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2009年10月11日 (日)

たとえば「モーツァルトを聴く」:音楽の愛し方13

過激なまでの名ギタリスト、森田茂さん(クラシックギター)「デ・ポンセ」は10月31日、さいたま市大宮区のバッハアカデミーホールです。ポンセは難曲ですが名曲揃い。お聴き逃しなく!



紳士的名ギタリスト増井 一友さんのリサイタル(クラシックギター)は、11/21(土)東京:近江楽堂 5時開演 、11/28(土)大阪:ザ・フェニックスホール 5時開演です。素晴らしい音色をお楽しみ下さい!

赤津眞言さん他「フランス ヴァイオリン音楽の流れ」については、複数日程につき記事にリンクを貼りましたのでそちらをご覧下さい。

3・7・8・9(7から9は当面欠番)
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番外1 番外2

グールドはピアノという一つの楽器を相手にするだけですからグールドその人についての逸話しかありませんが、指揮者はオーケストラという組織を相手にするだけに。フルトヴェングラーに関しては、その死後に他の指揮者が蒙った「被害」とでもいうべき悲喜劇的なエピソードがあります。

被害者のひとりは、ギュンター・ヴァント。
フルトヴェングラーと馴染みが深かった有力団員のいるオーケストラに、ベートーヴェンの第五を指揮しにいった際、
「では、フルトヴェングラーの垢を落として演奏しましょう」
といった意味合いのことを口にしたばかりに、その後長い間、このオーケストラに呼ばれることが無くなったのでした。・・・ちなみに、このオーケストラは、晩年のヴァントと素晴らしい蜜月時代を築くことになる、北ドイツ放送交響楽団でした。

別のひとりは、カルロス・クライバー。これまたフルトヴェングラーに親しんでいたコントラバスの老団員がいたオーケストラで、ある曲の練習のたびに、このコントラバス奏者から
「フルトヴェングラーはそうはやらなかった」
と言われ続け、とうとう
「私はフルトヴェングラーではありませんから」
と練習を投げ出して、クライバーは二度とそのオーケストラに行かなかったそうです。・・・ウィーンフィルだったかと思います。

クライバーは口にしたことがなかったかと思いますが、ヴァントは「楽譜に忠実に」的なモットーを掲げた人でした。
「楽譜に忠実に」
とは、トスカニーニ以後の指揮者が掲げたモットーだったかと記憶しておりますけれど、それを単純に文字通りに受け止めた人々からは、このモットーを掲げる演奏家は
「人間味のない演奏をするひとだ」
とレッテルを貼り続けられました。
指揮者として代表的な存在は、ジョージ・セルかも知れません。
トスカニーニに至っては、その死後、彼のスコアにも楽器の改変を指示するものだったか何かの書き込みがあったことが判明し、
「それみろ、トスカニーニだって口先だけだったんだ」
と悪口する人々もいたくらいです。

