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2009年3月 3日 (火)

『オーケストラを聞く人へ』近衛秀麿著(書籍紹介)

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・・・是非、お目通し下さい。



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   音楽を愛すると自称しながら、していることが、自分の恋人を虫眼鏡でのぞいて
   「真実の探求」? に浮身をやつしているようなのは、
   まことに脱線もはなはだしいものと言わなければなりません
                                 (近衛 秀麿)

こんな言葉が、淡々と語られている本書の文章の中にひょっこり現れたときは、実に身の縮む思いでした。
でも、本当に、今のクラシック音楽関係者が、近衛秀麿『オーケストラを聞く人へ』に優る本をひとつも生み出していない現状に、正直言ってがっかりしていたので、娘にも読ませようと思い古書(とはいってもたいへんに状態の良い本が届きました)で買い求めたところが、懐かしくて、自分が夢中で読み直してしまいました。



本書は、昭和45年(1970)に音楽之友社から出版され、私が今回手にしたものはその6年後の第六刷ですから、当時の音楽の入門書としては非常に人気が高かったことが分かります。
久しく絶版になった後、ソフトカヴァーだったかで<もういちど読みたい>との副タイトルが付されて復刊しましたが、いま、そちらが新品で手に入るかどうかは、分かりません。

私が、私自身のために買ったこの本は、いま、実家の押入れの中でボロボロになっています。手に入れた当時は中学生でしたが、その年頃には難しい言葉も多く、決して意味を理解し切ってはいなかったと思います。ですが、それから35年以上をも経て、
「そうだよ、こんなことも、この本で初めて知ったんだっけな」
と懐かしく思い出せて、娘のためにのはずが、自分がついのめり込んでしまいました。

内容のわずかな部分は、現在の知識からは見方を改めなければならないのではありますが、そうした部分がほんのわずかであることには驚きました。小さな部分の一例は、ヘンデルの「見よ、勇者は帰る」のホルンパートが高音過ぎる、と著者が感じていたフシがある一節(p.177)などで、執筆当時は古楽復興も緒についたばかりだったせいか、同じヘンデル作の『水上の音楽』のヨーロッパで最先端と称するバロック形式での演奏でも、ホルンの音がひっくり返るのが当たり前、というていたらくでラジオで流れていましたから、著述した時点での認識では「誤り」ではなかったのです。もし著者がご存命でいらしたら、当然修正なさっただろうことばかりです。

最初の章である「オーケストラの聞き方」の中の文です。
本書の大前提となる言葉と、私の大好きなエピソードがあります。

「今日の日本人は、何事によらずまず『いろは』より入門して、完全に近いと思われる知識が得られるまで、安心できない性格を持っているようです。音楽の場合にしても、愛し、親しみ、そして楽しもうとする前に、まず理解しようとする努力が先立ちます。第一、『音楽』を完全に『理解』しようとするのが無理な話です。それですから(業界の特殊なドン・キホーテたちは別として)一般の多くのあわれむべき日本の人たちは、『音楽』という美しい恋人に対して、いつまでも自信が持てないのでしょう。」(p.11)

残念ながらエピソードの方は長いので慷概だけにしますが、それは、著者がベルリン在住中に雇っていた若いチェコ人の女中さんの話です。近衛さんは彼女に自分の指揮する『魔笛』を見せたのですが、オペラ初体験の彼女はそれにすっかり魅せられてしまったものの、それが誰の手で作られたかなどとは知ろうともしなかった・・・でありながら、以後、名曲の演奏には「雷に打たれたように感激し」、二流の調子が外れた演奏には批評家よりも敏感に反応した、というものです。この例を、著者は「中欧の人たちが三度の食事を二度にしても。コンサートやオペラの切符を手に入れようとする心理には、まことに根強い背景があると思うのです」と続け、音楽が「美しく演奏」されれば、それが誰のものか、に拘泥しない精神の姿勢を読者に推奨することから本編に入っていくのです。



内容を初めてご覧になるのでしたら、それだけでもこの本には驚かされるはずです。
章立てだけをまず列挙します。

・音の話 (音楽に関係する、音響学の基礎のさわり)

