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2009年8月 7日 (金)

定家の熊野随行

大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)
大井さんのブログでの情報はこちら。http://ooipiano.exblog.jp/11605999/
・・・「フォルテピアノ」について貴重な知見の得られる番組となることでしょう!!!



吉田美里さんリサイタル・・・キャンセル待ちですよー。

定家が西暦で言う1201年に生涯でただ一度、後鳥羽院の熊野詣に随行したことについては、「明月記」自体にもその日々のことが細々と記されてもおり、その部分だけが独立して読まれたりもし、詳しい書籍が豊富にあります。

ですが、「歌」という視点から見ると、あらためてブログくんだりで云々するほどのなにものかは、私には結局得られない気がしました。

現代の熊野を「出来るだけ徒歩で」という試みの書籍は定家が書き留めた足取りをたどっていたりしますし、<熊野御幸記>と称して独立して読まれてきた「明月記」の部分を軸にして時間軸を定家以前から近代まで自由自在に取ったものには角川文庫ソフィアの『藤原定家の熊野御幸』(神坂次郎著 角川文庫1463、平成18年)という、手軽ながら丁寧な記述の本があり、これさえあれば、「歌」についてのワンポイント以外は、今回の駄弁は弄する必要が全くないかと思います。

そこで、長々、様々読んでは見たのですけれど、この件については、私はあっさり触れるだけにとどめることにしました。

とにかく、この熊野への同行は、三十代の内に呼吸器疾患(喘息だったのでしょうか)を患い始めていたとおぼしき定家にとって端からきついものだっただけでなく、当時の社会は君主の旅行は臣下の健康にまで配慮するような優しさは全く持ち合わせていませんでしたから、旅程と賦課義務を果たすので目いっぱいだった定家には辛い期間でしかなかったことが、彼の言辞からうかがわれるだけです。

定家自身の作は、既に安定的な質は保っているものの、目の覚めるような詠歌はないように思います。

一例として、疲労の中で御前に召されたときに詠んだ次の歌には、かろうじて定家の本音が垣間見える気がします。


山路の月

そでのしものかげうち払ふみ山ぢもまたすゑとをきゆふづくよかな

一方、主君の後鳥羽は悠々たるもので、この御幸の間に、優れた歌を何首か残しています。

海辺眺望

うら風になみのおくまで雲きれてけふみか月のかげぞさむしき

この差異・・・定家の細やかな侘しさに比べ、後鳥羽の捉えた寂寥感の幅の、なんとひろいことでしょう!・・・から覗き見うる、後鳥羽と定家の精神的なゆとりの差が、このご引き続く主従の間の軋轢の端緒を形作ってしまったのかもしれません。

そうした軋轢を眺めるほうが、野次馬としては面白いので、ここで停滞するのはこれくらいにして、次のネタに目を移して行きたいと思っております。

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