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2009年5月 6日 (水)

音楽も絵画も超えられない精神・・・Faust(手塚治虫展を見て)

Tedukaten東京・両国駅前の江戸東京博物館にて、今、手塚治虫展が開かれています(2009年6月21日まで)。
この希有な「漫画家」の全貌を網羅していて、おすすめの展示会ですが、昨5月6日は黒山の人だかりでした。

音楽関連での手塚さんについてかんたんに述べますと、まず、「リボンの騎士」は宝塚で育った彼ならでは、の、宝塚歌劇経験が無かったら、決して生まれなかった作品でしょう。残念ながら未完に終わった「ルードヴィヒ・B」は、ベートーヴェンの生涯を取扱うはずの作品でした(年譜によれば、亡くなる前年に、手塚さんはベートーヴェンの生家を見学しています)。名作「火の鳥」は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽に刺激を受けつつ書き続けられた、しかしながら結果的にストラヴィンスキーの音楽を超えた深い内容を持つ壮大な物語展開となって行った、文字通り手塚さんの魂を削り続けたものでした・・・これも未完ではありますが、「意図的な」未完だったことは、かなり長い期間にわたって多くの分量が書き上げられていることからも分かります。・・・ただ、「火の鳥」に関しては、劇として上演されたり映画にもなったり、オペラにも仕立てられたりしています。

「もう<漫画は軽い>とは言わせない」という気概は、トキワ荘出の漫画家たちすべてに言える精神の姿勢だったと思いますが、中でも手塚さんの作品ほど多岐にわたるものを残した方はいらっしゃらず、こればかりは今後も手塚さんを超える存在が現れるまでには相当の時間を有するものと思われます。

Tezukapiano「ピアノを弾く女性」の、ちょっと手塚さんのものとは判別しにくい絵(テレビの『悟空の大冒険』【1967】では滑稽な脇役キャラにはこの画法がよく用いられていましたけれど)は、1962(昭和37年)のアニメーション『ある街角の物語』用のキャラクター設定画で、このアニメの一部は今回の展示会で上映されています。音楽の平和が、戯画化されたヒトラーの無限量の似姿に蹂躙されて行くという部分でした。のちの『アドルフに告ぐ』に繋がるなにものかを持ったものだったのでしょう。いずれ全編を見て見たいな、と思います。

手塚さんの未完作で、私にとって最も惜しまれるのは「ネオ・ファウスト」でした。
これは、完成したら、ゲーテの原作を別の手法で、全く新鮮に、ゲーテ以上に「現実に即したものとして」私たちの前に呈示してくれるもの、と期待をしていたからです。
ですが、享年60歳、胃癌に冒された手塚さんは、
「頼むから仕事をさせてくれ」
を最後の言葉に、ファウストよりも「現実の生を直視したままの場所から」魂を清らかな世界に運ばれて行ってしまいました。

「ファウスト」は、大作にも関わらず、同時代人を超えて享受されてきている希有な文学作品ですけれど、多くの作曲家たちもまた、ゲーテの書き表し得たものを自分たちもなんとか、音という手段で描けるのではないか、と企み続ける野心を刺激された作品でもありました。

有名な例では、ベルリオーズ「ファウストの劫罰」、グノーの歌劇「ファウスト」(この歌劇中のバレエ音楽は一昔前は日本のアマチュアオーケストラにも頻繁に採り上げられていましたが、最近の人は旋律表現がヘタになって来たうえに大作主義に走り過ぎている気がしますし、そうしたことの影響からグノー作品が耳にできるチャンスが減ったことは大変遺憾に思います)、リストの「ファウスト交響曲」があります。ベートーヴェンにとっても「ファウスト」は非常に魅力的だったらしく、「ファウスト」に関連する音楽を創りたいとの構想があったことが分かっていますけれど、とうとう作ることができませんでした。

リヒャルト・ヴァーグナーは、一連の楽劇を創作するようになる以前に、「ファウスト」序曲、という単独作品を作っています。これはお聴き頂いておきましょうか。

ファウスト
Alexander Rahbari "Wagner Overtures" NAXOS

ファウストそのものの楽劇化はしませんでしたが、ヴァーグナーの一連の楽劇は、「ファウスト」の精神を彼なりに敷衍しようとの試みだったのではないか、という気がしてなりません。

それでも、何度読んでも、ゲーテ自身が描いた終結部そのものをも、あるいはその質の高い模造品でさえも、ゲーテの頭の中、思いの深さを完全に知ることができない限りは、やはり作り得ないのかも知れない。

手塚さんがもう少しいのちを持つ事を許されていたなら、もしかしたら、私たちにはゲーテの体感を知り得る二度目のチャンスを得ることができていたのかも知れない。

ですが・・・そういうことを知り得る人、というのは、
「いや、あんまり沢山の人間に知らせちゃいけないんだよ」
と、神様がさっさとつれて行ってしまうのかもしれません。

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