立った時期になります。アチェは、まさしくそういう情勢を典型的に示した場所だったかと思います。

これもまた載せていないビルマ系の音楽、マレーシアの音楽は、イスラムの即興性の色合いを濃く残していて、そっちの側面からのアプローチも必要なんであろうなあ、と思っています。イスラム音楽、というよりはアラブ音楽と言った方が適切かもしれませんね。キリスト教の聖歌でも、コプトのものは、それと知らずに聴くと「イスラムの音楽?」って思っちゃいますから。調べが、おそらく、イスラム教発生ジキよりも古い発祥で、それが長く引き継がれているのでしょうね。残念ながら、証拠が残っていないようで・・・いいヒントをお見つけになったら、是非ご教示下さいませ!

投稿: ken | 2009年11月22日 (日) 15時00分

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