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2009年5月 9日 (土)

ソロ・アンサンブル・オーケストラ

西欧音楽の、器楽演奏に関する雑感です。
とくに、所属するアマチュアオーケストラ、TMFの合宿を先日終えてみて、それを本職で頑張っていらっしゃるかたからのアドヴァイスや楽しいお話と重ね合わせみて、胸を満たしたことを、少しだけ綴ってみたいと思います。



まず、ソロか、二人以上十人台程度までのアンサンブルか、大人数のオーケストラか、で、音楽を奏でるということに、それぞれ異なった姿勢が必要なのか、共通する精神が必要なのか・・・


人前でソロを演じる、というのは、厳密にはピアノの他には無伴奏での楽器演奏に限られます。が、いちおうは、ピアノ以外の楽器の場合には、ピアノもしくは低音楽器によって和声を補強されたかたちでの伴奏を受けられる場合をも「ソロ」と称しています。このとき、補強である伴奏については、少人数アンサンブル(二重奏を含む)場合とは違うものが要求されるのですが、そのことには触れません。ただ、伴奏をしてもらっての「ソロ」は二重奏ではありません。二重奏は少人数のアンサンブルに含まれます。
ソロの場合には、

・その楽器についての確かな演奏技術

・その楽器を用いて音符を完全に(あるいは完全に聞こえるように)拾い切る根気

・拾った音符を「正しい」音楽として聴衆に聞かせ得る素養

という要件があるかと思われます。・・・この場合、「途中でのミスがあったらどうなの?」という問いに対しては、2番めに上げた要件に吸収される、すなわち、ミスをしても「完全に聞こえるように」カヴァーできる能力が備わっているのであれば充分であろうと考えます。
ソリストが奏でる音楽は、ソリスト自身の「個」が明確な輪郭をもって訴えかける力を持っていなければならない、ということでしょう。伴奏を黒子として演じられる、若い人ならば「花」が、ヴェテランであれば「格」が備わっていなければならない、ということになるのでしょう。



少人数のアンサンブルで、もっとも分かり易いのは、西欧音楽をやる場合について言えば、じつは4人編成程度のものです。和声学の教科書が「四声体」を基本にして書かれていることに思い及べば、理由は明らかでしょう。和声を基本として組み立てられた音楽においては、作曲家は、四声がバランス良く響くことを念頭において作品を書いています。非常に単純化して遡れば、複声の音楽の成立過程においては、まず低音部に主題があり、聴き手もそれを前提に音楽を聴くことが一般的であったのではなかろうかと思います(単旋律の聖歌からオルガヌムの成立まで)。ところが、四声体の和声が確立して行く過程においては、旋律がテノールに移り(ゴシック期)、アルト、ソプラノ、と、より輝かしく響く声部の方へと遷移して行きます(ルネサンス期)。単純にある声部にのみ旋律が回ってしまったのでは、しかし、音楽としてはまだ起伏に欠ける。そのために、旋律は、各声部の間を都度動き回るようになって行きます(バロック期)。その最初の結晶はトリオソナタだったかと思いますが、これはまだ鍵盤楽器による和声の補強が必要でした。補強をハズしても成り立つ音楽として出現したのが四重奏曲だったのではないか、というのが私の感触です。
となると、四重奏においては、いま、この瞬間、ソプラノ、アルト、テノール、バスのうち誰が主導権を握っているかを、最少4人のメンバーが、お互いに常に意識しなければなりません。
すなわち、「ソロ」とはまた異なった要件が生じて来ます。

・和声に於ける自分の位置を時間の流れと共に把握できる聴覚

・主導権を握っているか、引くべきかを瞬間で理解する判断力

・以上を、複数人で「正しく」連携して一体としての音楽を実現する構成力

とでもなるでしょうか?
以上のことは、人数が増えて来ても、さほど変化なく適用しうる「アンサンブル力の要件」だと考えます。



大人数のオーケストラについても、作品の骨子は(複雑化した和声は今は前提としません)少人数のアンサンブルと同じです。ですが、大人数になるために、少人数では起こりえないいくつかの複雑な条件が加わります。

・あくまで4声を基本に考えるならば、各声部を分担する楽器が複数にわたるようになる

・しかも、場合によって、ある楽器は作品の中で担当声部につきフレキシブルな存在となる

・これらの前提により、各楽器が、ある瞬間にどの声部を、あるいは旋律・伴奏のいずれを担当しているのかが理解しにくくなる。このことは、まかり間違うと、全体が統一されるべき音楽の中で、流れにそぐわない奇妙なスタンドプレーを許容することに繋がりかねない