「楽譜に忠実」とは、ヴァントが明言したことに端的に見られるように、もたらす結果がいかに感動的であろうとも、フルトヴェングラー指揮下のオーケストラ演奏に代表されるような「作品の本来の要請」を超えていると思われる、悪く言ってしまえば「独善的で恣意的な」演奏を続けていっていいのか、という、自らの「演奏家としての良心」への切実な回帰を象徴したものでした。
「楽譜に忠実」をあまりに文字通りにとらえると、ほとんどの場合、まず楽譜の持つ文献学的な溝にハマらざるを得なくなります。一度の演奏に用いることが出来る楽譜は、一種類だけです。すると、いわゆる「原典版」がいい、とされることになります。では、原典版とは、作曲者に忠実な楽譜だ、と言えるのでしょうか?・・・印刷譜である以上、完全に忠実だ、と言うことは決して出来ません。何故なら、印刷に供される前の手書き譜には、ほとんどの場合、作曲者の試行錯誤のあとがあり、たったひとつの音符にも付けられた記号に迷いのあとがある場合もありますし、曲につけた標語や注釈が途中で変更され、それがまたかき消され、などということが繰り返されたりしています。そんないちいちを印刷に供することなど、出来るはずがありません。
とはいえ、手書き譜(のファクシミリ)をそのまま演奏に用いることが出来るか、といえば、これもまた不可能です。オリジナルは当然貴重な文化財ですから、新作の初演ででもなければ演奏の荒々しい場所に持ち出すわけには行きませんし、ファクシミリでは既に、オリジナルの持つインクや用紙の直接的な感覚は失われてしまっています。「この手書き譜には何種類のインクが使われていてどれが最終だ」とか、「この用紙の部分はあとから付け足されたもののように見えるから、修正稿なのだろう、尊重すべきだ」とかいうことを判断することは、まずファクシミリでは無理ですし、オリジナル譜を使用出来たとしても、必ずしも作曲家が創作した瞬間の「真実」が演奏者の内側に再生するとは限らないわけです。
かつまた、文献学的な問題が解決したとして、見えてくる答えが単一とは限らないのがクセモノです。
一つの作品に最初の標語がAdagioと与えられ、一度演奏されたあとにAndanteに変えられたとします。この場合、作曲者が意図したテンポやニュアンスは、最初のAdagioと改変後のAndanteでは、果たして異なるのでしょうか?・・・これには、学問的な答えは、ほとんどの場合出せないことでしょう。そもそもAdagioとは何か、Andanteとは何か、についてさえも、音楽の世界に統一的な「答え」が用意されているわけではないのですから。

ヴァントの場合、フルトヴェングラーの垢を落とす、という表現で伝えたかったことは、別段フルトヴェングラー個人を攻撃したいという意図ではなかったのだろう、と思っております。
フルトヴェングラーに至るまで、いや、その後を襲ったカラヤンにしても、用いていたスコアは「原典版」ですらありませんでした。ベートーヴェン「第五」の第一楽章再現部で、第2主題への変わり目を、呈示部のホルンに代わってファゴットが演奏することは、今ではごく普通のこととなりました。が、ほんの少し前まで、この部分はホルンで演奏されることの方が一般的でした。このことの規範となったのはワインガルトナーが著した「ある指揮者の提言」上の、ベートーヴェンの各交響曲のオーケストラの「音響的な不備を補う」と称した諸記述でした。さらにその縁源はマーラー、ヴァーグナー、と遡ることができます。これは罪な発想だったのか、というと、そう決めつけることもまた難しい面があります。それと言いますのも、ヴァーグナーの時代はヨーロッパの楽器の機構が日進月歩で巧妙になり、たとえばそれまでの陪音しか用いられない金管楽器ではとうてい演奏不可能だった複雑なフレーズをも、改良楽器ではラクラク演奏出来るようになったのですから、音響に対する感覚も大幅に改変されていったのであり、そうした環境から見れば、ベートーヴェンや、先輩であるモーツァルト、ハイドンなどの書いた音符は「楽器の制限で不自然な無理を強いられたに違いない」との想像を呼び起こすのに充分なほど「不充分な」仕上がりだったのです。とくにベートーヴェンは彼が最も親しんだ楽器であるピアノ(フォルテピアノ)が発展していく過程で、新しい機能を持つピアノが出来るとすぐさまそれに飛びつき、研究しつくした新しい音響の作品を書く、という実績を残していました(児島新『ベートーヴェン研究』春秋社 1985年 参照、実践家としての追究は録音としてはマルコム・ビンズのベートーヴェン全ソナタ集がありますし、日本でもつい最近、大井浩明氏が精力的になさいました)。このことは、ヴァーグナーの生きた時代の人々に、ベートーヴェン以前の作品が「本来、作曲家の理想を充分に実現はなし得ていなかった」と推測させるのに充分な裏付けを与えるように思われても仕方がなかっただろうと思われます。

