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2009年4月30日 (木)

「J.S.バッハ」は現代浪漫派である(2)

さて、昨日(というより今日の早朝)の続きです。
まずは、あまり「へりくつ」をこねずに、音を聞いて頂きましょう。

無伴奏ヴァイオリンのパルティータ第2番から、シャコンヌの冒頭部分です。


ヒラリー・ハーン(1996-97録音) SONY SICC 1049

「バッハは私にとって特別なもの」
と常々語っているヒラリーならではの、素晴らしい演奏です。音のひとつひとつに神経を研ぎすませている。
確かな技術がなければもちろん、ですが、音楽に対する愛情が深くなければ、絶対に実現できない響きを構築しています。私のいちばん好きな演奏でもあります。

ここで、全く別のアプローチをした演奏をお聴き頂きます。


シギスヴァルト・クイケン(1981録音) deutsche harmonia mundi BVCD-38080

ハーンの演奏に比べて、まずかなりピッチが低いのが分かります。音色もだいぶ違います。
これは、考証の問題もありますが(J.S.バッハが無伴奏ヴァイオリンのための6作を作曲したケーテンの宮廷では、Aが392Hz程度の「フランスピッチ」だったことが分かっています)、使用楽器そのものがバロック当時の状態の、補強をされていないヴァイオリンであることにより、最も響きのいいピッチ自体が低くなることにもよります。(訂正と補足:バロックヴァイオリンの専門のかたによりますと、ピッチが低くなることとヴァイオリン自体への圧力のかかりかたは関係がないそうで、これは私の認識不足です。前にピッチのことを採り上げた記事でも、当時かなりのハイピッチをもって演奏がなされた記録もありますし、そこまで視野に入れるべきでした。これはガット弦の太さによって調整する旨、ご指摘を受けましたが、想い出してみれば、ガンバを弾く恩師にもその話をされていて、なさけないことに全く失念をしておりました。この点は誤解のないようにお願いいたします。)
また、使用している弦が昔ながらのガットであることから音質が違います。これは、鈴木秀美さんの言によると

「同じ楽器にガットとスチールを張って比較してみると、まずガットはざらっとした手触りで、音に雑音が多く含まれている。湿度その他の条件によっては指の滑りが悪く、左手の移動がしにくいし、音がひっくり返ることもある。対してスチールは音も手触りも大変滑らかで、発音がきつ過ぎたり音がひっくり返ってしまったりすることが少ない。またガットは張力が弱く(注:この点につきましては上記注をも参照下さい。この箇所以下、引用した最後の部分まで、鈴木氏がどのような認識からこの記述をしたのかは、鈴木氏の他著作なども参照しなければならないかもしれませんが、あいにく目を通しておりません)、弦の撓(たわ)みを両手に感じられる程なので、弓の圧力や速さ・左手の押え方などで音程が変わり易いが、スチールは張力が強いのでそういうことが少ないし、より強い弓の圧力をもって奏することが出来る。」(「『古楽器』よ、さらば!」156頁、音楽之友社 2000)

クイケンの演奏は、まさにそのような音がしているのが分かります。

もうひとつ、ヒラリー・ハーンと比較した時にクイケンの演奏に感じられるのは、「チャコーナ=シャコンヌ」の舞曲としての性質を前面に出して弾いているという、その姿勢です。
クヴァンツの記述を引くならば、
「・・・3/4によるルール、サラバンド、クラント、シャコンヌにおいて付点4分音符の後にくる8分音符は、その本来の音価ではなく、非常に速く鋭く演奏しなさい。付点音符にはアタックをつけて、付点のところで出たシェしなさい。(中略)アントレ、ルール、クラントは壮麗に奏され、弓は----付点音符であれ、また普通の音符であれ----各4分音符のところで離される。(中略)シャコンヌも同様に壮麗に奏される。この場合は2つの4分音符に1脈拍がくる。」(荒川恒子訳書272頁、全音楽譜出版社 1976)
とありますが、速さはクヴァンツの記述よりややおそめではあるとはいえ(実際に脈をとってみて下さい)、クイケンがクヴァンツの述べているところと同じような奏法論(クヴァンツではないものもあるのかも知れませんが、私は未見です)に則って演奏を行なっていることが明らかです。

もう一例、パルティータ3番のメヌエットでも、二人の演奏を比べてみましょう。


ヒラリー・ハーン(メヌエットⅠのみ)


シギスヴァルト・クイケン

クイケンの弾き方は、彼の弟子になった寺神戸亮氏も引き継いでいます。(ただし、録音で聴くことの出来る演奏は、やや誇張し過ぎではないかと感じております。氏によれば、録音は演奏が固定される難点があるとのことですから、CDの演奏をもって彼の全てを評価はしないことにします。ちなみに、寺神戸さんは、以前、東京都北区王子の「ほくとぴあ」で、モンテヴェルディ「オルフェオ」の見事な弾き振りをなさいまして、それは大変感激的でした。)