・弦楽器 (ヴァイオリン属の単なる紹介ではなく、ヴァイオリンの奏法の説明まである)
・木管楽器(円錐管と円筒管の陪音の違いまで説明してある)
・金管楽器(マウスピースやピストンの機構まで紹介、移調楽器ということの説明も詳しい)
・打楽器 (全三章に引き続き、楽器生成の歴史までを紹介している)
・特種楽器(ハープ、チェレスタのみ、別だてで紹介)

・オーケストラの成り立ち(面倒な調べものをしなくても、オーケストラの規模の歴史的推移が表になっていました。・・・ハイドンの交響曲には鍵盤による通奏低音がなかった、なぜならばエステルハージ宮廷管弦楽団にはチェンバロがなかったからだ、と、最近の研究で発表なさった学者さんがいらっしゃいますが、そのことは近衛さんのこの著述の時期には、おそらく近衛さんの同業者連中も、もう気づいていたらしいことが、この表や別の個所の記述から伺われます。ただ、モーツァルトの場合もそうだった、という混同がありますが、このくらいはやむを得ないでしょう。オーケストラの楽器配置についても、成立事情から詳しく、しかし簡明に教えてくれる章です)

・楽器の組み合わせと楽譜の書き方(オーケストレーションの入門としてはこれだけでも充分な気がします)

・指揮者は何をするのか(著者の「個人的な顔」がちらっと現れるのは、この章だけです。それも、指揮の歴史をキチンと調べるという素地の上から、自己の領分を超えないように、思いを抑制して綴っているのが、明治の男を感じさせます。海外での見聞が当時最も豊かだった近衛さんの眼から、1900年代前半の指揮者たちは彼らの時代なりに、作曲家の「本当の」意図を探し求めるために真剣にあらゆる原資料【自筆譜やパート譜】を研究していた様子が分かり、前章と併せ、現代の学者さんに「現在の研究の前史」として、居住まいを正して読んでもらえたら嬉しいな、と思う章です。ましてや、現場の「指揮者」・「演奏家」のかたが本を出すときには、自己主張の羅列や道化たりアマチュアや学生を威圧したりという文体は避け・・・どんな文体をさすかは御考慮頂くとして・・・、この本のような記述の仕方を見習っていただければ、これからクラシックを好きになりたい人たちに本当の意味で喜んでもらえるものが出来上がるはずです。最近のクラシック本に、読了後、本当の夢を残してもらえない気がするのは、私がオジンになったせいでしょうか?)

・「コンサート」(執筆時点での日本のホールの音響事情が分かって貴重です)

・古今の著名管弦楽団と指揮者(淡々とした紹介ですが、これで充分です。当然、指揮者は9割9分物故者です)

楽譜の例が豊富なので、楽譜に抵抗がある方は「知識がないと読めないのでは?」とお思いになってしまうかもしれませんが、当時でも斬新だった作品の譜例はともかく、添え書きしてある作品名がご存知のものでしたら、まず楽譜が読める読めないの心配はいりません。

本文部分273頁だけの著作に、よくこれだけ盛り込めたものだ、と、あらためて感激しましたと同時に、それが(彼は環境に恵まれたからでもあるのですが、それでも情熱がなければここまで「キチンと調べた上で、可能な限り客観的に書く」強い精神がなければ、豊富な知識を得意げにひけらかしていただけになったでしょうから、バックにあるだろう海のような知識・経験の蓄積をつくづくと感じさせられつつ、本書の文章上では)淡々と述べられ、威圧的でもなく、媚もなく、引き締まっていて読みやすい・・・まるで私のたわごとなど永久に足下にも及ばない、背筋のピンと伸びた本です。

オーケストラをこれから聴く人にも(・・・そういう人は、こんなマニアックなブログは覗いていないでしょうが)、今既に聴いている人にも、まず最初に読んで頂くべき本は、やはりこれしかないのかな、と、あらためて思いました。

『古典』となるべき書物です。

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