「いや、ピアノならばまだ分かるが、オーケストラの場合はそうではなかったはずだ、与えられた環境の中で最善を尽くした楽譜をこそ残しているはずなのだ」
というのが、「楽譜に忠実に」精神の、最も素朴な出発点であったはずです。
ヴァントはこの信念に則り、北ドイツ放送交響楽団と共に、ベートーヴェンの施したオーケストレーションを全く改変しない楽譜によって演奏した、世界で初めての<ベートーヴェン交響曲全集>録音を果たしています。

さて、フルトヴェングラーの後の潮流を顧みることから始まって、ベートーヴェンに焦点を当てた文を綴ってしまいましたが、今回のタイトルは、「たとえば『モーツァルトを聴く』」なのでした。

演奏のされかた、という点ではベートーヴェンと事情は大差ないので話を省きます。もっとも、ベートーヴェンの管弦楽曲の演奏について、「古楽」を標榜したアーノンクールやインマゼールのものにまでは言い及んでおりませんでしたが、そこまで話を広げるつもりはないからである、とご了承下さい。

楽譜については、モーツァルトは、ベートーヴェンより複雑な事情を抱える宿命にあります。
ベートーヴェンはスケッチ魔であった上に、それらは手帳に書きとめられていましたので、のちに伝記を捏造するため手帳をだいぶ破棄した「弟子」シントラーによる被害は免れていないものの、印刷譜がどこまでベートーヴェンの意思を反映していたか、あるいは印刷に付すまでベートーヴェンの中にどのような迷いがあったか、について、研究者は追及するための材料を比較的豊富に持ち合わせています。

モーツァルトは・・・伝説化した言い分では、いまだに
「スケッチなど書かなくとも、頭の中で音楽を全て完成させていた」
とされています。そう思い込まれた理由は、彼のピアノ協奏曲やヴァイオリンソナタなどに、彼が弾くべきであるピアノパートが全く書かれないままの自筆譜が残っていることを、「では、その後それらの作品はどうして無事印刷に付されたのか」を度外視ししたまま、モーツァルトの天才を誇張してとらえる恰好の材料にされて来たからでした。
これが誤りであることは既に明らかになっていまして、たとえば最後の交響曲である「ジュピター」の自筆清書譜が残っており、その第4楽章(フーガ)に一旦書き入れたファゴットの音符が消されたあとがあり、その位置の間違いかた(複数あります)からして、これは彼があらかじめ手元に「下書き稿」を持っていたことの傍証となるのです(ファクシミリ版に寄せたモーツァルト研究の第一人者、コンラートの解説参照)。また、同じ「ジュピター」清書稿の第2楽章は、いちど考えた終止部分に満足出来なかったらしく、3小節を抹消して新たに3小節付加する等していますし、さらにいくつかの改変を試みた痕跡があることを、コンラートが論証しています。
モーツァルトが自筆譜を訂正した例は、この他にも存在します。
書簡の中でも、モーツァルトは、時折創作についての苦労を暗示するような言葉を残しています。モーツァルトが如何に豊かな楽想の持ち主であったとしても、「神童」である時代から、彼は彼の作品の「音の像」をどのように形作っていくべきか、については悶えるような思いを抱いたこともあったのです。

楽譜の文献学、みたいなたいそうなことが言いたかったわけではないのですが、どうも、そういう方向に偏ってしまいました。

本来、言いたいことは実にシンプルです。
そう、いかに才能に恵まれた「作曲家」の作品であっても、私たちが日々のご飯のおかずをどのようにおいしく<デザイン>するのか、と違わない精神を基本に持ち、彼のもっとも<おいしいメニュー>作りをどうするか・・・ほんとうに日常的に、そのことについて悩み、苦しみ、(声や楽器の編成だとかメニューを供する相手の人数だとか、さまざまな制約条件を念頭に置きながら、決して理念的にではなく、実用に供すべきものとして)作品の味付け、すなわちその人にとっての「音像」をしっかり仕上げることに全力を傾けられたものなのです。

