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2009年6月17日 (水)

「楽譜に忠実に」問題(0)

Yamatouchiharu蓮見岳人・阿部千春デュオリサイタル(バロックリュート&バロックヴァイオリン、ケルン在住)是非お出掛け下さい。

千歳(7月12日)・天理(7月18日)・京都(7月19日)・名古屋(7月21日)静岡(7月22日)・東京(7月23日)です。

総合連絡先:スパティウム・ハルモニエ(電話050-5539-8845、mail:duo@angel.nifty.jp

HP:http://abe.hasumi.de/



阿部千春さんとフォルテピアノ奏者大井浩明さん共演のリサイタル(7月25日)

〜若き天才作曲家が世に問うた「作品1」〜

《モーツァルト:パリ・ソナタ集 作品1(全六曲)K.301-306》

(護国寺:同仁キリスト教会にて、18時開演)はリンク先、この演奏会への私の期待については「サヨナラ『古楽』」をご覧下さい。

連絡先:オフィス・アドック(電話:050-5532-5562、mail:office.adhoc@gmail.com

blog:http://ooipiano.exblog.jp/11686543/

吉田美里さんヴァイオリンリサイタル

・7月25日(土)ペンション・モーツァルト (山中湖)

・8月22日(土)14:30〜  荻窪:?芸館(かんげいかん)です!

プログラム等は、こちらをご参照下さい。

アマチュアオーケストラ、東京ムジークフロー定期演奏会は6月28日(日)です。

ピースフル・コンサート越谷 ’09は、8月5日です。

昨日までは、蓮見さんの演奏するリュート、阿部さんの演奏するバロックヴァイオリン、大井さんの演奏するフォルテピアノについてかなりざっくりと見てきました。誤りも多いかと存じますので、お詳しいかたのご叱正をお待ちしております。

今日からは数回にわたって、
「では、音楽(クラシックの場合)は、どういう台本をどのように読んで演奏されるのか」
という、いわば「文としての音楽の捉え方」
について見て行きたいと思います。とりあえず、かんたんな入り口。



本当の言い出しっぺは誰か分かりませんが、20世紀中葉は
「楽譜に忠実に」
ということが、とくに指揮者を中心に盛んに叫ばれた合言葉でした。
ところが、それ以前は、管弦楽を例にとれば、オリジナルのスコアに対して指揮者ごとに異なる書き加えや省略がなされているのが常態だったことは、マーラー版シューマン交響曲なる者の存在や、ワインガルトナー「ある指揮者の提言」に詳述されているベートーヴェンのスコア改変の必要性の強調などから様子の一端を伺うことができます。
それに初めて正面切って異を唱えた著名人はトスカニーニであり、その指揮した演奏は、彼の生前
「楽譜に忠実な演奏」
としてもてはやされました。
ところが、トスカニーニでさえもがスコアに書き加えや削除を行なっていたことが死後明らかになり、このことは
「トスカニーニよ、おまえもか!」
式に通人から非難の目を浴びせられるという180度の評価転換があったりしました。

さて、トスカニーニは、本当に、「楽譜に忠実」でない行為を行なっていたのでしょうか?

これは、彼のホンネを来世まで行って訊いてくることの出来る超能力者に答えを探って来てもらうしかありません。

そもそも、楽譜というものは非常に問題をはらんだシロモノです。
管弦楽に限らず、ピアノ譜だってヴァイオリン譜だって、まず出版された楽譜が作曲者の描いた通りであることは非常に稀です(可能ならば、ですが、手近に探るには、たとえばバッハの「インベンションとシンフォニア」の自筆譜ファクシミリは安価に手に入りますから、これを、今出版されている様々な印刷譜と見比べて下さい。最初に気づくのは「あ、こりゃあ、自筆譜そのままを忠実に活版の印刷譜になおすこと自体が無理だわい」ということです。かつ、自筆譜にはないところにスラーなどがついている楽譜もありますけれど、これは極めて大雑把にいえば、チェルニーの校訂の結果がそのまま化石のように残っているものです)。

そんな状況で、「楽譜に忠実」なることが、そもそも可能なのか?

アーノンクール「音楽は対話である」(邦訳アカデミア・ミュージック 1992)

には「モーツァルトにおける演奏解釈への指示----楽譜に書かれていない演奏習慣について」という章立てがあり、このなかで彼は、以下のような記述をしています。

「どんな作曲家にとっても自分の作品が正しく理解され、演奏されるように記譜することはとても重要であるに違いない。」(p.161)
であるにもかかわらず
「18世紀において、器楽作品の声部にどのようなアーティキュレーションを施すかという事柄は、原則として演奏家にまかされていた。したがって作曲家は、一般的な演奏習慣の伝統や範疇とは明らかに異なる演奏法を望む箇所だけを楽譜に示せばよかったのである。たとえばモーツァルトの時代には不協和音とその解決音に(註:記譜上は)スラーを掛ける必要はなかった。この二つの音符が1個のペアであることは自明であり、従って演奏家はなにも記されていなくともスラーを付けなければならなかったのである。」(p.162)

ということは、少なくとも18世紀の楽譜に関する限り(そしてそれは実はその前後の世紀の楽譜についても言えることなのですが)次の二つを意味があることを、私たちは考慮しなければならない、と考える必要がありそうです。

・18世紀の記譜法は、書かれたその通りに記号を演奏することを意図していない
・したがって、18世紀の楽譜の「文」を読むにあたっては、記号化されていない演奏習慣を知る必要がある

サボってしまっていますが、19世紀の楽譜については、C.Brownの大著がその要約をしてくれており、演奏家はそれを参考にすることで作業をだいぶラクになしえます・・・ただし、この本、英語がネイティヴな人にとっても非常に大変なシロモノだそうです。

18世紀については、そうした整理がなされた本を知りません。ただし、Brownの本は18世紀半ば以降のものについての記述ですから、モーツァルト以降についてはBrown著を読めば済むことなのかもしれません。

一方で、幸いなことに、モーツァルトのオヤジさんであるレオポルトの「ヴァイオリン奏法」、あるいは同時代(やや先行しますが)のクヴァンツやカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの著書に、「18世紀当時の演奏習慣」を教えてくれる記述が存在します。
これらの記述は、楽譜の例と共になされていますが、楽譜そのものが読めない人にも、ほんの少しの約束事を理解するだけで直感的に読み取れる要素もかなり含まれています。

次回からは、Brownをひもといて混乱するよりもまず、それら邦訳のある当時の資料を交互に見て行くことにしましょう。

なぜそんなことをするかと言えば、このことによって、私たちは
「より18世紀らしい色つやを見せてくれる演奏とはどんなものか」
を、いちどに、は無理であるにしても、何度も重ねて模様を眺め、音を聴き合わせて違いを感じ取ることから、直感的に知って行くことが出来るからです。

そうすれば同時に、本当に望まれる自然な「艶」を、「18世紀を再現してみました」といいながら、その実過剰にニスを塗ったくった演奏も存在するのだ、ということまで、ついには見えてくることになります。

「音の話なのに、<聴こえてくる>のじゃなくて<見えてくる>だって? 変なんじゃないの?」

・・・私自身はちっとも変だとは思ってはいないのですが、変かどうかは、一通り綴り終わったところで「見て」頂くことにしましょう。まあ、何回かかるか、いまのところ自分でも見込みが立っていません。(ただし、7月には曲目と作曲者の話に移ろうと思っておりますので、最後が少将半端になっても、それまでには切り上げます。)

結果としては、「変」なのかも知れませんヨ!

このことは、予めご了承下さい。



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