以上、私たちの耳には、これまでは通常、ハーン的な演奏の方が耳に馴染んでいました。
この無伴奏のヴァイオリン曲集を日本に広く知らしめたシゲティも、先駆者のひとりです。
ですが、こうした演奏は、「J.S.バッハ」のこの作品が持つ「ゴシック様式の教会のような」建築物の設計を精緻になぞることに意を注いできたものだ、と言っても良いのでしょう。・・・「現代浪漫派」とは、演奏に対するこのような言葉に当てはめたくて無理やり考えた言葉なのですが、しっくりいくかどうかは読んで下さるかたにご判断を委ねたいと存じます。

歴史的研究が進展するにつれ、音の設計の面だけではなく、音楽としての様式がどうあるべきか、ということにも着目されるようになり、シャコンヌやメヌエットが本来は舞曲である、という点に光を当てよう、という試みが、まずクイケンによってなされたことは、非常に意義深いと思います。
それは、使用する道具やピッチからみて「歴史主義」であるかのようにもみえるのですが、昨日引いた小林義武氏の言葉にもある通り、18世紀前半そのものの演奏を再現するなどということは不可能事であることを考えますと、そんな「主義」への拘泥なのでは決してなく、
「生きたバッハに、少しでも出会いたい」
との「現在の希求」が、シゲティからハーンに至った流れに対するもうひとつ別の流れとして湧き出て来たものだと捉えるべきなのではなかろうか、と思っております。
ですから、クイケンの例をもってして、あるいは「古楽」と呼ばれるものをもってして、古いものへの回帰を単純に目指しているという評価をするべきではなく、「ルネサンス」が古典古代への回帰を伴いながらも文字通り「再生」であったのと同様、いま、西欧音楽受容に際して、新たなフェーズとしての「再生」が試み始められている、と言ってしまっても過言ではないのだ、と、私は考えていきたく思います。
(脱線するならば、現代の作曲家たち・・・故人やベテランではクセナキス、ペルトといったあたりも、同様な意味での「再生」を試みているのではないかと感じるのですが、このことはまた別途、見直す機会を持つべきでしょう。)

なお、バロックのヴァイオリンを用いて演奏する人たちでも、いまなお、決してクイケンの流儀が徹底しているわけではなく、むしろハーンが引き継いでいるのと同じような演奏をしている人たちも少なくないことを付言しておきます。

※ 右近大二郎氏が翻訳なさった、バッハ「シャコンヌ」についてのエッセイもお読み下さい。


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コメント

驚きました。つい昨日、シャコンヌの解釈についての論文(英語)を訳し終えたところです。
ちかじかアップする予定です。内容的には

>>「チャコーナ=シャコンヌ」の舞曲としての性質を前面に出して弾いているという、その姿勢です。

ここに引っかかります。


投稿: 右近 | 2009年5月 1日 (金) 01時29分

右近さま

お気にかけて頂けて幸せです。
私のは素人談義ゆえ、いっぱい引っかかって頂いて結構です! (^^)

舞曲としてのシャコンヌ(あるいはメヌエットも)は、いわゆるモダンの演奏では耳にできないかと思いますので、「古楽」(この呼び方は好きではないのですが仕方ないですね)系の演奏で聴くしかないのでしょうね。
日本語書籍としては「バロック音楽はなぜ癒すのか」(竹下節子 音楽之友社 2003 ISBN4-276-21004-6)、またとりわけシャコンヌに特化した話をお読みになるなら「栄華のバロックダンス」(浜中康子 出版社同じ 2001 ISBN4-276-25080-3)にもお目通し頂ければ幸いです。そのうえで、寺神戸氏がCDでご自身でなさっているコメントも参照頂くようでしたらありがたく存じます。

また、本記事を記すにあたりましては、私はシャコンヌなどはとても弾けないのですが、ヴァイオリンそのものを弾くにあたっての実感ももとになっています。(ご存知のように、ヴァイオリンはダンス教師の楽器でもありましたが、自分たちが弾くと、「え? そうだったの?」という弾き方しか出来ず、ジレンマでした。このジレンマについてはバロックヴァイオリンの専門の人の言葉から最近また同様の感情を新たにしていたところです。)

また併せて、バッハ作品の場合は、有名例でいけば、ブラームスの第4交響曲終楽章のパッサカリア、そしてなおいっそう、ショスタコーヴィチの第8交響曲のシャコンヌ(パッサカリア、でしたでしょうか)と同列には扱えず、むしろ、ヘンデルのサラバンドあたりと同列に見て行かなければならないということもあろうかと思います。

いずれにせよ、ご翻訳になった論文、ご発表の後でも拝見させて頂ければありがたく存じます。
そちらに、右近さんからの大きいヒントが隠れているのではないかと思うと、ワクワクします!

ありがとうございました。

投稿: ken | 2009年5月 1日 (金) 07時22分

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