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2009年3月29日 (日)

回復する力


心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」
http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

   花びらごとに その色の 花が輝く
   (ネットのご友人が見つけて来た、とあるお寺さんに飾ってあった言葉)


私たちのアマチュア演奏で恐縮ですが、浅田選手の今日の健闘を讃えて鳴らさせて頂きます。
・<仮面舞踏会>より「ワルツ」(ハチャトゥリアン)
<仮面舞踏会>より「ワルツ」

世界フィギュア、安藤選手の演技は残念ながら目に出来ませんでした。
浅田真央選手は惜しくもメダルを逸しましたが、こちらは子供達と夕食をとっていた店のテレビで見ることができました。
素晴らしいな、と思ったのは、一度転倒した後の演技が、それまで緊張で少し縮んで見えた彼女の体を自由自在にし、巨大に見せた、ということでした。
私の尊敬するブロガーのお一人が、常々「回復力(正確には<復元力>)」という言葉をお使いになるのですが、今日の浅田選手にはふさわしい言葉です。
「回復力」というのは、肉体を縛る<なにものか>から自分を再生させるだけでなく、より自由に解き放つものだ、ということが、手にとるように分かりました。
コーチ(荒川選手や安藤選手もお世話になったロシアの方でしたね)が
「表現力をつけるために、使用曲の<仮面舞踏会>のストーリーも浅田選手に理解させたい」
と事前に仰っていましたが、その目標は充分に達せられていたと思います。



200903291455000昼は昼で、買い物に出た先で、大道芸の芸人さんたちが楽しい演技を披露していました。
こちらも時間の関係でおひとかたしか拝見しなかったのですが、一発勝負だけに失敗が許されない。しかも、審査員によって得点が付けられる大会とは違い、それに備えるためのコーチがいるわけでもなく、コーチを雇うお金を出してくれるスポンサーがいるわけでもなく、小道具から訓練まで、全部自分ないし自分たちで準備しているのです。が・・・そんなことはおくびにも出せない。芸人さんの目的はただ一つ、お客様が評価し、対価を払ってくれること。それで日々の糧を得ることなのです。
手伝いに客席から引っ張り上げた男の子に
「ボウズも、オジサンの年になったら、苦しみが分かるよ」
と言って笑いをとっていました。
これは、働く大人みんなの実感なのですね。
寒い中屋外に設けられながら満席だったお客さんたちの笑いは、共感の笑いでもありました。

凄いなあ、と思ったのは、お笑いの要素も巧みに取り入れながら、火を飲む・変わったジャグリングをする(三個のリンゴをお手玉しながら、顔の前に飛んできた1個にガブリとかじりつく!・・・そのリンゴは何事もなかったかのようにまた宙を舞い続ける)・ちょっとした手品を取り入れる、と、入れ替えたち変えの性質の違う芸を、自分ひとりで作っただろうストーリーに乗せて連続披露する密度の濃さです。

で、許されない、とは言っても、途中でやっぱり細かいミスはするのです。
それを巧みな話術でカヴァーしながら、失敗の価値を「笑い」に転化することにより、続いて行なう演技での成功をより大きく見せる・・・そこには、「集中する人」が持つ「回復力」の素晴らしい価値を充分以上に感じさせてくれる強さがあり、だからこそ見ている人のほうもやんやの喝采をし、自分たちも「回復力」の分け前にあずかり、喜んで対価を支払うのです。



「おけいこごと」として楽器を習う・教える世界は、「群れ」になると、ひとりで冷静に考えれば<おや、ちょっと違うんじゃないの?>と考えるであろう不思議なことが平然とまかり通ります。
たとえば、ピアノでもヴァイオリンでもなんでも、ですけれど、
「小さい頃から、指に筋力を付けさせなければならない」
ということが、今でもまことしやかに言われているのには、ちょっと肝の冷える思いがします。
集団になると、『金沢城のヒキガエル』にも出てくる通り、どうも<思索が停止する>状態に陥って、それを不思議とも何とも思わない状況が生まれるようですね。・・・シューマンが指を壊した教訓が、それから200年近く経とうとする21世紀の現在でも、何も活きていないのは、実に奇妙なことです。
そういう中で早くから楽器を「教えられた」子供達は、「筋力を付ける」ことにならされてしまったことで、後々苦しむことになります。
それは、ヴァイオリンについて言えば
ハヴァシュ「あがりを克服する」(音楽之友社)
ピアノで言えばそのレッスンの19世紀史を追いかけた
岡田暁生「ピアニストになりたい」(春秋社)
で、既に矯正の苦しさが暗示的に示されていることです。
筋力のない人でも、自然の理にかなった、無駄な力がいらない演奏が出来るからこそ、ほとんどの楽器は、それらのメカニズムが出来上がったときの原理を残したまま、ただ合理性を高めるための機構を付加されただけでこんにちでも生きながらえているのに、そこへまた不要な力を加えることで、どれだけ「鳴り」が妨げられるか、ということには無自覚なまま、まるで100メートル走を他の人より0.01秒速く走れるヴィルトォーゾ(この言葉の本来の意味は「超技巧所有者」的なものではなく、むしろ<理に通じた人>を指していたのです)を育成することにしか目が向いていない。
脱落者を大勢出すであろう、そうした「教育方針」が、もう200年も改まっていないことには、人間が延々と「弱肉強食」というダーウィンの進化論的発想から逃れ得ないで滅びに向かって行く匂いさえ感じざるを得ません。


