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2009年9月12日 (土)

音楽の愛し方5:「古典音楽」と呼ばれるもの

大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)



大井さんによる「バッハは世間に自分のことをどう思って欲しかったか」・・・クラヴィア練習曲集第1巻から第4巻の連続演奏会(現代日本作曲家の作品をはさみながら)は、9月19-21日に行なわれます。3日通しでのお越しをお薦め致します。

メンデルスゾーンコーア & ハインリッヒ・シュッツ合唱団によるメンデルゾーン『パウロ』演奏会は10月2日、東京カテドラルにて。

増井 一友さんリサイタル(クラシックギター)、11/21(土)東京:近江楽堂 5時開演 、11/28(土)大阪:ザ・フェニックスホール 5時開演です。素晴らしい音色をお楽しみ下さい!

3・7・8・9(7から9は当面欠番)
10111213
番外1 番外2

4からの続きです。あらかじめ4つの区分を立てたからには、ひとつひとつの区分について、チャンと確かめておかなければイケませんからね!!!

手近な、とある辞書で調べますと、「古典」とは「古くから大勢の人に読まれた芸術作品で、人々から高く評価されているもの」と、どうやら文学だけを念頭に置いたような説明がされている一方、用例の中に「西洋古典音楽」なるものもあって、実に奇妙な印象を受けます。

文学に限っても、この辞書の定義の「古くから大勢の人に読まれた」にあてはまらず、近代まで誰の目にも触れずにいたものが再発見され、急速にその価値が認められた、というものもあります。日本の場合、『古本説話集』というのがそうしたもののひとつでして、いまは、いちばんハンディなかたちですと、講談社学術文庫で読むことができます。お恥ずかしいのですが、手持ちをどこにしまい込んだのか忘れてしまい、調べましたら、1943(昭和18)年の再発見だそうです。「古本説話集」は発見し研究した人の命名ですが、古本屋で発見されたからではありませんで、「こほんせつわしゅう」と読みます。収録されている説話を読みましたが、内容から見て鎌倉初期成立でしょうから、八百年ほど、どっかに埋もれたまんま日の目を見なかったわけです。それが「古典」として認知されたのは、うっすらした記憶によりますと、紙も綴じられかたも筆跡も間違いなくそのころのものだったから、という理由からではなかったかと思われます。
では、古い文章なら何でも「古典」と呼ばれるのかというと、やっぱり「芸術作品」と見なされていない限りは「古典」とは呼ばれないようで、たとえば奈良時代以降の朝廷や鎌倉時代以降の幕府が発行した公文書、昔の裁判の訴状だとか陳情書みたいなものももいっぱい残っているんですが、これらは「古文書」と呼ばれて別扱いを受けます。・・・とはいえ、そうしたもののなかには「文学」と見なしたっていいようなものもあるのでして、実際、平安期の文官たちが中央政府に提出した報告書の中には「古典文学全集」みたいなものに収録されているものもあるくらいです。
たったこれだけ見て来ても、「古典」なる言葉の定義を、私たちは実はそんなに厳密には出来ていないことが明確になります。

現代のマーケット上での音楽の取扱いは、文学よりもっと不思議なことが起きていまして、CDショップあるいはCD紹介本では、「古典」の翻訳語であるはずの「クラシック」という言葉の元に、20世紀前半はまだ許せる範囲内だとしても、なんと50年前くらい前から最近の作品まで、「大衆音楽」の棚とか本に入れ切れず、かといって「伝統音楽」の延長だと素直に見なせないようなママ子的な種類のものまでが、モンテヴェルディ作品やバッハ作品の演奏の隣に堂々と並べられていたりします。

こうして見てくると、果たして、「古典」と言われるものは、本当に「人々から高く評価されているもの」、すなわち、いまこのときに充分存在価値が認められたものを指す名誉称号たり得ているのだろうか、との素朴な疑問に取り付かれます。
かつ、「古典音楽」といえば、私の記憶にさほど誤差がないとすれば、ほんの30年前くらいまでは、日本ではもっぱら「西洋近世音楽」だけを指す、とても限られた範囲に過ぎませんでした。同じ西洋音楽でも、近世すなわちルネサンス以前の音楽は「古楽」と呼ばれ、20世紀以降のものでも中学校までの教科書で習うような「ドレミファソラシド」で作られたものは「古典」に入り、「ドレミファソラシド」以外の方法を使って作られた音楽は「現代音楽」と呼ばれていました。いまはどちらも、広い意味では「クラシック」という横文字で括られていて、その代わり「古楽」は最低でもバロック時代(18世紀半ば)まで、あるいは19世紀音楽でも19世紀当時の楽器の演奏法を研究した成果をもって演奏される音楽にまでに範囲を広げた用語に変ってしまいました。「現代音楽」についてはますます曖昧さが増していまして、「はーい、12音技法で作られていまーす」なら「古典」ですし、「ミニマルだよー」と言っちゃえば「現代音楽の古典やな」などと訳の分からない答えを返されたりして・・・あー、僕、困っちゃいます!
もっともっと困ったことには、「古典音楽」の称号はこんにちではアジア各地の、演奏形態や様式が主に宮廷で充分整えられた歴史を持つ音楽をも指すようになっていて、これはこれで
「そんなら、ほかの『伝統音楽』との差は、パトロンがデカかったりチッチャかったり居なかったりしたことの差なんかいな?」
と、考えだすとこれまた奇々怪々な「?」マークで脳ミソが埋まってしまうことになります(そういうゲームもありますよね。けど、ゲームやりたいわけじゃあないんですよ、いま、ここでは)。