私たちが、たとえば「モーツァルトを聴く」というように、音楽作品を作曲者の名のもとに耳にする場合、私たちは基本姿勢として、それを誰が演奏しているか、を第一義にするようなことはしていません。私たちが受け止めたいのは、「モーツァルトは、こんどはどんな面白い<音像>を私たちに見せて、聴かせてくれるのだろう」との、演奏に関してはずっと非限定的な、ある種の(擬似的であるかも知れないにせよ)真実であるはずです。

いかんせん、音楽は、さんざん繰り返して来ている通り、9割9分、実際の演奏を通してしかその姿に接することを許してはくれません(楽譜だけで音像をイメージ出来る場合がありますから100%ではないのです)。そこで私たちは、私たち自身の中に、モーツァルト自身とはまた別に、これまでの自分のモーツァルト体験から築いてしまっている「私の理想のモーツァルト音像」に、最も近い演奏(実演であれ録音であれ)ということになり、ここで演奏家の音楽とは何か、作曲家の音楽とは何か、という別々の二つを同時に受け止めざるを得ない事態に陥ります。
それらを区分して観察出来るようになるかどうかは、音楽というものの性質上、とくに時代を超えて聴き続けられる作品・・・とくに録音が誕生する以前に産み出された音楽作品・・・には永遠につきまとう、聴き手に差し向けられた重い課題ということになってしまうわけです。

それでは音楽なんて、ちっとも楽しくないじゃあありませんか!

いえいえ、私たち個人個人が「自分だけの音像」を労力なくして持ち得るのは、それでも過去の優れた音楽家たちがそれだけ素晴らしい音楽を書きとめたり伝承してくれたりし、私たちがそれを「記憶に留め得る」幸いを得たからこそなのでして、そうである限りは、理屈はどうあれ、まずは、音楽が私たちに与えてくれる喜びや悲しみや哀愁や陽気さ、それぞれの豊かな気分を楽しまなければなりません。それが宗教的な荘厳さに包まれたものであっても、それは法悦という、生理上はやはり「愉しみ」であるものをもたらしてくれるのです。

小理屈ばかりこねてすみません。
ずっと前にも何度かご紹介したことがあるのですが、これまでの小理屈がふっとんでしまうような逸話を、最後に掲げておきます。

「筆者(注:近衛秀麿)が戦争中まだベルリンに滞在していたころ、チェコ人の若い女中さんを使っていたことがありました。・・・中略・・・仕事をしている合間も、間断なく民謡や当時の流行歌などを口ずさんでいる元気のいい娘でしたが、ある時、ちょうど筆者がオペラで指揮していたとき・・・モーツァルトの《魔笛》でしたが・・・楽屋に、弁当や着替えをとどけに来たついでに、四階の大衆席へ行って、このオペラの終幕を、生まれてはじめて見たわけなのです。・・・中略・・・この田舎育ちのチェコの娘は、オペラが終わっても席が立てなかったくらい、感激してしまったのでした。彼女自身の言葉によれば、『自分の久しい念願がかなったような喜びや悲しみがこみ上げてきて、時々心臓がとまりそうになった』というのです。家に帰ってからも、二、三日、ぜんぜん仕事が手につかず、台所の一隅に坐ったまま物思いにふけっているようなふうで、そうっと行ってみると歌劇《魔笛》の二幕目に出る節を、ほとんど全部覚えてしまって、その歌詞を思い出しながらうたっている始末です。・・・中略・・・ところで、話はまだこれだけではありません。この田舎出の若い娘は、自分を別人のようにしてくれたという、この偉大な音楽の作者が、だれであるか、何年に、どこで作られたかなどは、全然知ろうとも思わぬらしいのです。筆者が、彼女の趣味の向上(?)のために、これはモーツァルトの《魔笛》だとか、ベートーヴェンの第何交響曲だといって教えてやっても、おぼえようともしません。」(近衛秀麿『オーケストラを聞く人へ』音楽之友社 昭和45年。復刊されていて、いまも入手できます。)


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