縁あって、つい先日ベルリンフィルのコンサートマスターをお辞めになった安永徹さんが、ずっと以前に「音楽の友」誌で村上陽一郎氏と対談なさった記事を拝読させて頂けるという幸運に巡り会えました。
その最初の回の最初の大見出しが
「『人』が人間となる時」
というものなのですけれど、ここでの村上さんの発言
「人だけでは人間になれないわけで、まわりの人との間の中で初めて人は人間となれる」
は、私が就職前に父に言われた言葉と全く変わりがなく、感銘を受けました。
ただし、これは
「群れることで人は人間となる」
というのとは全く意味合いを異にしているのは、言わずもがなでしょう。
この対談については、また詳しく触れる機会を持ちたいと思いますが、この村上氏の発言の訴えたいことは、今回ご紹介した浅田選手や、大道芸人さん、ひいては私たち一人一人が
「まず自らが思索する・・・その結果を世に問う・・・世間の共感をまた自らの糧とする」
という主体的な存在であるための、ビジネス社会では言い古された言葉ですが
「プラン--->ドゥ--->シー(またはウォッチ)--->チェック」
の反復の「自由」を手にして初めて人は他者との関係において個を確立し得る、という強い意味をもったものです。
そのことを肝に銘じて、あしたも生きて行きたいものだ、と思っております。
ウルトラマンガイアのセリフではありませんが、
「ボクたちは滅びたりなんかしない!」

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sergejOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

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コメント

Kenさん、こんにちは。

>「人だけでは人間になれないわけで、まわりの人との間の中で初めて人は人間となれる」

ということを、とことん突き詰めたのが、倫理学者和辻哲郎先生の

人間の学としての倫理学 (岩波文庫)

http://mooo.jp/465d

http://qrl.jp/?294444

でリンク飛ばないかな?駄目だったら書名で検索すれば一発でAmazonが見つかります。

と、その後書かれた、主著「倫理学」だと思います。

「人間の学としての倫理学」 は「じんかんのがくとしての・・・・」と読むのが正しいそうです。

うちの親父が和辻先生から直接習ったので、間違い無いと思います。

西洋哲学史から説明しているから回りくどいけど、結局、非常に分かり易くすると、村上先生の言葉に

なるのだろうと思います。外してるかもしれない。最近、比較的本屋でよく見かけるので、眺めて見て下さい。

Kenさんのような思索的な方には大変興味深いのではないか、と思いました。ご参考まで。

投稿: JIRO | 2009年3月30日 (月) 19時38分

JIROさん

すみません、まだ検索をかけていないのですけれど、これ、とても懐かしい本です。
記憶違いでなければ、前は岩波全書で出ていませんでしたでしょうか?(あやしいなあ・・・)

意味も分からずに、高校時代にへばりつくようにして読みました。
いま、また是非読み直してみたいと思います。

それにしても。お父様が和辻先生に直接習った、というのはうらやましい限りです。

ありがとうございました!

(リンクは、読んで下さる皆さんが活かせるように編集しますね!)

投稿: ken | 2009年3月30日 (月) 22時17分

Kenさん、流石!

そうです。「人間の学としての倫理学」。以前は岩波全書で1800円でしたが、一昨年文庫になったそうです。

私ももう一度読もうと思います。

リンクの件、お手間を取らせて済みません。

投稿: JIRO | 2009年3月30日 (月) 22時40分

いえいえ、このくらいしか出来ませんから!

投稿: ken | 2009年3月30日 (月) 22時50分

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