曲解音楽史62)朝鮮の近世
増井一友さんクラシックギターリサイタル、東京公演11/21、大阪公演11/28、おススメです。
下記の2記事を是非ご参照下さい。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/11211128-e6af.html
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-7de4.html
過去の音楽史関連記事はこちらの「曲解音楽史:総合リスト」からご覧頂けましたら幸いです。
手軽に手に出来る新書程度の「朝鮮半島史」では近世部分があまり詳しいものがなく、途方にくれておりました。やたらと古代中世のページ比率が高いのです。
近代の幕を開けたばかりの日本をも訪問し丹念な紀行文を書いたイザベラ・バードは、朝鮮についてもまた同様の著作をなしていますが、これは朝鮮半島が「東学党の乱」を経て日清戦争に巻き込まれる時期の貴重な記録です。直接的ではないながら、東学党の乱そのものについては同時期に居合わせて乱収束時の一般人の風景が描かれており、閔妃暗殺の際には朝鮮を離れていたため間接情報による記述となっていますが、西欧の教養人から見たこの時代の朝鮮の雰囲気を、なるべく客観的に記そうと努めている執筆姿勢には頭が下がります。(視点はしかし、当時のヨーロッパのアジア進出と日本の支配に好意的であるのは、彼女をとりまいていた環境からして仕方のないものです。バードが日本の朝鮮進出に対して想像していたよりも好意的な記述をしている点は、日本人としての目線からは興味深いのですが、そのまま鵜呑みにするわけにはいかないでしょう。)
バードの描写から伝わってくる「近代黎明直前」の朝鮮は貴族も庶民も無気力で、風土は・・・バードは最終的には気に入ったとは言っているものの・・・疲弊しきっています。現在では韓国では当たり前に使用されているハングル(諺文)も、バード訪問時は知識階層からは軽んじられており、大衆はほぼ文盲に等しい扱いだったことも窺われます。官僚の登用制度は旧弊ながら科挙のかたちはとっていたものの、科目とされる儒学については表面的な理解さえ出来ていればよく、実際に官僚になれるのは資産家の子弟でなければ多額の借金を抱えてもなんとかやっていける家柄でなければならなかったようです。
他に朝鮮史の情報がなければ、そのまま朝鮮の人たちは一部の人徳者を除くと悉く消極的な生き方をしていたかのように見えてしまいますが、実はこれはバード訪問の数十年ほど前から始まった大院君の専制による弊害であったことを念頭に置かなければなりません。これは清末に西大后が王朝にもたらした弊害と類似するものがあります。
それまでは、豊臣秀吉の半島蹂躪後の朝鮮は、その手ひどい被害にもかかわらず、大衆劇(仮面劇【タルチュム】)で痛烈に政局を皮肉るなど、日本の近世における歌舞伎の登場などにも対応する民衆の力の向上がみられているのは、朴垠鳳氏『朝鮮の歴史がわかる100章』(明石書店、2003年)などから知ることが出来るとおりです。
残念ながら際限がなくなるので政治文化史一般には触れません。それほどに17〜19世紀の朝鮮は、ある意味で活気に溢れた時代だったとみなしうるのではないかと思っております。ご興味のある方はこうしたものをお読みくださればよろしいかと存じます。
韓国の伝統音楽は、雅楽的なものは近世の保護がなければ途絶えていたかもしれません。それが保持され続けた一事をもってしても、近世朝鮮が活力のない時代では決してなかったことが証明されます・・・これは他の東・東南アジアについても同じことが言えそうです。ただやはり、距離的に近い日本で、欧米のそれに比べてなぜかアジア地域の近世期の史料が手軽に読めない、という不思議な現象があって、もどかしさを感じます。
近世朝鮮では、まず17世紀以降、中人(チュンイン)と呼ばれる知識階級や、中央政界を離れた両班(朝鮮王朝の貴族層)出身者・・・風流房(プンニュバン)と呼ばれました・・・が、仏教的な歌詞を伴う宮廷舞曲「霊山会相」を変相させ発展させたものに代表される正楽と呼ばれる音楽を編み出し、声楽ジャンルでも19世紀までに巨大なレパートリーを完成させたとのことです。
民衆の中から生まれてきた音楽にもすばらしいものがあります。パンソリ(ユネスコの世界無形遺産、口承文芸、発祥は18世紀末頃)、と呼ばれるもの、および、サンジョ(散調=パンソリの影響を受けた独奏音楽、発祥は19世紀後半・・・1865年生まれの金昌祖【キムチャンジョ】創始、とする説はこんにち否定されていますので、その旨記載したウェブページの存在には注意をして下さい)と呼ばれるものです。これらの音楽そのものではありませんが、庶民の間にいきわたった奏楽や歌謡の味わいは、ムダンと呼ばれる巫女さん(男性もいます)が、バードの当時も、現代韓国の中にも、ずっと保持されています。その歌唱法が日本の、とくに第二次世界大戦以降の演歌に似ているのも興味深い点ですが、関連性は明らかにしえません。
朝鮮近世民衆の活力だけでなく、音に対するデリケートさをよく示しているものとして、今回はコムンゴ・サンジョの一部をお聴き頂いておきましょう。
琴に取り入れられた様々な奏法がどんなものかは想像するしかありませんが、かなりの高度さを示しています。「コムンゴ」は韓国の六弦琴を指し、サンジョ(散調)は旋律楽器による独奏曲です。
コムンゴ・散調
Kim Mugil(komungo), Chang Dokhwa(changgo) KING RECORDS KICW 1037
なお、バードの「朝鮮紀行」には19世紀最末の朝鮮の音楽風景も描かれていますが、もっとも興味深いのは、バードに協力したイギリス人宣教師の手で採譜された有名な朝鮮民謡「アリラン」の旋律が現在日本人が歌っているものと異なって、連続する音は水平、段落部分は鋭角に音程が変化していることです。
「アリラン」は日本占領時代の1926年に改変されたかたちで現在の日本人のあいだに流布していますが、バードの著書の採譜のほうが原型に近いと思われます。ただし、当時の民がうたっている本来の装飾は外して採譜した旨記されています。・・・一度実際に聴いてみたいなあ、と思いながら、実現出来ていません。
韓国音楽に関する本としては、植村幸生著『韓国音楽体験』(音楽之友社、1998)が読み易く、網羅的でもあります。また、日本に居ながらにして韓国の音楽に親しむための情報も豊富に記載されています。古書でしか入手出来なくなっているようです。
本記事の情報は、主に柘植元一・植村幸生編『アジア音楽史』(音楽之友社、1996)によりました。誤認識があるかもしれず、その点はご容赦頂くと共に、掲載各書籍をあたって頂きたく存じます。
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