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2009年3月16日 (月)

モーツァルト:「パリ」交響曲 (K.297【300a】)

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http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。


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齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。


ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


追記:この記事、私の不見識が多分に含まれております。この記事を単独でお読み頂ければ読めますが、Bunchouさんに頂いたコメントへのお返事にリンクを貼ったHPに貴重な情報が掲載しておりますので、私のほうの「誤り」はそれで是正して頂ければと存じます。・・・この記事は、こうしてみっともなく晒しものにしておくほうが、とりあえず生半可な修正を行なうよりは良かろうと思います。


母の死を告げる父への手紙で、自分の悲しみから精一杯に目を逸らし、父を力づけるためにも元気なところを見せてやろう、と、ヴォルフガングが「悲しみの場面」から見事な転換を見せて綴っている有名な文章は、交響曲第31番「パリ」について述べたものです。

海老澤訳(伝記中のもの)から、少し抜粋しておきましょう。

「・・・交響曲が始まりました。・・・そしてちょうど第1楽章の真中辺に、気に入られるにちがいないと分かっているパッセージがありましたが、すべての聴衆がそれで心を奪われたのでした。----実際、大変な大喝采でした----これを書いていた時、それがどんな効果をもたらすかはぼくには分かっていたので、最後にもう一度それを持ち出しました。そこでダ・カーポでした。アンダンテも受けましたが、特に最後のアレグロがそうでした。----当地でのアレグロはすべて、第Ⅰ楽章のように全部の楽器で同時に、またほとんどの場合ユニゾンで始まると聞いていたので、ぼくはそれをヴァイオリン二部だけの弱そうで始めてみました。----そのあとすぐに強奏がきます----もちろん聴衆は(ぼくの期待どおり)、弱奏のところで、シッ----続いてすぐに強奏がきました。強奏を彼らが聴くのと、手を叩くのとは同時でした。そこでぼくは嬉しくって、交響曲がすむとすぐにパレ・ロワイヤルに行き----極上のアイスクリームをたべ----誓いを立てていたロザリオに祈りました。----そして宿に戻ったのです。」(「モーツァルトの生涯」2 白水Uブックス版 p.133-134)

悲しみを無理にでも隅に追いやって綴った、という心のほども、ではありますが、音楽の上の事実としても、この文面は1778年当時のパリのコンサートの一断面を具体的に描いていて、興味深いものがあります。
そう、今のポップやジャズのコンサートのように、交響曲でも、聞かせどころでは、当たれば聴衆がやんやの喝采をしていた・・・オペラの幕前または幕間に演奏されていた、あるいはメインプログラムではなく(この文面からの推測では、おそらくコンサートの最初のプログラムとして)、いわゆる脇役的に演奏されたのですから、
「こんな拍手の受け方をしたのも当然さ!」
と仰るかもしれませんが、こんにち的なクラシックのコンサートとどれだけギャップがあるかのほうに思い及んで頂けたほうがいいのではないかと思います。
こういう拍手の起こり方は、有名な例ではベートーヴェンの第九初演の際のエピソードにもみられます。いろいろあたって見ると、同様の状態はマーラーがウィーンフィルを掌握する当時までは続いていたものと思われます。(曲が演奏されている最中はドアを閉じる、ホールでの飲食は禁止、という「聴かれ方」を強制した嚆矢は、マーラーでした。)
ヴォルフガングが、おそらく自作が終わるや否や演奏会場を後にしただろう様子も書簡から読み取れ、それもまた興味をそそります。

ともあれ、6月18日に初演されたこの交響曲は、パリの聴衆の好みを逆手にとった(「当地でのアレグロはすべて、第Ⅰ楽章のように全部の楽器で同時に、またほとんどの場合ユニゾンで始まると聞いていたので、ぼくはそれをヴァイオリン二部だけの弱そうで始めてみました」)こと、それが成功を収めたことで、ヴォルフガングにパリではささやかな心の灯火をともしてくれる成功作となったのでした。
・・・でも、これだけ、でした。