本来、こういう複雑化があるからこそ、指揮という行為は、実は普通にはそのように印象を持たれがちである、「音楽のニュアンス付け」を担うものではありえないのです。
単旋律の聖歌を「指揮」する場合には、最も重視されるのはたしかに「ニュアンス付け」なのですが(グレゴリオ聖歌の指揮をご覧になれば分かるでしょう・・・古い単旋律の聖歌には構成の「拍子」というものがありませんから、言葉に応じた分節の指示、言葉にこめられた意味の暗示は、聖歌の複数の歌い手を統合する上では非常に重要な役割を果たします)、オーケストラのように複雑化した複声部の音楽においては、まず、それぞれの楽器の役割が、「あなたはどの声部」・「あなたは主旋律」・「あなたは伴奏」であることを統一的に明示してくれる「演出家」が必要となる。
裏返せば、オーケストラの構成員は、個々では音楽の全貌がつかめないがゆえに、「演出家」としての指揮者の示すところに従って音楽を統一しなければならず、これは悪い方にはたらけば、ふたつの大きな欠陥に直結します。

・音楽の設計を理解していないで舞台の上で踊ることだけに熱中する「指揮者」を「指揮者」として仰いでしまったら、その段階で、そのオーケストラは「音楽を作り上げることを放棄した」ことになる

・逆に、せっかく設計を理解している(もちろん、その理解には決まりきったものがあるわけではないのですが、最大公約数としての構成は、作曲の姿勢がはっきりしている限り、指揮者の恣意では決められないのです)、音楽の構成を理解している指揮者の演出を受けていても、その「棒」を見なかったり、下準備で練習したことをオーケストラのメンバーのひとりでも失念してしまえば、オーケストラは「そもそも音楽を奏でる能力がない」ということになります。



一見しただけでは、編成が大きくなるほどに、演奏者には新たな要求が増える一方、個々人の果たすべき役割は縮小して行くかのようです。
実際、室内楽奏者には、ソリストほどの技量は要求されず(例外はありますが)、オーケストラメンバーの一人一人には、小編成アンサンブルほどに研ぎすまされた耳は不要であるかのようです。
とくに、オーケストラメンバーは協奏曲を弾ける・吹けるところまでの「技術」はなくてもよいかもしれない。

果たして、そうなのでしょうか?

ソロに要求される技術、と言ってしまうと、大変に凄いことのように思えてしまうのが、まず第一のクセモノです。
少人数ほどには自己責任で和声を構成しなくてもすむ、大勢の中の一員として、周りに何となくあわせていれば、それで演奏が出来てしまうような錯覚を起こしてしまうのが、第二のクセモノです。

ソロにも平易な曲はありますし、オーケストラにも超絶技巧を要求する作品は存在します。
ですから、分に合った(自分の技術力と、保ち得る精神の姿勢にそぐう)演目を選択する必要性、というのは、まず、演奏形態に関わらず、絶対にはずせない重要事項ではあります。そこまでの前段階があって、練習に取り組む私たちは、ソロであろうが複数人であろうが、「音楽」に対しては同じだけのウェイトの誠意を示さなければならないはずです。

すなわち、演奏形態によってそれは基本ルールにこそ差異はあれ、そのルールの差異を理解した上で、音楽全体にわたっての視野は必ず保持しながら、私たちは作品に取り組んで行かなければならない。

これは、本職として音楽をやっているか、職業ではない演奏しか行なわないか、ということには、じつは全く関わりがないのではないでしょうか?

とくに、お客様に聞いて頂くことを前提にする場合、及び(こちらのほうを私たちは気づかずにないがしろにしがちなのですが)自己との対話のためにひとりないし仲間内で音楽を奏でる場合、誰にでも同等の、音楽に対する重い責務がある。
その責務があるからこそ、一方で、責務を果たした時に音楽は初めて、果たした責務に応じた喜びを、無数の「ヨブ」である私たちの頭上に燦々と輝かせてくれるのではないでしょうか?



念頭にあるのは、私のお仲間として演奏して下さる方々なのですが、私のこの文は、必ずしもお仲間の全部には読んでいただけませんし、それを期待するものでもありません。

ただ、まず、シロウトでも音楽を続けているからには、もしここまでの私の話がズレているのだとしたら、
「では、本質はどこにあるのか」
との思索は、なるべく個々の主観・・・過去に自分の中に「思い込み」として集積されてしまったもの・・・を除去しつつ、成し遂げて頂きたいと願っております。
そんな一心で綴りました。

お分かりになりにくい点が多々あろうかと思われますが、それは是非、いちど各人各位なりに、勉強をし直してみて頂いたらよろしかろうかと存じます。

つまらぬことを綴りました。ご容赦下さい。


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