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2009年4月24日 (金)

C.Brown 第1章:理論上のアクセント(拍節)

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。



Introduction ・ 1(今回)

C.Brown "CLASSICAL & ROMANTIC PERFORMING PRACTICE 1750-1900" の第1章は、ある意味では私達にとって自明でありながら、突っ込むほど難題となっていく問題について採り上げており、本書の幕開けとしてふさわしいものとなっています。
詳細は本文をご参照になって頂くこととして(私の要約は多分に「読んで得たイメージ」に依存しており、誤謬を含んでいることが前提ですから)、その私のイメージなりに本章をまとめますと、以下の通りです。

すなわち、「拍子」とアクセントの関係について、まず一般的に言われているところの確認から始まっていて、かいつまんで言ってしまえば、

・四拍子は「強・弱・中強・弱」
・三拍子は「強・弱・弱」

と古典派期の理論上も基本的にはみなされていたことの確認が入り口になっています。

ところが、まず、三拍子は「強・弱・強」でもある、という、基本則への付加事項があります。
本文には明記されていませんが、このことは、おそらく、三拍子のリズムというのが舞曲的であり、同じ三拍子でも、ダンスの性質によっては3拍目のウェイト付けが異なることに由来したのであろうと、私は想像しております。
たとえばメヌエット(ゆっくりのものと速いものの区別があったのかどうかはバロックまで遡っての観察が必要であり、ベートーヴェンならずともメンデルスゾーンに非常に速い・・・一小節3拍分を1拍と見なすべき作例があります)ならば、「強・弱・弱」、ポロネーズもそうであるかと思いますが、ワルツや、その先祖であるレントラーは、おそらくステップ上は3拍目はメヌエットよりも早めに足を地面から上げて次の準備に入ったかと思いますから、当然拍目に翌小節1拍目に向けてのストレス(あるいはウェイト)がかかっていく・・・次のステップに向けて体重をかけていく・・・のですから、「強・弱・強」という表現は大袈裟に過ぎるきらいはあるかとの印象も受けるものの、理解できないパターンではありません。更に言えば、メヌエットと称するものにもこの手の拍節的抑揚をもつものがあると思っております。

さらに、ブラウンが次から次に挙げる例では、しかしながら、アクセントは拍子にだけ依存するものではないことが、どんどん明らかにされていきます。

要素はいろいろなことにわたりますが、おおむね、

・音の進行によるアクセントの移動
   1)跳躍によって規定されるアクセントの移動(譜例)

・フレージングによって規定されるアクセントの移動
   2)旋律(あるいは歌いまわし)によって規定されるアクセントの移動(譜例)
   3)和声によって規定されるアクセントの移動(譜例)

があるという点については、ブラウンが扱っている期間の音楽理論家たちのあいだでも是認されていたことが、私達にも知名度が高い人でいうと、クヴァンツ、レオポルト・モーツァルト、テュルク、フンメルらによっても記述されたり例示されたりしていることが述べられ、ブラウンはそれらを記すことによって、あらためて私達に対して注意を呼びかけているかのように見えます。

「理論」として例示されたものはフンメルのものからの引用が網羅的にありますが、他の資料を参照しやすくするために、ブラウンが引いているものから掲載しますと、以下のようになります。

1)については、L.モーツァルト「ヴァイオリン奏法」からの譜例
Lmozartviolinscule

2)については、ロッシーニ作品からの譜例
Rossinibiancaefallero


3)については、W.A.モーツァルトのプラハ交響曲K.504(緩徐楽章)からの譜例
Prague2
  3小節目は全小節のシンコペーションを受けて第2拍にウェイトがあり
  (但し「強」とはならない)、
  低音の動きからから、4拍目にもっともウェイトが置かれていることも分かります。

以上のように、「理論」といえども実作例無しには成立しえず、したがって「理論」というものはあくまでも、現実世界の抽象であることが、本章によって強調されているのだといえるかと思います。
このイメージを裏付けるかのようにブラウンが章末近くで引いているシュルツの記述は、必読かと思いますが、いとまがありませんので翻訳はいたしません。ご容赦下さい(機会があれば、この記事の末尾にでも追加記載したいとは考えております)。

ブラウンが本章で注意を促している、とくに「拍子」の基本原則からハズれるアクセント(拍節)の移動については、実際の演奏上、客観的になされることが少なく、まずは「演奏に当たって楽譜を読み解く場合の事前の心がけ」として重要なポイントとなろうかと思われます。
つまりは、「拍子記号」だけで演奏におけるアクセントのすべてが決まるわけではないものの、「拍子」からの逸脱は、少なくとも理論に抽象されたところでは、一定のルールに基づいてなされるのだということが確認できるのであり、私達は、まずそこを読譜のスタートポイントとして、客観的に読むことから始めなければならないのですね。
それには、最低でも、言語におけるのと同じように、音楽におけるフレーズというものを正しく読み取る、教科書には載っていない「文法」を身に付ける必要があり、ブラウンの以後の章のうちには、その「文法」を構築するために必要な資料およびその分析が、演奏技法と共に数多くちりばめられていくことになります。(本章でも、片鱗ではありますが、音楽の言語とアクセントとの例示もあり、さらには本文に引用された諸家の主張の中にも、言語のアクセント【抑揚・・・イントネーション、というよりはストレス的な意味合いでの】と音楽のアクセントの関係に対する言及がみられます。)

別の目で見れば、現代の初等音楽教育に繋がる「拍子」の感覚がいかに19世紀的な産物(より正しくは18世紀後半以降のものです)であるか、が、ブラウンの網羅するところから明瞭に浮かび上がってくるのでして、ブラウンの触れていない、もっと長いスパンでの過去に遡れば、「拍子」とは実に近代的な「現象」である・・・明確に「拍子」というものが耳で聞き取れる音楽は、バロックも中期に至って初めて、ようやく蔓延していますから・・・、そういうことも視野に飛び込んでくるわけです。

作例が今の私達にも読みやすい譜表に直されているもので、拍子が厳密に4分の4拍子とか2分の2拍子とかで一貫して作曲されているものにお目にかかれるのは、ほぼ18世紀に入ってからのものだ、しかもその最初の方でもなお、前の時代を引きずって、拍子の区切りと音楽シラブルの区切りがズレているのが普通である(セバスチャン・バッハやヘンデルの世代までそれはごく当たり前に見られます)ということは、ブラウン著にはありませんけれど、私達はとくに「拍節のズレ」を考えるための自由なアタマを持つためには、常に念頭に置かなければならないのでしょう。

次章で、ブラウンはこの「拍節」問題について、当時の実践面をさらに突っ込んで探っていきます。
(つづく・・・かなぁ。)


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コメント

はじめまして、

このBrownの大著を要約・翻訳されるのですか?
素晴らしいです。
自分もこの本にはお世話になっています。
この本がすこしでも日本人に読まれるようになると良いですね。
頑張ってください。

投稿: 右近 | 2009年4月25日 (土) 03時25分

右近さま

目に留めて頂いてありがとうございます。心の支えになります。

訳す・約すなどというには知識も英語力もかなり不足しております。
間違いもたくさんおかすかと思われます。

ただ、仰る通り、日本でひとりでも多くのかたがこの本を知って下さるようにと思う一心から綴っております。
資料を網羅した貴重な本でもありながら、まだまだ認知度が低いですから。

アドヴァイス、宜しくお願い申し上げます。

投稿: ken | 2009年4月25日 (土) 08時17分

私に出来る事はお手伝いさせていただきます。
お気軽に連絡をください。
宜しく御願い致します。

投稿: 右近 | 2009年4月25日 (土) 11時18分

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