このころ、彼にはヴェルサイユでの王宮オルガニストの口に声がかかるということもあったのですが、これを受けてしまうと名誉ではある反面、パリに戻ったらまた聴衆からは忘れ去られた存在に戻ってしまうことが明々白々な、彼にとっては望ましくない事態をももたらすものでもあり、裏にはマンハイムで別れたアロイジア・ウェーバーへの未練もあり、彼はこの貴重な「定収入」の道を棒に振ってしまいました。
ですが、彼の望みは、当時まだパリに吹き荒れていた(で、音楽史で取り上げるほどには全ヨーロッパ的ではなく、あくまでパリのローカルなものであった)グルック・ピッチンニ論争なるものに終止符を打てるようなオペラを、自分の手で作りたい、というものだったのです。
ですが、そのチャンスは彼には巡って来ませんでした。
結局、この論争を沈静化させたのは、ピッチンニの実質的な遁走と、その後釜の狂言まわしにさせられたとも言えるクリスチャン・バッハの作品でしたし(それとてクリスチャンの作品としては地味なほうだったでしょう)、なによりも「論争」なるものには自身全く首を突っ込んだことのない、「当事者であるはずの」グルックの、大人の態度でしたのですから、ヴォルフガングが如何に傑作オペラを作ったところで、どれほど彼の名声に役に立ったかは怪しいところです。


パリ交響曲に目を戻しましょう。

初演後、受けた、とはいえ、アンダンテは長過ぎる、と注文主が考えたために、代わりの短いものを作った、というほうは有名でして、第2楽章は最初のものとこの作り直されたものの2種類があるのは、よく知られている通りです。(録音も、次に述べる第1楽章の異稿とは違い、単独でなされているものを結構見かけます。私の所属するアマチュアオーケストラでも、パリ交響曲を演奏した際に、指揮者先生が楽譜を用意して下さったので、アンコールでやったりしています。)

ですが、この代替第2楽章が書かれた際には、第1楽章にも手が入れられています。

この交響曲は、初演のあとも何度か演奏されたことが分かっていますが、それらの演奏は、この「一部修正された第1楽章と短くなったアンダンテ、唯一変更の手が加えられなかったフィナーレ」でなされたもの、ということになります。
(このフィナーレが受けただろうな、というのは、演奏していても強く感じます。とくに、2ndヴァイオリンを弾く時には冒頭で大変緊張します。)

末尾に列挙しますが、第1楽章の変更は「音色感の統一」が主たる目的とされており、この点も、他の改編も、モーツァルトのウィットを、おそらく初演を聴いていた注文主の保守的な耳から「少し押さえ気味にしたほうがいいのでは?」とでもアドヴァイスされたので行なったのではないか、と思われるものでして、こんにちの演奏では、まず採用されることがないものです。
録音としてはホグウッド/エンシェントの全集に入っているのが、私が唯一耳にできたものです。
なお、意味がよく分からないところは疑問のままリストにしておきました。


先に、オリジナルの基本的構成を、初演版と改訂版につき載せておきます。

<初演版>
第1楽章 Allegro assai 4/4 D, 295小節
第2楽章 Andante 6/8 G, 98小節
第3楽章 Allegro 2/2 D, 243小節

<改訂版>
第1楽章 Allegro vivace 4/4 D, 295小節----改編箇所は下記「第1楽章異稿の音響的違い」参照
第2楽章 Andante 3/4 G, 58小節(改定前の6割の小節数。時間数も同程度)
第3楽章 Allegro 2/2 D, 243小節(改訂無し)

初演後に施された第1楽章の改訂は下記のとおりです。

・第1楽章異稿の音響的違い
 最初の稿は5月末、第2稿は6月18日から7月9日の間。
 第2楽章の別稿作曲と同時に、マイナーチェンジ。

*33小節ホルン、3度和音だったものをユニゾンに。
*52小節、ヴィオラに「Solo」と付記。56-65の木管群、同様。この意図は?
*90小節の第2ファゴット、第1と同時に入っていたのを1拍遅れに変更
*111-116のホルンをユニゾンに変更、115-116は延ばしから弾むリズムに変更。
*134第1オーボエ1音上がっているが、誤記ではない? とすれば、和声鋭角化。
*179・181・183・185の第2ヴァイオリンの3連符化・・・第1と明確に分離を聞かせるためか?
*196ホルン、ユニゾン化、198トランペット、三度だったものをオクターヴに。
*206以下、52以下と同様の変更。219のトランペットGユニゾンからオクターヴに変更
*220以降の木管の組み合わせを変更。Trmpは変更無し
 Fl & Cl --> Fl & Ob1 & Hr , 224 : Ob & Fg ---> Cl & Fg:色合いを呈示部と合わせた(似せた)。
 (呈示部ではホルン。トランペットは伴っていない。)
*284-287Hr、Trmp音型を四分音符ふたつから四分音符+八分音符ふたつに変更
*288ヴァイオリン、三連符から16分音符の刻みに変更
*最後2小節のヴァイオリンの和弦表記を黒丸から白丸に変更

