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2009年5月27日 (水)

「チャリティ」とは何か・・・アマチュア演奏考としての

ケルンで活躍中の蓮見岳人・阿部千春デュオリサイタル(リュート&バロックヴァイオリン)、是非お出掛け下さい。
静岡(7月22日)・東京公演会場(7月23日)が決まりましたので、追記しました。
その他、最新情報は追加でお知らせします。


8月に私も参加させて頂く「チャリティコンサート」がありますので、あまり僭越は申し上げられないのですが、「演奏することとコストの関係」を考えるには最良の素材ですので、簡単に見て行きたいと思います。

まず、「チャリティ」とは、そもそも何でしょうか?
手近な国語辞典でことたれり、とします。すると、その意味は「慈善。慈善事業」とあります。
さらに「慈善」の意味を手近な漢和辞典で引きますと、「情け深いこと、いつくしみ、不幸な人たちを助けること」とあります。

では、その行ない手は、そのような心をもって「チャリティ」を行ないうるのでしょうか?

音楽家の伝記のなかで「チャリティコンサート(慈善演奏会)」についての記述をよく目にするのは、ヘンデルやベートーヴェンです。

ヘンデルの場合を見ておきましょう。
年表上に登場するものを拾っていくと、
・1741(56歳):12月10日、ダブリンのラウンド教会で
・1742(57歳):2月8日、4月5日
・1749(64歳):5月27日、捨子養育院にて(花火の音楽、機会オラトリオ他)
・1750(65歳):5月1日、同所にて(メサイア)
というところです。

1741年は、彼のオペラ興業がだいぶ傾いた頃で、前半は困窮のうちにありましたが、この年の11月に、<メサイア>と<サムソン>の二大オラトリオを引っさげてダブリンに赴き、その初演を翌年はじめに行なうべく、用意周到に探りを入れていた時期です。・・・彼の経済状態を考えると、「慈善演奏会」なるものを行なうには無理があるように見えるのですが、12月23日から翌年の2月10日までの予約演奏会シーズンを持っており、それを成功させて満を持して<メサイア>上演にこぎ着ける、という腹案があったためのイメージアップ戦略ではあったのでしょう。
翌1742年の2月8日、4月5日というタイミングも絶妙です。2月10日で終わる最初の予約演奏会シーズンの時期を押さえ、4月12日に(やはり慈善目的と称して)メサイア初演を行なう、という広告を出した後、初演1週間前、という日をも押さえていることには、ダブリンの地でいいイメージを得、風評で他の地にまで彼の「良い人格」が伝わり、安定した収入を得ることに繋げていく、という、中期的な家政目標が彼の内側にあったことが、如実に窺われます。

1749年になった頃には、以前のオペラ作曲家としてではなく、「オラトリオ」作曲家として道義的な面からの評価が既に固まっていました。さらに、4月27日には<(王宮の)花火の音楽>が演奏され、式典そのものの失敗にも関わらず、彼の名声はイギリス王国を代表する高みに登っていたことは周知の事実です。ですので、この年の慈善演奏会以降は、やっと安定的な経済基盤を持った上で、捨子養育院への後援を行なったと言えます。

ヘンデルの、このパターンに着目しておきましょう。

最初は、経済的困窮のなかで、あえて「良いイメージのために」出資することにより、安定した活動を続けるための収入の道を見出そうとする戦略として「チャリティ」を行なったのです。
次のパターンでやっと確立される、真の意味での「チャリティ」は、最初のこの宣伝的チャリティの成功無しにはなしえなかった、ということは明白です。

ベートーヴェンの方は、慈善演奏会への参加は、「戦争交響曲」などのヒットで彼が潤っている時期になされており、詳細は把握していませんが、とにかくヘンデルのような戦略的なものはなく、豊かな時期に行なったものです。いずれにせよ、「慈善演奏会」を行なえるだけの経済的ゆとりがあるときに初めて行なっている点は、承知をしておかなければなりません。



ひるがえって、私たちが「チャリティ」を行なう際に、無条件に「慈善」を行なえるのか、ということについて考えてみなければなりません。

余剰財産を持っていない限りは、「慈善」などということが、そもそもあり得ません。
したがって、余剰財産を生み出す「事業」としての慈善を検討することが最重要事となります。

