« ハイドン伝(ガイリンガーによる):2(1740-1749) | トップページ | ソロ・アンサンブル・オーケストラ »

2009年5月 8日 (金)

モーツァルト:Regina coeli K.276(321b)およびKyrie K.322

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


1779年、ザルツブルクに戻ったヴォルフガングは、1月25日付けで宮廷オルガン奏者に復任を許されます。客観的に見るならば、大司教ヒエローニムスすなわちコロレド卿は寛容だった、と評価されてもよろしかろうかと思いますし、また、大司教本人にそういう意識が強くあったからこそ、1781年の解雇時の悲劇も起こったのだろうと思われます。この点は、モーツァルトびいきの人はよくよく念頭に置くべきではなかろうかと思います。・・・ただし、復職のための請願書は父、レオポルトの筆跡で書かれているとのことです(ザルツブルク州立博物館蔵)。
この職業の義務には、大聖堂や宮廷で、オルガニストとしてふさわしい作品の提供も含まれています。
したがって、帰郷後のモーツァルトの仕事は、教会音楽が中心になるべきものであったことでしょう。

ですが、「戴冠ミサ」K.317を除いた、本日採り上げる作品は、果たして1779年のものかどうか疑義が持たれたままのものです。

先にKyrie K.322(変ホ長調)の方について、私が把握出来ていることのみ言えば、これはヴォルフガングがまだ帰郷する前にマンハイムで手がけられはじめた、という見方があります(NMA=新モーツァルト全集第2分冊中の解説・・・ただし、私の誤読でなければ)。

次に、Regina coeli K.276(ハ長調)については、ド・ニ『モーツァルトの宗教音楽』(原著1981)69頁では、少なくとも1779年の作と考えることには無理があるのではないか、せいぜいK.127(1772年5月)の焼き直しなのではないか、との疑義を呈示しています。
なるほど、K.276は、K.127にティンパニが加わってより華やかになっただけ、と言えれば言えるのですが、K.127は言葉を3章に分けて扱っており、楽曲の規模はずっと大きくなっています(84小節+134小節+182小節)。対するK.276は156小節というコンパクトさです。K.127にはなかった独唱者による四重唱部分が効果的に挟み込まれているのは、縮約のための苦肉の策でしょう。
この背景には、少なくとも、コロレド卿の前任で1771年に死去したシュラッテンンバッハ大司教が大規模な楽曲も容認していたこと、1772年は就任当初でコロレド卿はヴォルフガングの1772年5月の作品はまだ受け入れていたことがあったはずで(前に採り上げたときの記事参照)、K.276においては既に新任大司教の「節約」方針は徹底されているのであり、単純に「焼き直し」と見てしまうことは出来ないでしょう。
とはいえ、ヒエロニムス大司教のもとで生まれていた凝縮された宗教的小品の数々には、たしかに既にK.276に通ずる充実度は認められますし(「ミゼリコルディアス・ドミネ」K.222【1775】、「ヴェニテ・ポプリ」K.260【1776】、性質は違いますが「サンクタ・マリア・マーテル・デイ」K.273【1777】など)、これはK.276にも同様に認められることですから、1775年から1777年の間の作であっても不自然ではない気がします。
ですが、いまのところは、2001年の解説が付されたCarus版でも、K.276に関する新発見はない、とのことで、こちらでも1779年の3月から5月の間の作(マリアにまつわる祝日との兼ね合いから)と比定されたままのようです。(雑誌記事などにさらに新しい情報があるかどうかは参照しておりません)。


ついでですから、K.276の主立った特徴で気づいたことを述べますと、

・三位一体を象徴する「ド・ミ・ソ」の分散和音が、曲中で効果的に使用されている。とくに、5小節めでは、まず低い音域でのユニゾンで、すぐに引き続き第1トランペットをオクターヴ上げて響かせることで、輝かしさが際立つようになっているのは注目に値する。この動機はもっぱら器楽の方に、すでに曲頭から現れ、38-40小節(ここでは合唱もその延長されたかたちの上を動く)、106-109小節、111-116小節、151-152小節では変形されながら現れて耳に強い印象を残すようになっており、最後の155-156小節では合唱も初めて一緒になって全曲を締めくくる

・3ヶ所(13-14小節、76-79小節、131-134小節)に、ヘンデルの有名な「ハレルヤコーラス」に似通ったフレーズが、それとは気づかれにくいように配されており、全体の曲調にも、これまでにはなかった「ヘンデル調」の対位法が見られるように思われる(私の主観)

・92小節からのフゲッタも、マルティーニ神父系のものよりはヘンデルのそれを思わせる(同上)

といったところで、こうしたバロック的な象徴の巧みな応用には、やはり一旦故郷を離れて耳にし直したものから得た経験が生かされているのではないか、という気もし、私としては素直に1779年作との説に従ってもいいのではないかと思っております。
なお、K.276には純正資料が存在しないとのことですが、響きの上からは真作であることを疑う余地は全くないと考えてよいかと思いますし、この点に疑いを差し挟んだものも目にしておりません。


K.322を巡っては、コンスタンツェの述懐などもさまざまあるようですが、日本語に訳された文献ではそれらについての資料を目にすることは出来ず、成立について憶測する余地は私にはありません。
この作品は24小節めまでの断片ですが、テンポ・表情指示がLargoですので、これでも相当の完成度であり、残りの部分が他者の手で補筆されて34小節で完結しています。補筆者がアイブラーだというのはコンスタンツェの言明によるものとのことですが、写真版を見れば分かることなのでしょう。NMAには冒頭部しか写真が掲載されていませんので、アイブラー補筆ということについては、その是非を問うことは私には出来ませんし、疑う理由もありません。
変ホ長調のこのKyrieは重厚な響きのするもので、以前から諸権威によって『魔笛』に繋がる雰囲気を持つと認められて来ていますが、15-18小節や21-22小節のアーティキュレーションには『レクイエム』にまで及ぶ書法・語法が読み取れますし、調こそ半音違いますが、ベートーヴェン晩年の大作「ミサ・ソレムニス」のキリエの冒頭部をさえ彷彿とさせると感じられます。いかがでしょうか?
もう一つの印象を付け加えておくならば、このKyrie、もしかしたら「戴冠ミサ」の原案だったのではないか、とも感じるのです。結局はテンポを速めたKyrieを付すことになった「戴冠ミサ」ですが(調性もハ長調になります)、スケッチを残すことを原則とはしていなかったモーツァルトの思考の整理過程としては、「戴冠ミサ」に至る前にこうしたKyrieでミサを書き始めようとしていたことがあってもよかったのではないかと思いますし、楽想にも共通するところがあるように、私には感じられます。・・・あくまで、邪推ですが。


L4WBanner20080616a.jpg

クラシックCD検索に便利!バナーをクリックして下さい!

sergejOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

|

« ハイドン伝(ガイリンガーによる):2(1740-1749) | トップページ | ソロ・アンサンブル・オーケストラ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: モーツァルト:Regina coeli K.276(321b)およびKyrie K.322:

« ハイドン伝(ガイリンガーによる):2(1740-1749) | トップページ | ソロ・アンサンブル・オーケストラ »