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2009年5月13日 (水)

言い換えられない「自分」

ふと思い出したことをベースにした雑談です。
・・・いろいろと資料を当たり終えていないので「場当たり」でもあるにはあるのですが。
・・・話は、なるべく手短に済ませるために、少々抽象的になります。


いまも市井に埋もれていて、死後も自分の子、せいぜい孫までにしか記憶されない私達・・・もとい、私・・・のような小さな存在にも、「個」は備わっています。
ですが、その「個」のありかたは、場所と時代によって大きく異なっていましたし、今も異なっているのだろうと思います。

日本のことしか感じられず、また、それが正確かどうかの保証もありませんが、私の知る限りでは、現在のように人の頭数だけ「個」が認められるようになったのは、この国では第二次世界大戦の敗戦後でした。それまでは、親子を中心にして親族・姻族が寄り添って「家」なるものをかたちづくり、「家」を単位として「生業(なりわい)」が営まれていました。私の「家」も例外ではなく、「漆職人の家」でした。母の思い出の中には、戦争前の「家」が漆器を塗る「工房」であったころのイメージが鮮明に残っています。祖父と父親の他に、父親の兄弟(や、ある別の「家」なら姉妹の婿)を含め、昼中、黙々と、白地の器に漆を塗り続ける。話さないのは、塗ったものに埃をつけてしまったら、それでそのものは売り物にならなくなるからです。
男達が仕事をしている間、漆の仕事に携わらない女性陣は竈に火をくべて炊事や風呂焚きをし、あるいは水を汲み、洗い物をしたりしていました。食事を運ぶときだけ、仕事場へ入ることを許されました。
子供はすぐに立ち騒ぐので、仕事場には絶対に出入り禁止でした。
母の記憶には現実に見たとおりに残っているこれらのイメージは、もはや私には想像でしか脳裡に描くことが出来ません。

昭和の前半までは、役所や企業への勤め人というのは、農家や職人のこうした風景の合間に未だ希少に存在するエリートでした。こういう人たちが、日本における「個」の先駆者だったのでしょう。

資本力のない「家」は、戦災で焼かれなかった地域を除きすぐに崩壊しました(私の「家」などもそんなひとつです)し、まだ無事だった資産家も、それ以後アメリカ占領下の様々な法改正の元で財貨をなし崩し的に剥ぎ取られました。それが原資となって現代日本が成立し、「個」を享受する人口は鼠算式に増えました。
このことの善悪は、利益を得た側・損をした側で見方が異なるでしょうし、それを云々するつもりはありません。私自身、第二次世界大戦での日本の敗北ということが無かったら、音楽をはじめ「自分」が愉しみとしているいろいろな事柄に浮気をすることを許されない生活を送って老年を迎える運命に支配されていたことでしょうから。

では、こうして獲得したはずの、私達の頭数分だけの「個」の意義を、私達はどれだけ大切にしているでしょうか?

「個」と「自分」を括弧で括ったことには、私としてはそういう問いかけの思いを込めたつもりでおります。

敗戦前に「個」を持っていた人たちは、「自分」をも僅かばかりは持っていた人たちだったのではなかったのかな、というのは、たとえば三島由紀夫の「春の雪」(これしかまともに読んでいないのでお恥ずかしいのですが)に描かれた大人達の姿から想像させられることです。では、そうした「個」の所有者達が「自分」を間違いなく確保していたのか、となると、意識の隅には常に「お上」があり、「奉公」という意識があって、必ずしも「自分」意識を強くは持っていなかったように見えます。

焼け野原の後から雨後の筍のようにたくさん生え育ってきた「個」には、すべてが焼けたはずのこの土地の上で、やはり、まだまだ念頭にはそれぞれの「お上」があって(それは大臣だったり自治体の長だったり企業の・・・雇われではない・・・社長だったり、と様々なのでしょうが)、「個」は「自分」であるよりは「奉公」する存在のままであり、この意味では、数は増えたといえ、浅く遡っても近世以降ずっと保たれていた「御恩と奉公」の関係から「主従」ともになんの変化もしていない、と言って支障が無いように感じられます。「お上」の方はここまで特に考慮してきませんでしたので「主従」ともに、というのは少々突飛に見えるところはご容赦願います。あらためて言うなら、こちらもきちんとたどっていけば、「お上=主」の方にも、「自分」というのは存在していない。「奉公」を受ける立場から、どのように「御恩」を与えるか、ということを、こちらも常に念頭に置かなければならないからです。

「自分」を確立することが「善」だ、という価値観を是とするならば、この状態は「善」なるものではありません。
そのためかどうか、しばしば、「自分」を確立しているように「見せかける」手段として、自称するか世間がそう呼んでくれるかして、他の有名な「自分を確立した存在」の名前を借りるケースを見受けます。
日本のクラシック界であれば
「日本のノリントン」
というのが、最近目にした、ひとつの例です。

