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2009年9月 1日 (火)

音楽の愛し方:2〜怖れからの出発

大宮光陵高等学校管弦楽団第23回定期演奏会は9月5日です!



大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)

増井 一友さんリサイタル(クラシックギター)、11/21(土)東京:近江楽堂 5時開演 、11/28(土)大阪:ザ・フェニックスホール 5時開演です。素晴らしい音色をお楽しみ下さい!

3・7・8・9(7から9は当面欠番)
10111213
番外1 番外2

音楽の「愛し方」などとしておきながら、こんな話から始めます。

ウチの近所では、夕方になると、至る所に設けられたスピーカーで、急かすようなメロディと一緒に
「もう、おうちに帰りましょう」
なるアナウンスが流れます。
私の娘がまだ小さい頃、これをたいそう怖がりました。
最初は面白おかしくその様子を眺めていましたが、だんだんに、
「そうなのか、音が流れるというのは、おそろしげなことなのだな」
大人である私の方も、そう感じるようになりました。
このアナウンス、優しい声ではあるのですが、いつも決まりきったイントネーションで、これまたいつも決まりきった背後のメロディ共々、なぜだか薄暗い気持ちを呼び起こすのです。

ある作家がエッセイの中で述べているのを読みました。

「音という形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕えられ檻に入れられた幽霊とも謂った、ものすごい印象を私に惹き起こす。」(三島由紀夫『小説家の休暇』新潮文庫本18頁 ※)

なるほど、音が<定型的に>発せられることに対して、人はなにか怖ろしいものを感じざるを得ないのかも知れません。

始源の音楽について何か書かれていないか、と、可能な限り世界各地の古い本(原語では読めませんので日本語訳を使いました)を読んでいくと、共通して現れるのは、太鼓やラッパや笛が<戦いの場>で威嚇の手段として用いられる場面です。過去に音楽史を調べた際に引用したものから引きますと、たとえば次のようです。

古代インドの場合です。

「栄光あるクルの長老、祖父(ビーシュマ)は、彼を歓喜させつつ、獅子吼をして、高らかに法螺を吹き鳴らした。/それから、法螺、太鼓、小鼓(パナヴァ)、軍鼓(アナカ)、角笛(ゴームカ)が突然打ち鳴らされ、その音はすさまじいものであった。(以下略)」(上村訳「バガヴァット・ギーター」26-27頁)

同じような事情は古代メソポタミアにも見られますし、スペイン人を相手に戦ったアメリカインディアン(インディオ)の様子の中でも描かれています。
キリスト教・ユダヤ教の人々に最もよく知られた例としては、ヨシュア記に登場するイェリコの戦いの場面があげられるでしょう。この戦いでは、角笛の響きが城塞を破壊してしまうのです。
なお、ヨーロッパでは狩りに角笛(ホルン)が使われてきたことは周知の事実で、この狩のサウンドは19世紀の著名な劇音楽作家リヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)がオペラ(楽劇)『トリスタンとイゾルデ』第2幕の幕開けで絵画的に用いており、また、チェコの国民的作曲家ベドルジハ・スメタナ(1824-1884)が交響詩『モルダウ(ヴルタヴァ)』で豊かに響かせています。・・・そこには、実生活のための狩りの激しさは、もう微塵も感じられないのですが、本来は狩の角笛とて、獲物を威嚇するために、おどろおどろしく鳴らされていたことでしょう。

音に威力を感じていたからこそ、人々は古来、特別な道具・・・検証はしませんが、主に太鼓であり、ラッパであり、鋭い音の笛だったのではなかろうかと思われます・・・を、このように敵や獲物を威嚇するために作り上げて来た。そうして成立した楽器を、威嚇にいっそう効果が上がる用いかたをするため、ある「決まり文句」を設けて高々と鳴らすよう工夫を重ねた、というのが、もしかしたら音楽の起りなのかもしれません。
そうだとすると、これは「明るく」音楽をたのしむ、というのには程遠いものです。
ですが、このように了解すると、「人間に捕えられ檻に入れられた幽霊」が、相手を脅かす、との感覚は、じつに適切なものだとも思えてきます。

