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2009年4月22日 (水)

モーツァルト:レシタティーヴォとアリア(シェーナ) K.316およびK.368

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。



ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。

2作とも、ソプラノ歌手のための作品であり、しかも高い技巧を歌手に要求している点で、同傾向の音楽となっています。


「テッサーリアの民よ/不滅の神々よ、私は求めはしない」K.316
(グルック「アルチェステ」第1幕第2場用、ラニエリ・デ=カルザビーギによるテキスト)


アロイジアのために書かれた作品ですが、パリからザルツブルクへの帰途、ささげる相手のいるミュンヘンまで未完のまま携えられた作品です。

この作品を渡す前のクリスマスの日、モーツァルトはアロイジアにフラれました。

冒頭の悲痛な響きは、しかし、アロイジアへの失恋で添えられたもの、と考えてはいけないのでしょうね。

全体が、悲劇の中のクライマックスとでも言うべき部分の言葉につけられた音楽であり、モーツァルトの意図は、単独のアリアとしての作曲ではなく、オペラの中の非常に難易度の高い一場面を想定しておくところにあった、と思われます。

アコンパニャート(管弦楽による伴奏付き)のレシタティーヴォ部には、この音楽のドラマ性が、もっともよく集約されています。前人には見られないほどの複雑な転調が、この歌の役どころの担った悲劇を見事に象徴している、と見るべきでしょう。

続くアリアが非常に歌謡的であるのも特徴的で、高い音域を中心に書かれてさえいなければ、単独の歌曲として流布しても不思議ではなかった明快さを持っています。もっている雰囲気は、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の有名な中間楽章(ハ短調)と双生児であるかのようです。

テンポを速めた主部は、歌い手が、持てる技巧を最大限に発揮できるように、ソロパートは高い中にもさらに高みへと駆け上るストレートな斜線などを用いた、名人芸的な書法で、緻密に構築されています。

1月8日の完成日付が明確になっていますが、これはアロイジアへの失恋から2週間あとのものです。

・アロイジアに失恋するまで、どれだけ書きあがっていたのか。

・アロイジアに失恋した後、放置された期間があったのかなかったのか。

・放置された期間があったのだとしたら、その後、どれくらいのスピードで書き上げられたものか。

こうしたことは、自筆譜を専門にご研究のかたでないと、ヒントさえ得られないことでしょう。

ただ、アロイジアのために、ということが強調されすぎてしまうと、

「じゃあ、失恋した時点で、なぜ放棄されなかったのか」

という疑問がくっついてきてしまいます。

モーツァルトの「心理状況」を、この作品の上に見ることは、ですから、あまり妥当とは言えないのかも知れません。

ただ、アロイジアのため、という看板をモーツァルトが放棄しなかったことを鑑みるとき、アリア前半の<歌曲のような>部分には、最終部の技巧的な部分も含めて、

「いとしい人に歌ってもらうことこそ望ましい」

と、なかなか諦めに至らずにいるモーツァルトの、まだ二十三歳を迎えようとしている純な感情が、美しい旋律の中に夢のように回想されているのではないか、と感じられてなりません。

もうひとつ、破棄されなかった理由について想像をたくましくするならば、この劇的なレシタティーヴォとアリアは、「オペラを作りたい、僕にはその力がある」とのデモンストレーションも意図されていたに違いない気もし、ザルツブルクでは結局、大司教から年上の作曲家たちにばかりチャンスが与えられ、モーツァルトには新作発表の余地がなかったことで不満を高めていく、というドラマの冒頭部を飾るのにふさわしい完成度の高さも持っているのでして、自らの失恋を表看板に宣伝を有利に運びたい、と考える彼のしたたかささえ垣間見るようです。

このアリアの題材や作風は、そのまま「イドメネオ」に繋がっていく、と見てもよろしかろうと思います。


「だが、おお、星々よ/岸辺は近いと望んでいた」K.368
(メタスタジオのテキスト「デモフォーンテ」第1幕第4場)

従来1781年作とされており、手持ちの伝記でもそのままの記載なのですが、西川著に納められた作品表上では、コンラート説としてこの年(1779年)から翌年に書かれていることになっており、西川氏もこれ以外の年を記していませんので、賛同しているものかと思います。

長調作品ですが、歌手に要求する技巧など、全体の持つ雰囲気は、K.316に極めて似ていると思います。そうすると、伝記に説明されているところとは作曲の経緯が違っていることになり、これについては不明、という以上のことは、私には言えません。

構造としてはK.316より複雑化していますが、基本枠はダ・カーポアリアに回帰しているため、どrちらかというとK.316より古風な印象を受けます。

レシタティーヴォの後に柔らかな第1主部、活発な第2主部が続き、ふたたびレシタティーヴォに回帰して第1主部の再現に至りますが、最初の登場時もすでに高音域までの飛翔をみせていた高難度の第2主部は、再現時にはさらに難度を増し、上昇音型中にではなく、いきなりオクターヴ跳躍でf'''を歌わせるというアクロバットを演じているところには度肝を抜かれます。

コンサートアリアの録音類は入手が容易なほうではありませんので、それぞれこの場でお聴きいただきたいところですが、いずれも演奏時間が長い作品でもありますので、涙をのみます。

いちばん手に入れやすいのは、グルヴェローヴァが歌っているものかと思います。こういう技巧的なアリアは彼女の得意とするところだからです。アーノンクー伴奏盤(聴いていませんが)があり、フィリップスの全集盤ではザルツブルクモーツァルテウムと共演しています。

スコアはNMA第10分冊収録。


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