これ、そう名乗らなければ、あるいは周りがそう呼んで差し上げなければ、そのかたの「自分」が成り立たない、というのだったら、<おかわいそう>ではないか、というのが、率直な思いです。
このケースで言えば、このかたは「ノリントン」がプラスイメージで捉えられる場合にのみ世間から「プラスイメージ」を獲得でき、もし「ノリントン」がマイナスイメージしか持たないのであれば、ご当人の中にいくらプラス評価を受けるにふさわしいなにものかがあったとしても、「ノリントン」のマイナスイメージと連動してマイナス評価しか受けられず、本来いかに潜在的な「自分」を持つ可能性を秘めていても、「ノリントン」が忘れ去られてしまえば、やはりそれに連動して忘れ去られてしまうのです。その上、「日本」と冠していますから、「ノリントン」自身がまた人々に想い出されるときになっても、こちらの方は忘れられたままになることでしょう。
最も不名誉なことがあるとすれば、それはこのかたが「ノリントン」の名前を借りながら
「なあんだ、ノリントンに比べたら研究もきちんと出来ていないではないか!」
と決め付けられ、蔑まれることがある場合で、これは折角にご自身なりの研究をなさって、それなりの努力を払っても、下手に著名人の名前を借りてしまったことによって、ご自身の成し遂げた成果が<分相応>に評価されなくなる悲喜劇が起きてしまうことです。・・・現実問題として、このかたはノリントンとは直接間接の接点は持ったことがないとお見受けしております(そうではないのでしたら失礼いたしました)。もし直接でも間接でもきちんとノリントン氏ご本人の薫陶をお受けになったのでしたら、わざわざその名前を自分に冠することは、むしろ「恥」となさるでしょう。

いや、現在の状況をも、もしご自身を大切になさりたいのでしたら、いかに赤面モノであるかをご自覚いただけたほうがお幸せかと存じます。
(かつて山田一雄氏は「日本のカラヤン」と周りから称されましたが、ご本人は知って知らん顔をなさっているだけでした。実際、彼の指揮はカラヤンとは似ても似つかないものでしたから、そんな呼称でご自身を売り込むなんてアホ臭いと思っていらしたのでしょう。君子とすべきです。)

別に、こうしたことはほんらい個別にあげつらうべきことではなく、一般的に見られる事象です。
しかも、日本において目立つので日本の例を上げましたけれど、案外、日本固有だとは言い難い面もあり・・・じつは、その一例を思い出したことがこの文を綴ってみる気を起こさせたのですが・・・、本当はもっと敷衍されるべき根本的な課題が孕まれているのではないかとも思います。

さて、どうでしょう、少なくとも、他者である「自分を確立した存在」の名を借りたところで、借りた人自身の「自分」は確立されるのでしょうか?

答えは、上例から分かるとおり、
「否」
です。

では、そこでまた無理をしてでも、名を借りることを捨てて「自分」を打ち出すことが、「善」なのでしょうか?

現代日本において、なお「個」=「自分」という等式が成り立っていない状況のもと、ある面では「新文化」の担い手を自負する人が「自分」を確立することを急務とすべきなのか、保持している伝統精神を重視して「没・自分」でいるべきなのか・・・こんな断片的な文ではまだ入り口にしか触れられない、それでいて私達をこれから引き継いでいく新鮮な精神たちのためには、よくよく検討をしておくべき大事なポイントとなる事柄なのではないか、と思います。
本当に考えるべき未来とは、独断的に決めつけ発言されるものであってはならず、以上についてまずひとりひとりの<おのれ>がよくよく熟考し、「どうなのだろうか?」と静かに問いかけ合わなければならないことなのではないでしょうか?
何通りも考ええるはずの「未来」について、独善的な見解を誇らしく著書になさり、おそらくはちゃんとお答えいただけるだろうとの期待からちょっとばかり疑問を提示すれば、それにたいしてお答えを頂けるのではなく、媚を売ってこられる、などというていたらくでは、当初は好意的にとらえた読者でも
「なんだ、この著者は所詮権威主義者だ!」
と、飽き飽き、うんざりしてしまいます。そういうことなさるようなかたは世の中にはいらっしゃらないであろうと信じたいなあ、と存じます。

脱線してすみませんでしたが、以上を考えるにあたって、人生の先輩方の示唆的な言葉はいくつもありますが、さしあたってはドナルド・キーン博士の「能・文楽・歌舞伎」(講談社学術文庫1485 2001)の次の文は顧みるに値する重要性を持っているでしょう。

「なによりも能楽師は自分の性格のいかなる面をも役柄に投影させぬよう戒め、さらには上演ごとに表現の差異が生じないように心掛けるのである。」(32頁)

「(小西甚一博士訳の世阿弥の言葉の引用から)『いったい、最近あたらしく作られた幾番かの能も、古い能をもとにして、それを新しい曲に改作したものである。(中略)・・・・・・これはそれぞれの時代の好みに応じて、いくらか詞章をかえ、曲に新味を加えなどして、いつの時にでも咲くような花をうまく咲かせる種を工夫したものである。今後も、やはり、時世に応じて、その好みに合うようにすべきものである。』」(58頁)


そう、こんな文を綴りたくなったのは、アリアーガの名前が急に浮かんだからでした。
19歳で早世したこのスペイン人の天才は、出身地とその才能のゆえに
「スペインのモーツァルト」
と呼ばれ、まさにそれゆえに、せっかくの個性的な初々しい調べが、かえって私達の耳から遠ざかっている、まことに惜しい存在なのです。

彼の弦楽四重奏曲の自筆譜をリンク先でご覧になりながら、少しお考えいただければ幸いに存じます。

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