相手への威嚇転じて、音楽(のもととなるもの?・・・古代メソポタミアでは戦いのための奏楽は音楽とは見なされていなかったようです)が王の権威付け、ひいてはそれと結びついてだったでしょうか、神々の荘厳のものになったのは、果たして、威嚇のための奏楽の発生や発達より後のことだったのでしょうか、それとも同時進行だったのでしょうか?
人間が文字を手にして歴史を綴り始めたころには、戦いの道具としての音楽と祭祀のための音楽と、これもまた王の権威の延長として身分の高い人たちの娯楽のように供されていたことが、古記録から同じように分かります。

これも前に音楽史を見ていく際に引用した、古代メソポタミアの例。
「彼女(女神イシュタル)は衣服をぬぎすて、小鼓とシンバルとを手にして、海辺へ降り立ち、美しい音楽を奏し、歌を歌いました。」(「石の物語」〜ガスター『世界最古の物語』から。矢島文夫訳 社会思想社 現代教養文庫805、S48 絶版)

このイシュタル神話は、神への儀礼の道具としての歌や奏楽が王権の維持に深く関わっていた(上尾信也『音楽のヨーロッパ史』講談社現代新書1499、2000)ことの反映であると見なすことができます。

音楽の由来はこんにちさまざまに考えられていますけれど、根源には底知れぬ「音の響き」への畏敬の念があったことは間違いないのではなかろうか、と、私には思われてなりません。
その音楽を「愛する」ということは、ですから、音楽に対峙する私たちの精神に敬虔さを求めるものなのではないでしょうか?

とはいえ、音楽を「畏れる」だけでは、こんにちに至って音楽がまた庶民の娯楽にもなった、という事実までは説明出来るものではなく、これはこれでよくよく調べたり観察したりしなければなりません。

現代では威嚇的な音響以上に凄まじい威力の兵器が溢れかえるほど生まれてしまったため、「戦いの場での使用を目的とした音楽」は元来の姿のままでは残っていないのではないかと思います。
これも既に戦いそのもののための奏楽ではないのですが、インディオの中でも好戦的なタオ族の「戦いの踊りの音楽」の録音が手元にありますので、今回はその一部をお聴き頂いておきましょう。

タオ族の戦いの踊り
Goldies GLD 25449-2

どうでしょう。
こんな太鼓の響きが、現実に遠くから近くへと、私たちに迫って来たとしたら。。。



※ 三島著の同箇所を岡田暁生氏が近著『音楽の聴き方』【中公新書 2009】でもっと長く引用し、またそれよりも前の箇所も参照して三島を「音楽嫌い」と表現しています。こんことにしっくり来なかったのですが、岡田氏は話を簡略にするためにかように表現しているのであろうと信じます。というのも、同箇所の引用の後に岡田氏はこう続けているからです。「音楽に対する三島のこの恐怖/畏怖は、誇張とは思えない。音楽体験とは本来、そんなに生やさしいものではない。それは文明化された世の中に最後まで残った、古代の呪術の名残かもしれないのである。」(20頁)念のために申し添えます。

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コメント

Kenさんの娘さんのエピソードを読んで、
そういえば小さい頃
「エイリアン」のような映画をみた後に流れる、
天気予報の爽やかな音楽を妙に恐ろしく感じたことを
思い出しました。

>なぜだか薄暗い気持ちを呼び起こすのです。

まさに、そういう心持でしたね…。

投稿: Bunchou | 2009年11月 6日 (金) 15時15分

子供のときの「聴く音」のイメージって、どこかこわくって、知らない世界につれて行かれるような気持ちを抱かせるんですよね。
どなたも覚えがあるのではないかと存じます。

投稿: ken | 2009年11月21日 (土) 00時19分

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