そのためにはヘンデルの例でいくらか「戦略」が分かっても、その経済的負担の構成が分からない以上は確実なことは言えないのですが、「慈善事業」をなし得る利益を確保するだけの「コスト回収」は最低限視野に入れているはずでして、ここが本来もっと明らかにされるべき、かつは、私たちが念頭に置くべきことがらです。

しかるに、往々にして、理想にだけ燃えてしまうと、「慈善」の企画者は、企画段階で、「コストとは何か」の項目に見落としを起こし易くなります。
何を見落とすか?・・・「人件費」です。
「事業」のための資本を用意する時に、ホール代、宣伝費あたりまではコストとして把握をするようですが、協力者にアマチュアを仰ぐ場合には、アマチュアは「無報酬で良い」と思いがちであり・・・もちろん、無報酬で良いからアマチュアだ、と言ってしまえばそれまでなのですが・・・、そのメンバーに負荷がかかるコスト(交通費、練習時間のために犠牲となる、いわば営業保障的なもの)をも報酬と一緒くたにしてみてしまいがちです。

「有志」を募るのだ、集まるのはその結果、自らの経済的犠牲を厭わない人なのだ、ということであれば結構なのですが、ヘンデルがなぜ困窮のなかで「慈善演奏会」をなし得たか、を少し深く突っ込みますと、恐らくは借財のなかから、出演してくれるメンバーに対する報酬の支払いまでを履行したがゆえに、「契約としての協力」が成立していたはずなのです。

日本のアマチュアの体質なのでしょうか、集まれば誰でも「有志」という発想が抜けない「チャリティ」企画が多い気がしますし、そのことにはむしろ危惧の念さえ覚えます。「奉仕」に対して「報酬」を、という契約の概念が、他国ほどには明確ではなかったにせよ、日本にも戦国時代以前には明確に存在していたことを、私たちは完全に忘れています。

あるいは、一般のかたからの資金的支援に対しても、あたかも「公的援助を受けている」ように、あるいは寄付を受けたように捉えがちであり・・・だったらこの寄付だけで「慈善」をまかなえばいいのでして、それに演奏などという「事業」を加える意味は全くないのです。「事業」であるからには、資金援助も本来は「借財」と考えなければならないはずです。

「チャリティ」を主催する際には、それをわざわざ事業にする必要があるのか、というところから慎重に考えなければなりません。
熟考の上、やはり演奏という「事業」にするのだったら、「チャリティコンサート」は、それを行なって得る収益で「援助金」という借財への返済をも果たし、報酬以外の「人件費」をも回収し、その上澄みをもってはじめて「慈善」にあてることが大前提です。

そのような、健全な「チャリティコンサート」が行なわれることを切に望みますし、私の参加するコンサートも、今さらではありますが、出来るだけそれに近いものになってくれるように、神様にお祈りしています。

・・・協力者に自腹を切らせることは「チャリティ」にはならない、ということは、私たちは肝に銘じるべきでしょう。
そのような安易な「慈善」を喜ぶような人がいるなどとは、私には想像もできないのです。
人間というのは、持っていなければ持っていないなりの意地というものがあるはずであり、それを無視するのは「慈善」どころか「余計なお世話」でしかありませんから。

ですから、本来ならば、神仏にも及ばない私たち人間が「慈善」だなんて思い上がりを起こすよりは、演奏行為を継続し得る「コスト回収」を真剣に見つめて企画することの方がまず基本ですし、私自身はそういう企画の方により大きな魅力を感じます。そのなかで自分自身が利益を上げ得なくてもいいのです。
「質のいい音楽」で「真っ当な利益」を、まず「得るべき人が得る」・・・それが成立して初めて、私たちはようやく、ちょっとだけ、「慈善」のまねごとが出来る、というわけです。

これは、伝統芸能の現在や、過去どのようにして生き伸びて来たかをよくよく知れば了解できることではないかと思っております。

今日は、「チャリティ」を素材に、アマチュアにとっての演奏とは本来なんなのか、を中心に検討しました。
この延長線上に、では音楽で生活を立てるとは何か、という、さらなる難題が控えているのですが、そこまではわざわざ言い及ぶ必要もないでしょう。


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