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2009年8月24日 (月)

素朴な疑問2:「音楽史」本はなぜ20世紀で・・・

大井浩明さん、BSに登場です!下記リンクをクリック、是非お見逃し無く。
8月5日(BS hi)終了・9月15日(BS2)



音楽そのものの概論的な入門書は、辛口に言えば新刊で良いものは、作曲家の吉松隆さんが面白くまとめてくださったもの以外は皆無だ、と思っております。音楽を勉強したい娘にも、ですから、他のものは買い与えていません。これは残念な状況だと感じてもおります。
一方で、「音楽史」の副読本は品揃えも豊富なだけでなく、お綴りになっているかたの良心があふれていていて、悪くないな、という感触をも持っております。

それでもやはり記述の中心、もしくは全体が未だに西欧音楽であるものが殆どであるのは、日本という国の19世紀末が音楽というものをどのように捉えてしまい定着させてしまったかを私達に思い知らせてくれるのでして、同時に自分自身、そうした価値観の中で成人し、初老に至ったことから、いまとなっては痛みを伴ってこれらの本を読まざるを得ない気分にさせられます。

私は別に国粋主義者でもありませんし、ではグローバル主義かといえば、それも違います。
単純に、日本という土の中でうごめいているミミズの一匹です。
それが、このところ人間の居場所は殆どアスファルトで舗装されてしまい、そこへ好奇心からひょっこりと顔を出してみてしまったがために、
「うわあ、このカンカン照りじゃあ、もうすぐ生きたスルメだな!」
と、みずからのミミズ的生命の終焉の惨めさに思いをいたすほか、すべを知らない状況です。
・・・ミミズがスルメになりうるか、という「哲学的(!)美味吟味」は、まあ、措くことにしますが。

とまあ、すばらしい「音楽史」の副読本は、新しいものにはやっと、日本の音楽史も併記するもの、歴史という時間軸では捉え得ない「世界の音楽」を併行に捉えようと試みるもの、が徐々に現れていますから、今後楽しみです。

とりあえず西欧音楽史のみに着目したものとしては、

岡田暁生「西洋音楽史 クラシックの黄昏」(中公新書1816 2005)

が、高校生などの間では定番になっているようです。大学生くらいになれば、また別のもの、細分化されたものをお読みになるでしょう。そうしたもののひとつには

・田村和紀夫「アナリーゼで解き明かす 名曲が語る音楽史」(音楽之友社 2000 ISBN4-276-11012-2)

などがあるでしょう。

この2著、共に、良い本だと思っております。

ただし、ご著者がそれぞれの本を、どのような価値観から綴っていらっしゃるか、前提を明確にして読まなければいけません。この2冊に共通するのは、「客観性を重視したものに仕上げよう」ということよりも、これらはご著者が独自の価値観をもとに構成し、それぞれ個性的なスタンスから綴っていることです。読む際には、それを充分承知しておかなければなりません。
これらを「歴史概説」として読んでしまうと、それぞれの本のメリットを見失わせてしまうような「疑問」に取り付かれてしまう結果をもたらす場合があります。
(客観性を重んじたい、という狙いでまとめられたものは、田村氏の著書と同じシリーズにある「はじめての音楽史」のほうでして、こちらの最初の章は「音楽史」をこれから私たちがどう考えていくべきかを主体的に思考する際には、上掲二著よりも先に目を通しておくだけの価値があります。)

岡田著のほうは、タイトルも『西洋音楽史』とし、明確に「西洋における音楽の通史」を意図しており、より統一性があります。内容も、各時代につき、岡田さんなりの明快な整理がなされており、通常の副読本よりも読みやすくなっています。
ただ、たぶんご著者も望んでいないだろうと思うことですが、岡田さんの掲載された明快な図式は、言ってみれば「岡田史観」あってこそ初めてここまで集約できるのでして、単純に感心されてしまうべきものではない。更なる深みは読者各自が追求して行かなければならず、読者に
「あなたがモデル化するなら、さらにどのようにしますか?」
との問いかけを孕んだ図なのだ、という点は充分肝に銘じておかなければならない。
「岡田史観」は、20世紀以降の「正当な(?)」西洋音楽について、きわめて悲観的な色合いを持っていますが、これは岡田さんがリヒャルト・シュトラウスについて、つっこんだすばらしい研究を残した余波ではなかろうか、とも思っております。・・・リヒャルト・シュトラウスの音楽を真摯に追いかけた後には、実質上「メタモルフォーゼン」で終結するその悲劇的な筋道の先に、第二次大戦で焼け野原になったドイツを重ね合わせてみる以外のイメージは、やはり抱きにくいでしょう。