スコアはNMA(新モーツァルト全集)第11分冊に、初演版、改訂版共に掲載されています。
webに掲載しても、第1楽章の微妙な違いは「おや?」とお感じになられる程度で終わってしまう気がしますので、音は載せずに置きますが、現実に、落差はCDで感じるものよりも、実演で聴いた時には大きいだろうな、と思っております。ほんのちょっとした改訂のようでありながら、モーツァルトのウィットが押し殺されて、艶やかさに欠けてしまったものとなっているのです。

付記2)
Bunchouさんのご指摘がありましたが、本シンフォニーについては野口秀夫氏の詳細な内容検討があり、参照すべきです。(色の変わっているところにリンクが貼っってあります。)
詳細はリンク先を参照頂くとして、野口氏の要約のみ引用しておきます。

 パリ交響曲について述べてきた事をまとめると以下の通りである。
(1) パリにおける2回の上演では今は紛失してしまった清書譜が使用されたであろうこと。
(2) 初演、再演共第1楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェであろうこと。
(3) 第2楽章アンダンティーノは恐らく上演の機会が無かったこと。
(4) 第2楽章アンダンテは初演が6/8 拍子、再演が3/4 拍子の版であろうこと。
(5) 3/4 拍子のアンダンテには母の死を悼んでエレミアの哀歌が織り込まれていること。
(6) 第1楽章アレグロ・アッサイの自筆譜には何回かの改訂が含まれているであろうこと。

とくに、第2楽章については、ザスロウ氏のNMAに対する批判的見解(NMAとは逆に、3/4拍子のAndanteこそ初演に際して演奏されたものである、とする)を再批判し、6/8拍子のほうこそ初演で演奏されたものであると証明していること、ただし、それは現存する最終稿とは異なっていたであろうこと、それに伴い、第1楽章も何度もの改変を経て今日のかたちになっているであろうとの推測などが、極めて合理的に述べられていることを、前もって知っておくべきでした。したがって、上記本文の「第2楽章の改作と共に第1楽章も作り直された」という見方は、裏付けのないものであることが明らかになります。(音響効果も、後から現行一般的に演奏される版へと修正された、と考えるべきなのか、上述した通り逆順なのか、も、併せて「分からなく」なりました。・・・ついては、なぜ、NMAでは第1楽章に二つの違った印刷譜が採録されているのか、は、私にはいまのところ明確な理由を推測することは出来ません。)
目から鱗だったのは、あとで仕上げられた3/4拍子のほうに、聖歌「エレミアの哀歌」を盛り込んでいるのだ、という事実についてでして、これは母の死との関連から7月9日に作曲されたのであろう、そして聖マリア昇天の日である8月15日に演奏されたのだろう、というお考えで、これは資料図版を拝見すると、たいへん理にかなっていると思います。・・・ただし、そうすると、アンダンティーノ(6/8)のほうは上演の機会がなかった、とする野口氏の結論と文脈に不整合があり、この点は今の私には「?」です。読み間違いをしているでしょうか?・・・「テンポの変更が行われた」だけなのではないのか、と思っている私は、恐らくまだ、野口氏がおっしゃる「アンダンティーノ」と現行の完成版ではないにしても「6/8拍子」のアンダンテが演奏ははされたのだから、と、なにかを混同しているのでしょう。いま時間がありませんので、再度よく確認します。
パリ以外での上演歴、それに伴う、おそらくモーツァルトが所持していた手槁譜の取扱われ方についても、野口氏は細かくメスを入れていますので、これは是非ご覧下さい。
論文転載は禁止ですので、本文および現存手槁譜の系統については、野口氏のサイトをご覧下さい。当初版の第2楽章をNMA所載のスケッチをもとに復元した音声も聞くことができます。
なお、NMAでは「改訂版」扱いしているほうに「Solo」と記載してあるのですが、野口氏論文ではそれはNMAでいう「初演版」にこそ加わっていたものであることとなります。これは私の手持ち資料では確認出来ません。
その他、Bunchouさん、お気付きの点があったら、是非ご教示下さいね!
ザスロウのモーツァルト交響曲研究の書は私は入手し損ねており、今回も古書を探しましたが見つけられず、本日洋書のほうを発注しました。それでまた新たに気づいたことがありましたら、さらに付記します。(3月17日)