「じゃあ、この際、『古典音楽』をもとの狭い枠で捉えることにして、そこに『大衆音楽』とか『伝統音楽』に当てはまらない、<主に西洋で誕生した楽器を使って>演奏される20世紀以降の音楽はその一部としての『現代音楽』ってことにして、それだけをひっくるめて横文字の『クラシック』で呼んでおけば、何の面倒もないんじゃないの?・・・いちおうさあ、『現代音楽』なんて呼ばれてるもんはさ、そのへんで手に入る西洋楽器とか、西洋の発明した機械とか使って演奏されてるんだから、これでいいんじゃなーい?」

なる総括が、であればもっとも無難、ということになるのでしょうか?

ですが、これではあまりにも音楽に、いや、音楽世界の広がりに対して、小馬鹿にし過ぎた総括になってしまう気がします。

もともと『現代音楽』という呼び名は、「大衆音楽」でくくってしまったジャズやロックだって包含していた時期もあった・・・ように記憶しています。まあ、これが私の勘違いでもいいのです。要は、『現代音楽』という言葉そのものを素直に読めば、そこから浮かび上がる音楽の像とは、
「いま、ここで鳴らされている、過去のものではない音楽」
なのでして、それがさらに細かく特定の名前、たとえば「電子音楽」だとか「テープミュージック」だとか、これら自体は既に古びた呼び名ではありますけれど、使われている手段で呼ばれようとも、とにかく未だ何か特定の枠に確実に収まることは出来ない「人工現象」であり続けていても、それをたった一人の人でも「これは音楽なんだよ」と言い張っているうちは価値を保留されたまま音楽であり続けるもの(いい方が面倒になることをお詫びします)は、この先「人々から高く評価され」る音楽となる可能性を秘めているのではないでしょうか?

で、そうした「現代音楽」をもひっくるめて「古典音楽」と呼んでしまうことに、私は反対・・・したいとは、絶対に思いません。

このさき私たちが「音楽の愛し方」を考えて行く上では、「古典」という語彙自体を辞典的な意味合いにこだわって捉え続けることの方が、「未来をもつ(はずである)人間」にとっては負の作用しか及ぼさないだろうとさえ感じます。

ですから、私は<分類不能>な<音楽(だと誰かひとりだけでも思っているもの)>をも含め、
「人の営みに、大なり小なり、あるいは塵程度にでもバックボーンを与えてくれる音楽」
すべてに、『古典音楽』という水槽の中で、とりあえず泳いでおいてもらうのが良いのではなかろうか、と考えておくことにしたいと思います。

・・・うーん、危険だろうか?

いちおう、ドイツの指揮者、故ギュンター・ヴァントの次のような言葉が、以上のような私の発想に繋がったことを打ち明けまして、今回の締めくくりと致します。

「新しい音楽を演奏する場合、私は自分に出来る最善のことを試みるようにしています。このようなことを行なおうとする者は誰しも、古典派の偉大な傑作に対するのと同様の姿勢をもって、新しい作品がもたらすかもしれないきわめて高度な要求に応えるよう努力しなければなりません。それ以外の姿勢、例えば『誰もこの曲は知らない、われわれがどのように演奏するかはそれほど重要ではない----とにかく、現代もののノルマは早いところ片付けよう!」といった態度は、私に言わせれば犯罪のようなものです。まだ誰もこれらの作品を知らないからこそ、聴衆に対し、われわれの過去の偉大な音楽の場合と同じように、楽譜へ細心の注意をもって提供しなくてはならないのです。」(W.ザイフェルト『ギュンター・ヴァント 音楽への孤高の奉仕と不断の闘い』音楽之友社168-169頁)

ヴァントのこの精神は、実は現代作品に対する姿勢だけでなく、この人物の、発言当時(1956年頃)にはまだ忘れられていたに等しかったモンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』の現代復元譜の誤りを発見、修正するという、過去の作品への対しかたでも貫かれていたものです。

ですが、今回はこれまでにしておいて、過去の「忘れられてきた」音楽をどう認識すべきか、の話は、『伝統音楽』を点検する時にすすめてみましょう。


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