田村著は、エポック的な作品を採り上げてアナリーゼすることを通じ、「西洋音楽史」の軌跡を精神の深みにまで分け入って辿るためのガイドを読者に提供するものです。
中世以降の「西洋」だけを扱っている点では一貫性があるように見受けるのですが、それまでがヨーロッパ作品の、手法としても正当な作品分析を貫くことを基本姿勢としてきた記述が、「現代」(実質上、20世紀前半まで)を扱う段になって、突然路線変更しているのが気になります。
読者の親しみやすさに配慮したのかもしれませんが、それまでヨーロピアン・クラシックで埋め尽くしてきているのに、20世紀はサティを取り上げたかと思うと、続いて現れるのはブルースの話、ボブ・ディランの話です。しかも、この最後の2章では、それまで連綿と続けてきたアナリーゼによる音楽読解をご著者は放棄しています。
アメリカを中心に盛んになっていった音楽が急に現れるのも、私のような固い頭の者には突飛ですし、さらに、副題にわざわざ歌ってあるアナリーゼがなぜ放棄されたのか、梯子を外されたような気分を味わうことになり、ちょっと奇妙な読後感を与えられます。サティを持ってきたのなら、なぜその後が、たとえばブーレーズではいけなかったのか? アメリカに飛ぶにしても、たとえばなぜヴァレーズではいけなかったのか? ブルースでなくミニマルを採り上げたほうが一貫性が出たのではないか?・・・等々。
ただ、この違和感は、本書全体を「エッセイだとして読む」べきである、と割り切れば解消しうるものですし、それがもしかしたらご著者が望む「読まれ方」なのかもしれません。実際、各章はどこからでも独立して読めますから、「音楽史」という言葉を標題に持っていても、時系列で歴史を考えるためのものとして手に取るのは窮屈です。各章を独立したものとして読めば、それぞれが有意義な知見を与えてくれますから、「アナリーゼ」もご著者が得意とする手法として多く用いられたに過ぎず、ブルースとディランは、著者の同時代人であるだけに、むしろストレートにハートで迫ったのだ、との機微を感じるべきなのかもしれません。

田村著のこの締めかたは、とはいえ、学者さんの間で一般的な、20世紀音楽史の捉え方と全く無縁ではないことは、岡田著の方に戻りますと判明します。岡田著の最後の方に次のような言葉があります。

「そもそも音楽史にとっての20世紀は、西洋がそのヘゲモニーを急速に失っていった時代である。・・・etc.」(p.218)

「・・・1970年代に入ると、かつての前衛の闘士たちには疲れが見えはじめる。ブーレーズの指揮への転向・・・(中略)・・・代わってアメリカのミニマル・ミュージックのように、ポップ・カルチャーへ接近する動きが出てくる・・・・・・。」(p.220)

「右で試みたのは、よくある『現代音楽の歴史』的な記述のやり方だ。しかしながら私自身は、20世紀後半に起きたことを理解する上で必要なのは、こうした語り口自体を疑ってかかる視点ではないかと思っている。」(同頁)

「再三いっているように、西洋の芸術音楽はそもそも当初より、少数のエリートのための音楽だった。(中略・・・パトロンについっての簡単な話)それに対して20世紀後半においては、こうしたパトロンを喪失した芸術音楽は、一種のアングラ音楽へと先鋭化していったのではないか?」(p.222)

岡田氏のこのような言が、一つの価値観の表明であって絶対的なものでは無いことには、岡田氏の言い分に賛成であれ反対であれ、留意をしておかなければならないのだ、ということだけを申し上げて、ご紹介を終えます。かつ、現代音楽とは何をさしているか、どのように捉えられるか、については、機会を設けて検討しなおしてみたいと思います。

両著とも、じつは昨日今日手に取った本ではなく、何度も繰り返し目を通してみたのですが、そのなかで
「この本をどう読めばいいのだろうか?」
と考え続けた結果のお話です。

得るところの大きい本ですから、これからも手放すことはないでしょう。

ただ、やはり一方で、同時代という意味では特に、もっと多様な見方があっても面白かろうと感じておりますので、音楽史の副読本的なものには(西洋に限って、であっても)

・別の史観で21世紀のこれからまでに展望を広げたもの

・エポックではなく、全体ヴィジョンでみたらどうなるか、を俯瞰したもの

も現れてくれればいいなあ、と思っておる次第です。

これは、という書籍がありましたら、ご紹介頂ければ幸いに存じます。


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