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sergjOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

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コメント

こんばんは。
いろいろと述べたいこともあるのですが、その前に。
kenさんはアマチュア研究家の野口秀夫さんの
ホームページはご存知でしょうか?
そこに掲載されているこの曲に関する話が興味深いので、
是非とも御一読くださいませ。
それとお時間のある時で、機会がありましたら
ニール・ザスラウ著・磯山雅氏監修・訳の
「モーツァルトのシンフォニー」第2巻
のこの曲の項目もご覧になることをオススメします。
きっと何がしかの収穫があると思います。

投稿: Bunchou | 2009年3月16日 (月) 21時36分

Bunchouさん

ありがとうございます。
野口さんの頁は、あいにく詳しく拝読しておりませんでした。

http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/k297.htmですね?

・・・そうでしたか。。。

これは、この記事を読む人には、誤りを知って頂くためには是非読んで頂かなければなりませんね。

ザスロウの本は以前入手し損ねました(品切れでした)。従って、いま、ネタはNMAの前書きしかない、という実情です。

また助けて頂きました。

・・・シンフォニーのことは、綴るのやめようかな。。。
自信がありません。

投稿: ken | 2009年3月16日 (月) 21時45分

Bunchouさん

ザスロウの著書は、やはり和訳での入手は出来なそうで、今日、洋書のほうを発注しました。

また、もともとCDの解説を読んだだけでも解消できたかも知れない誤りにも気づきました。
その旨のみ、後ほど追記しようと思っております。
でも、これだけだと、・・・うーん、厳しい!

やっぱり、数日間は野口さんの頁に頼るにしくはなし、です!

投稿: ken | 2009年3月17日 (火) 19時33分

こんばんは!
本当にご無沙汰しております。
あまりに久々で恐縮なのですが、よろしくお願いします。


野口さんのサイトはこの記事が書かれる前に
お知らせできれば良かったのですが、
Kenさんの資料状況がそんなに悪いとは思わず、
お伝えするのが遅れてしまいました。
申し訳ないことです。

ちょっとした個人的な要望としては、
この曲の第1楽章の構築性について考察してほしい、
ということですね。
この楽章は複数のモチーフが縦横に活用されている、
という点で、後のプラハ交響曲の第1楽章や
ジュピターのフィナーレにも繋がっていると思います。
そこをKenさんにも楽しんでもらいたいのです。
お暇があればでいいのですが、どうでしょう?


>アンダンティーノ(6/8)のほうは上演の機会がなかった

ここで指されている音楽は、
実際には完成していないとされる、
ホ短調のエピソード付きの緩徐楽章のことだと思われます。
ちょっと紛らわしい書き方になっているようですね。

投稿: Bunchou | 2009年6月27日 (土) 01時23分

ああ、Bunchouさん、ありがとうございます。
どうぞお気になさらず!

英書は入手したものの、その後関わっている諸々で、意識しつつも手がついていないのが私も実情です。
8月に入ると、少しよくなると思います。

7月25日に畏友がモーツァルトのK.301−K.306のリサイタルをやりますし、8月には自分が(恥ずかしながら地元の事業なので)コンマスで「リンツ」と「レクイエム(ジュスマイヤー版)」をやります。その準備に追われています。

仰ることについては、あらためてキチンと取り組みたいと思います。
物理的な事情もあり、資料は順調には入手できません(日本語版、とくに日本人の書いたものは、新刊でも議論が旧弊なままなのは、ご存知の通りです。)lが、たしかにこの記事のママではエピソードに囚われていて内容が不分明ではありますね。資料以前の問題もあるかと思います。
場合によっては一から仕切りなおしますので、しばらくお待ち下さいませ。

心からの感謝を!

投稿: ken | 2009年6月27日 (土) 01時38分

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