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2009年4月17日 (金)

ハイドン伝(ガイリンガーによる):1(1732-1740)

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。


0・1(今回)


ガイリンガーの第1章は、ハイドンの幼年期を扱っています。

ハイドンはオーストリア東部、ウィーンの南東にあるローラウという村(現在は町)で、1732年3月31日に生まれました(4月1日受洗。誕生日には3月30日説もあるが、ハイドン自身は31日であると語っていた由)。
ここで、ハープが好きな父の伴奏で、宵は父母と共に暖炉の傍で、きれいな声で歌うのが大好きだった、と伝えられています。
ゼッペルル(ゼッパール)と愛称で呼ばれた幼いハイドンは、棒切れをふたつ手にとり、一方をヴァイオリンそのものに、もう一方を弓に見立てて、弾きマネをしてみせたそうです。それを見た村の大人たちは、賢いゼッペルルが将来肉体労働者ではなく頭脳労働者となるだろうことを予見し、父母もまた、彼が自分たちより高い社会的地位を得るようになると考えたようです。ただ、そのためにはローラウはあまりに貧弱な地でした。そこで、両親はローラウの北方、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァに隣接するハインブルクの姻戚、ヨーハン・マティアス・フランクにゼッパールを委ねることを決意します。このとき、ゼッパールはまだ6歳になる前でした。彼が時々ホームシックになったらしいと伝えられているのも、無理のないことでしょう。

ハインブルクは、アルプスの麓、ドナウの岸辺に位置する風光明媚な土地だとのことです。1826年にヤコブ・アルトという人物が作成した風景画で、それに接することができます。ここはローラウよりさらにウィーンにほど近い場所です。ローマ時代の遺跡もある古い町で、遺物の中には古代ローマ皇帝セプティムス・セヴェルス(最初の軍人皇帝)の凱旋門もあるそうです。
フランクはハインブルクの初等学校(教会と関連が深かったようです)で、かなり忙しく働いていた人物のようで、80人もの子供達を相手に、二人のアシスタントを使って読み書きそろばんや歌唱、お祈りを教えていました。その八面六臂な活動ぶりが、ゼッペルルにとっては益するところが多かったようです。6歳を過ぎたばかりの頃に、ゼッペルルことヨーゼフ・ハイドンは、ヴァイオリンやクラヴィア(クラヴィコードだったでしょうか?)を演奏することが出来るようになっていました。

彼の養父となったフランクは町の公的な楽隊を指導する立場でもあったようで、あるとき、打楽器奏者が急死してしまって困ったときのエピソードが伝えられています。
ガイリンガーは、ハイドンと強い結びつきのあった画家ディースの記述に従い、そのエピソードを紹介しています。

打楽器奏者の代理を勤めたのは、幼いゼッペルルでした。フランクが彼の才能に賭けたのでした。
ゼッペルルは、バスケットを布で覆ったものをティンパニ(小型のものでしょう)に見立てて練習し、数日のうちにその奏法をマスターしてしまったとのことです。数日後の祭典で、ゼッペルルは楽隊の他のメンバーといっしょに、首から下げたティンパニを得意げに叩いて行進したということです。

そんなゼッペルルの才能を、ウィーンから来たロイターが認め、最終的には彼を連れて行くことになったのでした。
少年は、オーストリアの帝都ウィーンの中枢、シュテファン寺院の少年合唱団員となったわけです。

この間のより詳しい記述は、ご興味に応じ、ガイリンガーの原書によって頂ければと存じます。


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